書籍目録

『日欧貿易史』(日欧貿易概史)

メイラン / ディーダーリッヒ(訳)

『日欧貿易史』(日欧貿易概史)

ドイツ語訳版 [1861年] [ライプツィヒ刊]

Meylan, G.F. / Diederich, F. W.

Geschichte des Handels der Europäer in Japan.

[Leipzig], [Voigt & Günther], [1861]. <AB2024105>

Reserved

First edition in German.

8vo (12.0 cm x 18.7 cm), [LACKING Title.], 1 leaf(blank), pp.[III(Half Title.)-V], IV-X, 1 leaf (Errata), pp.[1], 2-233, Half leather on cloth boards.
タイトルページ欠落。装丁が本体から外れかかっている状態で、冒頭の40葉ほどはノドなどの余白部分に虫損がかなり見られるが本文の判読には大きな支障がないと思われる状態。見返しに旧蔵者の蔵書票の貼り付けと、別の旧蔵者による日本語の鉛筆での書き込みあり。[NCID: BA15491271]

Information

日普修好通商条約の締結年に対日貿易の手引書としてライプツィヒで刊行された貴重なドイツ語訳版

 「歴史の知識は、もし、それがただ単純な好奇心を満足させるためにのみ奉仕するものだとすれば、そしてそれが叙述する出来事の原因や結果を理解する、つまりそこから教訓を導き出すという目的で研究されるのでなければ、その重要性の大部分を、その価値のもしかするとすべてを、失ってしまうだろう。それによって物事や状況の評価はより簡単に定めることができる[のだから]。」
(本書第9章冒頭、後掲邦訳書p.452より)

 本書はタイトルページが欠落しているため、一見した限りではそうとはわかりませんが、オランダ人のメイランが執筆した『日欧貿易史』(1833年)を1861年にディータリッヒがドイツ語に翻訳してライプツィヒで刊行した作品です。長崎のオランダ出島商館長として低迷する日蘭貿易の立て直しに苦心し、歴史にそのヒントを求めて日蘭貿易振興策を提言したメイランによる著作が、それから約30年後、プロイセンと日本との通商条約が締結されたことで対日貿易への期待が大いに膨らむライプツィヒにおいて刊行されたという、その背景事情も含めて非常に興味深い作品です。

 著者であるメイラン(Germain Felix Meijlan, 1785-1831)は、1826年から1830年の間、長崎出島のオランダ商館長を勤めた人物です。メイランの商館長時代は、日蘭貿易が衰退の傾向にあり、その再建がオランダにとって急務の時代でした。ナポレオン戦争の中でオランダは1795年にフランスに併合され、1799年にはオランダ東インド会社が解散するなどの18世紀末から大きな変動に見舞われ、その後オランダは再独立を果たしたものの、オランダによる東インド貿易の再建は祖国復興のために必須となっており、こうした中でメイランは日蘭貿易を何とかして再建しなければなりませんでした。さらに、彼の在任期間中にはいわゆるシーボルト事件が発生して日蘭関係に深刻な問題を抱えることにもなりましたが、メイランはこれらの厳しい状況を一つ一つ巧みに切り抜けながら、貿易再興策を練り上げました。

 日蘭貿易の将来を模索するにあたって、メイランは歴史の中にヒントを見出そうとしたようで、日蘭貿易を中心としてヨーロッパ諸国と日本の貿易の歴史を改めて振り返ってまとめたものが本書です。この作品は『日欧貿易史』(Geschiedkundig Overzigt van den Handel der Europpezen op Japan. )』と題され、『バタヴィア学芸協会雑誌(Verhandelingen van het Bataviaasch Genootschap der Kunsten en Wetenschappen)』の第14号(1833年)に掲載されました。この雑誌を発行していたバタヴィア学芸協会は、東インド植民地や交易地の学術研究を推進することで、オランダの東インド貿易における利益増大に貢献することを目的として1778年に設立された組織で、オランダ東インド会社の解散後も精力的に活動を続けており、オランダの東インド政策遂行における重要機関となっていました。『バタヴィア学芸協会雑誌』には、ティツィングやシーボルトなどによる論考がたびたび掲載されているだけでなく、日本にも一部がもたらされて読まれていたことがわかっています。メイランは『日欧貿易史』の執筆以前に、『日本』(Japan)と題した日本の文化や社会を中心に様々な角度から考察した作品を日本での任期を終えた1830年に刊行しており、バタヴィアに戻ってからも実務と学術の双方においてさらなる活躍が大いに期待されていましたが、残念ながら1831年に急逝してしまいました。そのため、『バタヴィア学系協会雑誌』に掲載された「日蘭貿易史」は彼の死後に発表された遺作となりました。

 このメイランの「日欧貿易史」は、オランダ語原著を底本として、その第5章から第9章が、2021年に邦訳がなされていて、同書について訳者によって下記のように言われています。(松方冬子ほか(編)日蘭交渉史研究会(訳)『19世紀のオランダ商館(上)商館長ステュレルの日記とメイラン日欧貿易概史』東京大学出版会)

「メイランは、単に優秀な商館長であっただけでなく、日本商館に残されていた(当時はまだ現用だった)日本貿易に関する文書を読み解いて、『日欧貿易概史』という書物を遺してくれた。彼は同書が世に出る2年前に世を去るが、複雑極まりない19世紀の日蘭貿易については、今や同書がなくてはわからないことも多く、我々の研究分野への貢献は計り知れない。」
「当時の日蘭貿易は、日本側で長崎会所、オランダ側では東インド政庁のもとにある日本商館が独占しており、いわば、一対一の取引である。プレーヤーが少ないため、新しい参入者にルールを説明する必要は存在せず、両者のその場しのぎの合意の積み重ねでやり方が決まっていた。両者の間で合意が成立すればそのように行えるため、「値上げ要求には応じられないが、別のところで便宜を図ってやる」というようなことが頻繁に起こり、形式的、合理的に説明できないことが多々ある。かつ、長い歴史があるため、誤解を恐れずに表現するならば、その関係は、あたかも長年連れ添った夫婦関係のごとく、あるいは建て増しを重ねた温泉旅館よろしく、もはや何が何に対応するのかが、翻訳する我々にもわからないだけでなく、おそらく当事者であっても、なぜそうしているのか、そうなっているのか、全貌はわかっていなかっただろう。(中略)
 日本商館長として着任し、我々と同じ疑問を持って事態を説明しようとしたメイランの『日欧貿易概史』が残されていることが、わずかな救いである。『日欧貿易概史』は、当時の日蘭貿易の制度的側面に関するほぼ唯一の包括的な記述である。参考にしていただければ、商館長日記の理解にも多いに役立つであろうと思われる。」
(後掲訳書、序説4、5ページより)

 本書は全9章と補論からなる構成で、最初の3章(pp.1-41)では、ポルトガル、スペイン、イングランド、そして近年のロシアによる日本との交渉史が扱われます。また、イングランドと日本との貿易史の関連資料として、家康が公布した朱印状とセーリスに託したイギリス国王宛親書の英訳文も巻末の補論に収録されています。第4章から第8章までは、オランダと日本との貿易史を四期に分けて詳述しており、本書の中心をなしています。すなわち、第4章(平戸時代)(pp.42-68)、第5章(1641年−1685年)(pp.69-86)、第6章(1686年−1743年)(pp.87-97)、第7章(1744-1790年)(p.98-141)、第8章(1791年以降)(pp.142-168)という構成です。最後の第9章(pp.169-210)は結論は、これまでの歴史的考察を振り返って、それが単なる知的好奇心のためだけになされたのではなく、過去に生じた出来事の原因と結果を分析することを通じて今後のあるべき方策を導くためであったと力強く述べ、メイランによる日蘭貿易の抱える現状の課題とその対策が具体的に表明されています。これに続く補論(pp.211-)は本文に対する注釈的な解説記事で、「船の到着」「商品の荷揚げと倉庫への収納」「風説の提供」「送り状の提出」「値段の決定」「乙名、出島町人、通詞など」といった出島商館における貿易実務実務についての解説となっています。メイランは歴代のオランダ商館長、特に日蘭貿易改善に熱心に取り組んだティツィングらの取り組みを詳細に検討する中で、あるべき貿易改革案を提示しており、実際に日蘭貿易に責任者として従事(苦労)した経験に裏付けられた上で、歴史的考察をふまえて導き出される著者の主張には、非常に説得力があるように見受けられます。

 

 本書が大変ユニークなのは、このような日蘭貿易に関する学術的、かつ実践的な示唆に富んだメイランのこの著作を、その約30年後にドイツ語に翻訳して、全く異なる文脈を背景にして出版された書物であるという点にあります。このドイツ語版が刊行されたのは1861年のことで、まさにプロイセンと江戸幕府が日普修好通商条約を締結した記念すべき年に当たることは、決して偶然ではないと考えるべきでしょう。翻訳者であるディーダーリッヒは翻訳者による序文で、この書が今まさに西洋諸国に開国した日本との交易、特にドイツ諸国と日本との交易を考察する上で、極めて重要な情報を提供してくれることを強調しています。日本の経済、政治、歴史、国民性、貿易の性質に関する優れた分析を提供するメイランの著作の価値は、数十年を経てもなお色あせず、むしろその重要性を増してさえいるとディーダリッヒは述べながら、日本での貿易を志す実務者にとっても、日本の研究を進めたい学者にとっても本書は等しく高い価値を有していると熱を帯びて語っています。そして、日本が今後西洋諸国との接触によってどのように変化していくのか、また我々(ドイツ)が彼らの生活や思考様式をどのように学んでいくのかについて、本書は一つの道しるべとなるであろう旨を述べて序文を結んでいます。

 本書はドイツ(プロイセン)と日本とが国交を樹立したその年に、最も参照すべき書物として刊行されたという興味深い歴史的背景を有する資料として、大変ユニークな作品ということができるでしょう。

見返しに旧蔵者の蔵書票の貼り付けと、別の旧蔵者による日本語の鉛筆での書き込みあり。
装丁が本体から外れかかっている状態で、冒頭の40葉ほどはノドなどの余白部分に虫損がかなり見られる。
タイトルページが欠落しているため、一見した限りではそうとは分からないが、序文で明示されているようにオランダ人のメイランが執筆した『日欧貿易史』をディータリッヒがドイツ語に翻訳して1861年にライプツィヒで刊行した作品。
序文末尾に訳者の署名がある。
目次。本書は全9章と補論からなる構成となっている。
上掲続き。
第1章冒頭箇所。最初の3章(pp.1-41)では、ポルトガル、スペイン、イングランド、そして近年のロシアによる日本との交渉史が論じられている。
第2章冒頭箇所。
第3章冒頭箇所。
第4章から第8章までは、オランダと日本との貿易史を四期に分けて詳述しており、本書の中心をなしている。上掲は第4章冒頭箇所で、平戸時代の日蘭貿易を論じている。
第5章(1641年−1685年)(pp.69-86)
第6章(1686年−1743年)(pp.87-97)
第7章(1744-1790年)(p.98-141)
第8章(1791年以降)(pp.142-168)
最後の第9章(pp.169-210)は結論は、これまでの歴史的考察を振り返って、それが単なる知的好奇心のためだけになされたのではなく、過去に生じた出来事の原因と結果を分析することを通じて今後のあるべき方策を導くためであったと力強く述べ、メイランによる日蘭貿易の抱える現状の課題とその対策が具体的に表明されている。
これに続く補論(pp.211-)は本文に対する注釈的な解説記事で、出島商館における取引実務などについての解説となっている。
イングランドと日本との貿易史に関連する資料として、家康が公布した朱印状とセーリスに託したイギリス国王宛親書の英訳文が補論に収録されている。