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チェコ語訳版 1905年 プラハ刊
Bilibin, Ivan IAkovlevich
Bohatyr Volga
Prague, B. Koci, 1904. <AB2024120>
Sold
Edition in Czech.
22.5 cm x 27.0 cm, pp.[3(Title.), 4], 5-14, Original pictorial card boards. 見返しに旧蔵者による押印あるが、それ以外は良好な状態。
Information
ただいま解題準備中です。今しばらくお待ちくださいませ。 「日本ブームは30年近く遅れてロシアに入ってきたが、その受容には西欧のそれとは違う独特な意味合いが含まれていた。もともと地理的に西欧と東洋の間に位置し、両者のせめぎ合いの中で形成されたロシアの文化には、ビザンティン、トルコ、モンゴルなどの影響が色濃く、19世紀になると人々は自分たちの伝統の東洋的な資質を文化の厚みとして肯定的にとらえるようになっていた。西欧におけるジャポニスムには異文化を前にしての自省の意味が強かったのに対して、ロシアではそれは「内なる東」を肯定的に確認する機会になったと言える。 西欧に追いつき追い越そうと躍起になっていたロシアの芸術家たちは、自分たちと同様「周辺」に位置していた日本の浮世絵を特別な思いで手にしたことだろう。19世紀末から日露戦争開戦までの間サンクトペテルブルクやモスクワでは日本美術展が頻繁に開催されていた。ベヌアの回想録にも、日本の商人がサンクトペテルブルクで骨董店を開き、多くのロシア人が浮世絵や根付を購入していたことが記されている。3〜4色で手彩色されただけの、素朴なロシアの民衆版画(ルボーク)のすぐ隣で、洗練された日本の浮世絵が売られていたのである。1907年から10年間美術奨励学校で教鞭をとっていたビリービンも、ロシアの民衆版画だけでなく、広重、歌麿、北斎の浮世絵のコレクションをしばしば教室に持ち込み、学生たちに見せていた。 ビリービン作品の色の豊かさ、特に初期作品の渋く繊細な色使いは見事である。4色刷りが多かった当時、異例の12色刷りで実現されたその作品には、7〜20色で刷られることが多かった錦絵を彷彿とさせるものがある。ちなみに、ビリービン自身は自分の作品のことをよく「ルボークを洗練させたもの」と言っていた。」 「英雄叙事詩 キエフ公国時代の東スラヴを舞台に、怪力を持つ伝説の豪傑たちが怪物や異民族から祖国を守って縦横無尽に活躍する物語。『ヴォリガ』はその最古のものの一つ。この他、百姓の子イリヤ・ムーロメツと二人の仲間を描いたものが有名で、ビリービンはヴァスネツォフの絵を下敷きにして、草原をゆく三人の騎士を「ロシア昔話シリーズ」の表紙絵の一コマに描きこんでいる。また、ロシア版浦島太郎ともいえる商人サトコの物語など、全く異なるタイプの英雄叙事詩もある。」 (田中友子『ビリービンとロシア絵本の黄金時代』東京美術、2014年、70、83ページより)