書籍目録

『精緻な銅版画によって彩られた、イエズス会創立者イグナティウス・ロヨラ神父による霊的修行(『霊操』)』

ロヨラ / (ルーベンスほか)

『精緻な銅版画によって彩られた、イエズス会創立者イグナティウス・ロヨラ神父による霊的修行(『霊操』)』

初版 1673年 アントワープ刊

[Ignatius of Loyola].

GEESTELYCKE OEFFENINGHEN VANDEN H. VADER IGNATIVS VAN LOYOLA Instelder van de Ordre der Societeyt Iesu… Alles verclaert ende verciert met schoone kopere printen.

T’Antwerpen (Antwerp), Michiel Cnobbaert, 1673. <AB202494>

In Preparation

First edition.

8vo (9.5 cm x 16.7 cm), Front., pp.[1(Title.), 2], 3-141, 152(i.e.142), 153(i.e.143), 144-251, 6 leaves, Plates: [56], Contemporary vellum.
[Sommervogel, Vol.5: 68, 64(Latin ed.), 69(French ed.)]

Information

絵入『霊操』の決定版として大きな影響を後年に与えた重要作品

本書は、イエズス会創立者イグナティウス・ロヨラの主著である『霊操』に56枚もの銅版画を新たに付加した作品で、1673年にアントワープでオランダ語で刊行されました。ラテン語ではなく俗語であるオランダ語を採用することによって、またルーベンスはじめ16世紀から17世紀にかけてアントワープで活躍した画家、同版画家による優れた原画をもとにした銅版画を多数収録することで、より一般の信徒が『霊操』に親しみを持って日々の精神修養を行えるように工夫されていることが大きな特徴で、視覚表現を非常に重視したロヨラとその方針を引き継いだイエズス会が手がけた最重要作品である『霊操』諸本の中でも、極めて大きな意義を有する作品です。

 『霊操』はイエズス会において最も重要な作品として知られ、ロヨラ自身が経験した神秘的体験を通じて、信徒の信仰を高めるための実践的な手引書で、ロヨラが生前から何度も推敲を重ね続け1548年にようやくローマ教皇の許可を経た上で刊行されました。『霊操』は、冒頭に指導者が本書を用いる上で注意すべき事柄をまとめた総注が置かれていて、それに続いて本論が書かれています。『霊操』における精神修養は合計4週間を基本とするもので、第1週では神を敬うことや原罪の意義などを主題とし、第2週は人類の救済者であるキリストの生涯に思いを寄せることを、その生涯を象徴する様々な場面とその意義についてを主題としています。第3週ではキリストが受けた苦しみと磔刑における死を、そして最後の第4週ではキリストの復活を主題としています。

「神秘家であり、教育課であるイグナティウス・デ・ロヨラは1冊の本『霊操』によって人間を神の世界にさそいこもうとする。近寄ってきたすべての人間の未来がイグナティウス・デ・ロヨラの関知せねばならぬことである。霊操をうけるすべての人間に、神への道を辿らせることがイグナティウス・デ・ロヨラの目的であり、その目的を達成するための普遍的なプログラム、万人に共有されるはずの方法の指針が『霊操』であらねばならない。それは従って極めて合理的な、筋道のみをさししめす書物となり、神への道を指示する抽象的な論理体系となり、記号論理学の書物に近いような形態となる。各々異なった個性を持つ個々の人間を対象とするために、かえって抽象的な言語体系となる。」
(垣花秀武『イグナティウス・デ・ロヨラ』講談社、1984年、300ページより)

 このように『霊操』はロヨラ自身の神秘体験を、全ての信徒が追体験することを可能にするための実践的な手引書であると言えますが、上記にもあるように内容の普遍性を高めることを意図したその文体は抽象度の高いもので、実際に同書を用いた精神修養を行う際には、指導者による監督を基本的に必要としています。しかし、ロヨラ自身は、『霊操』のテキストに見られるような極めて抽象度の高い言語を用いることによって普遍性を高めることを重視する一方で、絵画や銅版画といった視覚芸術を通じて信仰を深めることの重要性、必然性を強く意識していました。このようなロヨラの視覚芸術の重視と、16世紀以降めざましい技術的進歩を遂げつつあった銅版画を大いに用いたイエズス会による書籍出版との結びつきの重要性については、近年数多くの研究がなされており、改めてその意義が検討されるようになってきています。

「彼(ロヨラのこと:引用者注)は自らの住まいに宗教画の小コレクションをもち、絵画の前で祈祷し、瞑想するのが常であったと記録されている。しばしば彼は、わき上がる雲と光の中にイエスを抱く聖母の幻視を見た。彼自身の体験もあって、ロヨラは霊魂の上昇に際して、とりわけイエスと聖母マリアのイメージが宗教的霊感を鼓吹するものであることを知り、積極的に、これを修道士の修練法に用いた。とくに、惰性に堕ちた日常のなかで、画像によって、イエスと聖母の苦難や犠牲、血、涙、苦痛、歓喜などを、あたかも眼前にしたかのようにつぶさに体験することが信仰心の活性化にとって不可欠だと信じ、教会において、それらの効果的な聖画像を設置し、崇敬することをすすめていた。これはトレントの公会議第25盛会議で公布された命題と一致する。すなわち、1563年12月3日、聖遺物、聖画像の崇敬の布告が決定されているが、そこには「キリスト、マリア、聖人たちのイメージを、特に教会のなかに置き、これを崇敬すべきである」と書かれているのはすでに述べたとおりである。イグナティウス・デ・ロヨラの宗教美術館はトレントと一致していた、というよりも、トレントの聖画像重視にはイエズス会の理念が反映していたと見るべきであろう。
 彼は聖書の事件を歴史的にも空間的にも彷彿とさせるように福音書の挿絵を描くことが修行にとって重要だと考えていた。そのために絵画にとってもっとも重要なことは「場の設定」であり、教義的にも歴史的にも正統的な人物とその配置を構想することが必要だと考えた。おそらく過去の聖人のなかで、福音書を正確に図解することを真剣に考えた者は彼以外にはいなかったであろう。
 このことは、ロヨラとイエズス会が聖書の「情景」を信仰にとって重要なメッセージだと考えていたこと、すなわち、イエスと共通の体験をすることが、信仰にとって重要であり、そのためには、喚起の方法として言語的、理論的な手段だけではなく、視覚的、感覚的な手段もまた必要だと認識していたことを意味する。」
(若桑みどり『聖母像の到来』青土社、2008年、83-84ページより)

 本書はこうしたロヨラとイエズス会による視覚芸術の重視と、同会を象徴する最重要著作である『霊操』とを有機的に結びつけた極めて重要な作品です。本書が出版されたアントワープは、プロテスタント国であるオランダと堺を接する対抗宗教改革の「最前線」都市としてイエズス会がその拠点を有していたヨーロッパ北部最大の都市であると同時に、世界中の人、モノ、情報が行き交うヨーロッパ屈指の国際都市として、現在ではその工房が世界遺産にもなっているプランタン社をはじめとして優れた出版社が軒を連ねる出版都市でもありました。本書を手がけた Michiel Cnobbaert (? - 1706)は、数多くの教理書や宗教書の出版を手掛けたことで知られ、アントワープのイエズス会教会のすぐそばに工房を構えるなどイエズス会との関係も極めて深く、多数の優れた銅版画を収録していることでも著名なハザルトの『世界教会史』の出版も手掛けるなど、その技術力においてもイエズス会との関係の深さの点でも、当時のアントワープにおける屈指の出版社であったと言えます。

 冒頭に置かれたロヨラ自身の肖像画を別として、本書には56枚もの銅版画が本文中に収録されており、『霊操』のテキスト理解や精神修養の実践に資することを意図して、本文テキスト随所にこれらの銅版画が配置されています。銅版画を手がけたのはアントワープで当時活躍していた銅版画家である Frederik Bouttats (the Younger)であるとされていますが、その原画は特定の画家一人の作品ではないようで、作品ごとに大きく筆致の異なる銅版画が見受けられます。その中には明らかにルーベンスによる油彩画を手本にしたと思われる作品も含まれており、優れた画家と銅版画家を数多く輩出したアントワープならではの出版物であると言える銅版画群です。収録されている銅版画は、「東方三博士」のような一般的によく見られる主題を描いたものもあれば、魂と信仰のあり方を左手に象徴的に描いたような極めて抽象性、象徴性の高い作品もあり、それぞれの銅版画作品が『霊操』のテキストそれぞれの最適箇所に工夫を凝らして配置されていることがうかがえます。テキストと銅版画を組み合わせて読む(観る)ことで、『霊操』の読者がその信仰をより深めることができるよう、入念にテキストと銅版画が組み合わせれており、その意味で本書は、抽象言語と視覚芸術を共に重視したロヨラとイエズス会を象徴するような作品であると言えるでしょう。

 本書は一定の人気を博したものと思われ、版を重ねて刊行されただけでなく、本書刊行と同年中に同じ出版社からフランス語訳版が刊行されているほか、1676年にはラテン語訳版も刊行されています。さらに本書と同じコンセプトに基づいて『霊操』のテキストと銅版画を組み合わせた『霊操』が本書以外にも刊行されるなど、後年に至るまで大きな影響力を与えました。後年の類似書の中には本書に採用されている銅版画を転用する作品も確認できることから、本書は「絵入版『霊操』」の原点となった作品であるとも言えます。
 なお、本書はイエズス会が刊行した数多の著作の中でもとりわけ重要な作品として現在でも高く評価されており、例えば2009年に刊行された Jesuit Books in the Low Countries, 1540-1773: A Selection from the Maurits Sabbe Library. (Leuven, Peeters)においても、本書は大きく取り上げられています(Mia M. Michizuki. Igantius of Loyola S.J., Geestelycke oeffeninghen (1673).pp196-201)。