書籍目録

『フローレスとスピノラ、日本で信仰に尽くした宣教師たちの殉教に関する簡潔な記録』

デッカーズ

『フローレスとスピノラ、日本で信仰に尽くした宣教師たちの殉教に関する簡潔な記録』

1867年 アントワープ刊

Decker, L.

FLORES EN SPINOLA OF beknopte beschrijving der MARTELDOOD DIER GELOOFSZENDELINGEN IN JAPAN.

Antwerpen, J. B. Van Roey, 1867. <AB202495>

¥55,000

9.5 cm x 16.1 cm, pp.[1(Title.), 2], Front., pp.[3], 4-127, Contemporary half cloth on marble boards.
タイトルページと口絵裏面に旧蔵機関による押印、表紙にラベルあり。

Information

元和の大殉教において犠牲となったルイス・フローレスとカルロ・スピノラに焦点を当てた日本宣教小史

 本書で描かれているスピノラ(Carlo Spinola, 1564 - 1622)は、イタリア、ジェノバの名門スピノラ家出身のイエズス会士で、1602年に来日して1622年にいわゆる元和の大殉教で亡くなった人物です。スピノラは日本滞在中に精力的に布教活動に従事しただけでなく、その豊かな学識を生かして長崎の経度測定や、天文学、数学の日本への紹介など学問的にも多大な貢献を成したことで知られています。スピノラの殉教は、それがヨーロッパに報じられると直ちに大きな反響を呼び、甥であるアンブロージオによる伝記が1628年にイタリア語で刊行されており、以後アントワープのプランタン社からラテン語版が1630年に刊行されるなどその伝記が繰り返し再版され続けました。

 また、本書のもうひとりの主役であるルイス・フローレスは、1620年にドミニコ会士の神父として、アウグスティノ会の神父ズニガ(Pedro de Zuñiga, ? - 1622)と民間のスペイン人2人と共に、平山常陳を船主とする日本船に乗り込み、長崎へと向かいました。当時の日本はすでにキリスト教弾圧が非常に厳しくなっており、神父の立場で日本に入国することは直ちに処刑されることを意味していたので、平山以外には神父であることを隠しての密航でした。しかし、その航海途上においてフローレスらが乗船した船は、ヨーロッパでスペインと交戦中であったイギリス船に拿捕されてしまい、平戸へと連行されてしまいます。平戸でフローレスとズニガは長崎奉行長谷川権六と平戸藩によって取り調べられ、またイギリスと当時同盟関係にあったオランダ人からも拷問を受けたと言われています。度重なる尋問(拷問)にも関わらずズニガとフローレスは自身が神父であることを決して認めようとしませんでしたが、同船していた日本人をかばうためにズニガとフローレスは自らが神父であることを遂に認め、1622年8月に長崎西坂刑場にて平山常陳と共に火刑に処せられました。

 本書は、この共に1622年に殉教したフローレスとスピノラが、1868年に列福されたことを記念して刊行された著作と思われます。とくにオランダ語圏のアントワープが輩出した殉教者であるフローレスを、もとよりヨーロッパ屈指の名門であったスピノラ家が排出したカルロ・スピノラとを併せてオランダ語で紹介することで、彼らの偉業をオランダ語圏で改めて顕彰しようとする狙いがあったものと考えられます。本書は130ページ弱の非常にコンパクトな書物ではありますが、下記のような全7章構成で、二人の殉教に至る経緯や当時の日本の社会状況の紹介までが簡潔に記されています。

第1章:日本における宣教活動概観 (p.3-)
第2章:長崎(Nangazaki)の聖なる山(西坂)(p.23-)
第3章;さらなる迫害 (p.38-)
第4章;(大村領の鈴田)牢内のスピノラ (p.54-)
第5章:アントワープの殉教者(フローレス)(p.70-)
第6章:大殉教前夜 (p.88)
第7章:大殉教(pp.107-127)

 書物のボリュームのコンパクトさとハンディサイズであることから推測するに、より多くの人々に安価で広めようとする意図が感じられる作品ですが、現存するものは非常に少ないようで国内機関での所蔵も確認できないように見受けられる大変貴重な1冊です。