本書は、幕末に来日してから一多方面に渡って活躍したイギリス人ブリンクリー(Francis Brinkley, 1841 - 1912)が編集した日本と中国の歴史、文化、政治、芸術について包括的に論じられた作品で、第1巻から第8巻までが日本に、第9巻から第12巻までが中国に当てられた全12巻で構成されています。本書は、特別な構成や造本を採用したわずか限定100部のみが刊行された豪華限定版で、非常に美しい口絵や多数の写真や図版、さらには木版画までも収録している大変魅力的な作品です。
ブリンクリーによるこの著作は、1897年に刊行された大部の全10巻からなる著作『日本:日本の人々によって記され、写された』(Japan: Described and illustrated by the Japanese. 10 vols. Boston, J.B.Millet, 1897)に続くもので、同書をさらに発展させて、中国も含めた総合的な東洋論を展開しようとしたものです。同書は、「江戸版」など、数多くの特別限定版が出版されたことで知られていますが、それに続くこの作品もまた多くの特別限定版が出版されていて、本書はそのうちの、「大隈版(OKUMA EDITION)」というわずか100部のみが製作された特別版で、第56番という数字が手書きで各巻冒頭に記されています。この特別版は、各巻の冒頭口絵に彩色絹絵を設けているだけでなく、本文とは別刷で制作された、北斎の木版画の復刻版、そして現代の木版画作家による木版画作品を収録するという大変手間とコストのかかった特別な仕様となっています。また、用いられている用紙も手隙の厚手の用紙で、見返しにも特別な用紙を用いるなど、ごく少部数のみが制作された限定版に相応しい、ブリンクリーの情熱が感じられる作品となっています。本書はさらに、当時の購入者が施したものと思われる大変美しい高品質なモロッコ革と呼ばれるシボのある緑の皮革とマーブル紙を配したとても美しい装丁がなされていて、書物としての魅力を高める仕上がりとなっています。
ブリンクリーは1867年にイギリス海軍の軍人として来日し、西洋近代海軍砲術の御雇外国人教師として活躍する傍ら、日本語習得にも精力的に励み、英和辞書や英語文法書なども執筆しました。1881年には、横浜で刊行されていた英字新聞『メイル(Japan Mail)』を買収し、経営者になるとともに、自らが主筆に就任して、時事問題を扱う記事だけでなく、文化、歴史、芸術に関する文芸記事を数多く執筆し、日本の文化的魅力を英語圏の読者に向けて発信する活動を積極的に行っています。明治政府からの信任も厚く、講読料の名目で資金援助を受けていたことが知られていますが、親日的態度を基本としながらも、客観的立場からの誌面構成を心がけ、読者からの支持も高かったと言われています(ジャーナリストとしてのブリンクリーの活動については、秋山勇造『明治のジャーナリズム精神:幕末・明治の新聞事情』五月書房、2002年を参照)。また、日本をはじめとした東アジアの芸術にも強い関心があったようで、東洋の美術、芸術作品のコレクションを自ら構築するだけでなく、同時代の作家や学者らとの交流も深かったようです。そのことを裏付けるように、本書は、サトウ(Ernest Satow, 1843 - 1929)、アストン(William George Aston, 1841 - 1911)、チェンバレン(Arthur Neville Chamberlain, (Arthur Neville Chamberlain, 1869 - 1940)という明治を代表する日本学者らに捧げられており、ブリンクリーの交友の広さと見識がうかがえます。
本書は、こうした長期間にわたる濃密な滞日経験と、そこで培われた日本文化と歴史への深い見識を備えていたブリンクリーが、前作による経験を生かして、さらに発展的に日本論を展開したものといえます。まず、前作が長辺40センチに迫る巨大な書物だったのに対して、本書は長辺23センチほどと通常の書物の大きさに改められている点が前作の大きな違いとして目につきます。内容は、前作と同様、日本の歴史、政治、文化、芸術を包括的に論じるものですが、前作が「日本の権威ある人々」によって書かれたテキストをブリンクリーが編纂するという形を取っていたのに対して、本書はブリンクリー自らが書き上げていることから、前作から本書までの間にブリンクリーの日本理解が多方面に広がり、また深まったことを伺わせます。テキストの随所に写真や図版を配置するのも、前作とよく似ており、特に写真がテキスト内容とあまり関連なく配置されているように見受けられる点も同様です。また、掲載されている写真も、前作と同様に日下部金兵衛や小川一真、玉村康三郎といった当時を代表する日本の写真家による作品のように見受けられます。
テキストの構成は、第1巻から第6巻までが、日本の政治、歴史、社会に関する考察となっており、第1巻から第3巻までで古代(神話時代)より江戸幕府の倒壊までの歴史を論じ、第4巻では江戸時代の文化や風習、社会、政治制度、教育や学問などに加えて「開明統治」(Enlightened Government)たる「明治時代」についてが論じられています。第5巻と第6巻では現代日本の政治経済状況や社会制度、対外政策の発展、商業の歴史といった日本の政治経済に関する事項が論じられるとともに天王祭や祇園祭といった日本を代表する催事や年中行事なども解説されています。第7巻と第8巻は日本の芸術論となっていて、第7巻が視覚芸術(絵画、版画)、応用芸術(彫刻等)を扱い、第8巻が当時の輸出品として西洋各国で大いに好評を博していた陶磁器についての考察に当てられているようです。前作では一部の特別版に、岡倉天心による「日本の芸術論」が収録され、さらに、1901年頃には自ら『日本の芸術論』(The art of Japan. 2 vols. Boston, J.B.Millet)を刊行しており、本書第7巻と第8巻はこれを踏まえて、ブリンクリー自らが特に自身の関心の深かった日本の芸術論を改めて展開したものと考えられます。
また、第9巻から第12巻までは中国編となっていて、第9巻では中国の陶磁器について、第10巻ではの中国の人々や文化の諸特徴と統治機構や財務制度、清朝以前の対外交渉史が論じられ、第11巻では中国の諸宗教とその歴史、教育や文化、社会状況と現代史が、そして最後の第12巻では、近年の広東と香港、欧米諸国との間に締結された諸条約、中国の教育制度、結語、今日の中国、といったテーマが扱われています。
先に述べたように、この作品は前作と同様に膨大な数の特別版が製作されたようで、全ての版を列挙することはほとんど不可能に近いほどの多様な版が存在しています。いずれの版も多くは、500部から1,000部ほどの限定版として刊行されていますが、その中でもほんのごく一部の豪華版が、限定100部以下で製作されており、こうした豪華版は、他の限定版にはない木版画の挿入や、特別な用紙が用いられていたことがわかっています。本書は、まさにこうした豪華版にあたるもので、上述した木版画や彩色絹絵を各巻に収録している点が大きな特徴です。先に上げたブリンクリーによる『日本の芸術論』において、ブリンクリーは既に、木版画作品を一部の豪華版に挿入する試みを行なっており、本書はこれをさらに発展させたものと見ることができます。収録されている作品は、北斎による木版画の複製と、小原古邨ら現代の芸術家による木版画、絹絵で、これらの作品の選択には、ブリンクリーの審美眼とそれをとりまく人的ネットワークが強く反映されているものと考えられます。残念ながら店主の力量では、多くの作品の個別の画家名を特定できていませんが、その収録内容からは、岡倉天心とも深い交流があったと思われるブリンクリーと、フェノロサや同時代の工芸作家、絵師との交流ネットワークを垣間見ることができるのではないかと思われます。
ブリンクリーの書物は、そのほとんどが限定版をうたいつつも、数多くの版を用意することで、実質的には相当な数が出版されていることから、特に英語圏における日本文化や、芸術理解の浸透や需要、関心の高まりに少なからず影響を与えたのではないかと思われます。本書のように、本当にごく一部の豪華版にのみ収録された木版画作品や絹絵は、通常の限定版よりも手にすることができる人々は限られていたと思われますが、それでも美しい書物の体裁を採って、その中に実際の木版画作品そのものを挿入して読者に届けるという斬新なアイディアは、多くの人々の関心を呼んだのではないかと推察されます。
ブリンクリーは、本書も含めそれまでの著作も、ボストンの出版社J.B.Milletから出版しています。Millet (Josiah bryam. 1853 - 1938)は、1891年から1915年にかけてボストンで出版社を経営していた人物で、画家のFrancis Davis Millet(1846? - 1912) の弟として知られ、自身も著作家、編集者として数冊本を出版している他、実に多彩な分野で活躍しています。自身で出版社を立ち上げる前の、1881年から1886年にかけては、ボストンの出版社Houghton, Miffin and Companyのアート部門を担当しており、同社はのちにラフカディオ・ハーンの著作を多く刊行した出版社として知られ、ハーンの著作をはじめジャポニスムに強い影響を受けた美しい装丁を制作したSarah Wyman Whitmanが多くの作品を手掛けていて、当時の日本研究とも関係の深い出版社です。彼自身4度も来日しており、日本に対する、特に日本の芸術に対する関心は非常に強かったものと考えられます。こうしたJ.B.Milletの日本への関心の高さや、彼が有していた日本の関係者とのネットワーク、出版社がボストンにあったことを考えると、彼がフェノロサとも深い関係にあったことは容易に推察できるでしょう。その意味では、ブリンクリーはJ.B.MIlletと協力して、ボストンと日本美術を強く結びつけることに大きな貢献を成した人物としても、改めて評価されるべきとも言えるでしょう。
また、J.B.Milletはボストンで出版活動を行うだけでなく、イギリスでも活動を展開していたようで、本書のイギリス限定版は、ロンドン(とエディンバラにも拠点を有する)の芸術関係の出版物刊行で名高かった、T. C. & E. C. Jackという出版社から、「イギリス限定豪華版」として出版されています。こうした欧州への展開にも鑑みますと、ブリンクリーとJ.B.Millet、そしてその背後にある岡倉やフェノロサをはじめとした同時代の日本の関係者とのネットワークを介した、様々な日本美術の欧米への紹介活動の様相を、本書を通じて再考察してみることは、大変興味深い研究テーマのように思われます。
なお、各巻の詳細な書誌情報は下記のとおりです。
Vol.1: Half Title., hand colored Front., Title., 2 leaves, pp.1- 260, (some colored) plates: [17], original wood-cut print plates: [2].
Vol.2: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-286 , (some colored) plates: [16], original wood-cut print plates: [2]. Some leaves are unopened.
Vol.3: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-256 , (some colored) plates: [18], original wood-cut print plates: [2]. Some leaves are unopened.
Vol.4: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-267, (some colored) plates: [17], original wood-cut print plates: [2]. Some leaves are unopened.
Vol.5: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-260, (some colored) plates: [16], original wood-cut print plates: [2]. Some leaves are unopened.
Vol.6: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-301, 2 leaves(blank), 1 folded colored map, (some colored) plates: [18], original wood-cut print plates: [2], double pages map: [1]. Some leaves are unopened.
Vol.7: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-396, (some colored) plates: [30], original wood-cut print plates: [2]. Some leaves are unopened.
Vol.8: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-450, (some colored) plates: [18], special colored print plates: [3]. Some leaves are unopened.
Vol.9: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-426, 1 leaf(blank), (some colored) plates: [15], special colored print plates: [4]. Some leaves are unopened.
Vol.10: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-273, (some colored) plates: [19], original wood-cut print plates: [2]. Some leaves are unopened.
Vol.11: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-285, 1 leaf(blank), (some colored) plates: [20], original wood-cut print plates: [2]. Some leaves are unopened.
Vol.12: 1 leaf(blank), Half Title., hand colored Front., Title., 1 leaf, pp.1-292, 2 leaves(blank), 1 folded colored map, (some colored) plates: [16], original wood-cut print plates: [2]. Some leaves are unopened.
「ハウエルが去った後の『メイル』は所有者がたびたび交替し、リッカビーが一時返り咲いたこともあったが、1881年(明治14年)1月に親日派のブリンクリー(Francis brinkley, 1841-1912)がこの新聞を買収し、経営者兼主筆となって縦横に筆を揮い、日本の文化や歴史の紹介記事をしばしば紙上に掲載し、その洗練された文章は多くの読者を引きつけた。彼の立場を知る外務省は、同年3月から年間5000ドルを『ジャパン・メイル』購入の名目で同社に支払い、各国の主要新聞、雑誌社、政府機関に送付させた。しかしブリンクリーはあくまでも自主的な言論活動を行い、日本政府の意見を無批判に反映することはなかった。
ブリンクリーは明治期の日本の教育界にも多大の貢献をなした人で、アイルランドに生まれ、ダブリン大学を卒業後、慶応3年(1867年)にイギリス公使館付武官として来日、勝海舟の知遇を得て海軍省御雇となり、明治4年から新政府の海軍砲術学校教頭に就任した。5年後に東京大学工学部の前身工部大学校の数学の教授になり、ここで英語学者斉藤秀三郎らを教えた。彼は日本を心から愛し、日本の真相を世界に紹介し、1892年以降、ロンドンの『タイムズ』(The Times)の東京通信員として英国言論界に対し条約改正を主張し続けた。また日清、日露戦争に際しては日本の立場を熱心に擁護、代弁した。」
(秋山前掲書、44、45ページより)