書籍目録

『主の祈り:100以上の諸言語によって表現されたテキスト集成』

[ベンジャミン・モットー]

『主の祈り:100以上の諸言語によって表現されたテキスト集成』

新版 1713年 ロンドン刊

[Motto, Benjamin, Sr.].

ORATIO DOMINICA: polyglots, polymorphs(in Greek), Plus CENTUM Linguis, Versionibus, aut Characteribus Reddita & Expressa….

Londini(London), Dan. Brown, CIƆIƆCCXIII. (1713). <AB202499>

¥275,000

Edito Novissima (new ed.)

4to (16.0 cm x 20.2 cm), Title., 2 leaves, pp.1-69, 1 blank page, pp.70(recto), 71(verso), Contemporary full brown leather.
装丁の比較に傷みが見られるが概ね良好な状態。見返しに旧蔵者による購入時のものと思われるカタログ情報の貼り付けと価格の記載あり。小口は三方とも金箔押し。

Information

100以上の諸言語で印刷された「主の祈り」

  本書は、アジアやアフリカの言語を含む100余りの言語で書かれた「主の祈り」を集めたという大変ユニークな作品で、比較言語研究史においてのみならず、さまざまな言語の活字が収録されていることから印刷史の点から見ても重要とされている書物です。

 ヨーロッパにおいて世界各地の言語を集成して分析しようとする試みは、すでに失われたとされる「神の言葉」を復元しようとする神学的動機や、それを応用した暗号論の発達を背景にした長い歴史があり、16世紀から17世紀初頭にかけてヴィジネール(Blaise de Vigenére, 1523 - 1596)による『暗号論-秘密の書記法について(Traicté des chiffres ou secréres d’écrire. Paris, 1586)』やデュレ(Claude Duret, c1570-1611)による『世界言語誌宝典』(Thrésor de l’histoire des langues de cest univers,…Köln, 1609)など、日本語を含む世界中の言語を集成して分析する優れた著作が刊行されました。こうした試みは次第に当初の神学的動機を薄めながらも17世紀以降も継続的に行われ、ミュラー(Anderas Müller, 1630 - 1694)や、レーラント(Adriaan Reland, 1676 - 1718)シュルツ(Benjamin Schultze, 1689 - 1760)といったプロテスタント圏で活躍した東洋研究者らによって発展していきます。本書はこうした潮流を代表する著作の一つで、1713年にロンドンで刊行されています。

 本書の原型となる書物は1695年にオックスフォードで刊行されたもので、この作品には45の諸言語が収録されていたとされていますが(店主未見)、「新版(edito novissima)とされた本書では、その数を倍以上に増やしています。本書には著者名の記載がありませんが、序文の末尾にある署名(B.M, Typogr. Lond.)から、ベンジャミン・モットー(Benjamin Motto Sr., ? - 1710)ではないかとされています。モットーは同名の息子を残したロンドンで活躍していた出版社、活字製作者で、建築学史上における不朽の名作の一つとされるアンドレア・ポッツォ(Andrea Pozzo, 1642 - 1709)による『画家と建築家のための遠近法』(Perspectiva Pictorum et Architectorum…Roma, 1693 / 1700)の英語訳版(Rules and examples of perspective proper for painters and architects. London, 1707)を手がけたことでも知られています。この作品は精巧な銅版画を多数収録していたことでも名高く、その英語訳版も高い評価を受けたことや、同名の息子が18世紀のロンドンを代表する文芸出版人の一人として活躍したことなどに鑑みると、ベンジャミンはその見識と技術力に秀でた出版者であったと思われます。

 「主の祈り」とはよく知られるようにキリスト教において最も重要とされる祈祷文で、イエス・キリスト自身が弟子たちに伝えたとされていることから、ほぼ全ての教派において唱えられているものです。イエズス会をはじめとした宣教師たちによって日本にキリスト教が伝えられた際にも「おらしょ」の一つとして伝えられ、『どちりな・きりしたん』などのキリシタン版にも「ぱあてるのすてるのおらしょ」として収録されていることがよく知られています。本書は、この西洋キリスト教社会において最も重要かつ普遍的とされる「主の祈り」を世界各地の100以上の言語で記したテキストを収録して、それぞれを比較検討できるようにした作品です。テキスト本文に先んじて著者が参照した各国語の「主の祈り」を掲載している先行文献の一覧や、収録言語の地域別分類表などが掲載されていて、文献一覧では先にあげたデュレの著作などが略記号とともに紹介されています。収録言語の地域別分類表は、ヨーロッパではなくアジアから始まっており、アジア各地の諸言語して最も重要とされるヘブライ語を起点として中国語(Sinica. a: Mandarinica. / b: Alia)、台湾語(Formosana)、日本語(Japanica)、シャム語(Siamica)などが挙げられています。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの順で列挙された諸言語の数は、各国語の方言などのヴァリエーションなども含めると100を越えるものとなっています。

 それぞれの言語で表された「主の祈り」は、できる限り当該言語の活字を用いるようにしているようで、ギリシャ語や、シリア語、ヘブライ語といったキリスト教における重要言語はもちろんのこと、それ以外の数多くの言語が活字によって表現されており、ベンジャミンが本書のために驚くべきほど多彩な言語の活字を駆使したことが見て取れます。また、活字製作が叶わなかった言語についてはテキスト全体を銅版画によって製作することで表しています。ローマ字で表現されていない言語については、その読み方についてローマ字で表現したテキストを別途掲載して、読者がその活字を読むことができなくとも発音については理解することができるように工夫されています。

 本書に収録されたアジア諸言語の中でも、中国語については特に詳しく紹介されていて(p.29-)、銅版画によって1ページすべてを用いて表現された「主の祈り」が掲載されており、マンダリンのローマ字表記と、方言(Alia. 広東語?)でのローマ字表記が次ページに記されています。また、台湾語とされる言語と日本語については62ページで紹介されていますが、当時ヨーロッパにおいて情報がほとんどなかったと思われる台湾語とされるローマ字で表現された言語がいかなる資料を参照して製作されたのかについては記されていません(「台湾語」を捏造したことで一世を風靡したことで知られるサルマナザールによる世紀の偽書『フォルモサ』(An historical and geographical description of Formasa,...London, 1705)は、本書の最初の版が出版された1700年の時点では未刊行)。

 日本語については非常に残念なことに著者はそのテキストを入手することができなかったようで、その旨が率直に記されています。先に述べたように『どちりな・きりしたん』などのキリシタン版には「主の祈り」を記したテキストが掲載されているのですが、本書刊行時点のロンドンにおいて著者が同書を見出すことは不可能だったようです。ただ、ベンジャミンは日本語の「主の祈り」のテキストを見つけることはできなかったとしつつも、その言語は中国語で用いられる文字と同じ文字で表現できるであろうことは間違いないという趣旨のことを述べており、また巻末に掲載されている各国語で表現された「主、父」(PATER)を意味する語彙を集めた一覧集の中でも日本語で「父(Chichi)」「しのぶ(Xinobu)」という語を具体的に掲載していて、「主の祈り」全文は入手し得なくとも著者が日本語についても精力的に調査を行っていたことがうかがえます。

 本書はこのように世界各地の言語を、ヨーロッパキリスト教世界において最も重要とされる「主の祈り」という共通のテキストで表現したという非常にユニークな作品ですが、本書におけるこうした試みは後年の研究者にも影響を与えたようです。たとえば、先にその名を挙げたミュラーが『東洋と西洋諸言語の達人』(Orientalish- und Occidentalischer Sprachmeister…Leipzig, 1748)において、本書をさらに発展させる形で約200もの言語で表現された「主の祈り」の紹介を試みていることを確認することができます。こうした試みは19世紀に入っていくと、次第に現在の歴史言語学や比較言語学の原点に連なるような研究へと発展していくことになりました。その意味でも、本書はこうした後年の研究の一つの起点となった著作として、また数多くの言語を活字や銅版画で表現することを試みたという点で、印刷史上においても重要な著作と言えるものでしょう。

 なお、本書は「新版」とされている版でも複数の異なる刊行年記を持つ諸本が存在することが確認されており、本書に先立つ1700年に刊行されたものが最も早いものではないかと推定されます。