書籍目録

『パリ万博を訪れた帝国、王室関係者たち;1867年パリ万博記念』

(徳川昭武)

『パリ万博を訪れた帝国、王室関係者たち;1867年パリ万博記念』

(大型石版画) [1867年] パリ刊

anon.

LES VISITEURS IMPÉRIAUX ET ROYAUX A L’EXPOSITION: SOUVENIR DE L’EXPOSITION UNIVERSELLE DE 1867.

Paris, Lebigre Duquesne, [1867]. <AB202423>

¥660,000

42.0 cm x 59.0 cm, Large lithograph,
一部に破れの補修跡が見られが概ね良好な状態。[BNF: FRBNF41525555]

Information

1867年のパリ万博を記念して製作された大型石版画に列強国君主たちと並んで描かれた徳川昭武

 縦約40センチ、横約60センチという比較的大きな用紙に印刷されたこの石版画作品は、1867年にパリで開催された万国博覧会を記念して製作されたもので、各国政府高官などに記念品として贈呈するために極少部数のみが印刷されたと推定される珍しい作品です。1867年のパリ万博は、幕府と薩摩藩との熾烈な外交戦が展開されたことでもよく知られていますが、将軍慶喜の名代として派遣された徳川昭武が、日本の正当な主権者として他の列強諸国の君主らと並んではっきりと視覚的に表現されているという大変興味深い石版画作品です。

 1867年のパリ万博は、日本の公式参加やジャポニスム興隆の契機となったことなど、日本との関係が非常に深い万博としてよく知られており、近年でも優れた研究が発表される(その代表例の一つとして、寺本敬子『パリ万国博覧会とジャポニスムの誕生』思文閣出版、2017年)など多くの研究対象となってきた万博でもあります。

「(前略)より広範なヨーロッパの人々にとって、「日本」との関わりに大きな変化をおよぼすきっかけとなった出来事こそ、万国博覧会への日本への参加であったように思われる。事実、万国博には街の商店とは比較にならない規模の日本の品物が展示され、これが万国博を訪れた多くの人々にとって「日本」に直に接し、異なる文化を「発見」する機会となったのである。
 また、1867年パリ万国博におけるフランスと日本の出会いは、その後、両国の交流関係の発展にとって大きな意味を持つことになる。日本にとっては、自らの存在を諸外国に発信するだけでなく、ヨーロッパの最先端の産業・技術および文化を知る類まれな機会となったといえよう。本書の第I部で詳述するように、パリの博覧会場では幕府と薩摩藩が展示方法をめぐって対立するが、この参加はそもそも「日本」の主権をどのように諸外国に示すのかという、とりわけ「外交」にかかわる重要な問題を含んだものであった。すなわち日本は、万国博を外交上のアピールの場として当初から重視していたのである。この万国博に将軍名代として参加した徳川昭武(1853〜1910)は、兄であった将軍慶喜(1837〜1913、在職1866〜1867)から、パリ万国博に参加するだけでなく、「フランスにおいて3年から5年、さらに長期にわたって留学すること」を命じられ、西洋の近代的な学識を身につけることを要請された。また昭武に随行した渋沢栄一(1840〜1931)や、1878年パリ万国博で中心的な役割を担う前田正名(1850〜1921)が、その後の日本の近代化の立役者となることは指摘しておいてよいだろう。」
(前掲書、11ページより)

 このように日本にとって大きな起点となったと言える1867年のパリ万博には、西洋列強諸国が揃って参加しただけでなく、エジプトやオスマントルコといったヨーロッパ外の諸国からの参加も増加し、より「万国」博覧会という日本語の名称に近い実態の博覧会となり、主催国であるフランスの威信を大いに高めることに成功しました。この石版画作品は、この万博において一層その輝きを増したフランスの威信を記念すべく製作された記念品と思われるもので、万博に参加した列強諸国の君主らが、ナポレオン3世親子らと並んで一堂に会した場面を描いたものとなっています。もちろん、現実にこのような光景があったわけではなく、万博会場を背景にフィクショナルに構成された場面ではありますが、それぞれの人物の顔は極めて写実的に描かれており、肖像画や写真などを用いて細心の注意を持って描かれていることがうかがえます。ここに描かれている人物とその肩書きのテキストを列記していきますと、左より

・スルタン:アブドゥルアジーズ(オスマントルコ)
・アレクサンドル2世:ロシア皇帝
・ナポレオン3世:フランス皇帝
・ルイ・ナポレオン:フランス皇太子
・フランツ・ヨーゼフ1世:オーストリア皇帝
・ルイス1世:ポルトガル王
・ヴィルヘルム1世:プロイセン王
・エドワード7世:(イギリス)皇太子
・レオポルド2世:ベルギー国王
・イスマーイール・パシャ:エジプト副王
・大君(徳川昭武):日本皇帝の弟君

となります。

 ここに居並ぶ列強諸国の君主たちと並んで徳川昭武が描かれていることは特筆すべきことで、フランスにとってもこの万博への日本への参加、そして徳川昭武のパリ訪問が非常に重要な出来事であったことを示しています。パリを訪れた徳川昭武率いる日本の派遣団は当時大きな話題となっており、絵入新聞や週刊誌などでもその姿を描いた図や動向を報じた記事が度々掲載されましたが、本図のように特別の記念品として製作された石版画作品において、しかも他の列強君主らと並んで描かれていたことは、これまであまり知られていなかったのではないかと思われます。

 また、このことは先の引用文にもあるように、パリ万博を「外交の場」として、日本の主権の所在が幕府にあることを諸外国にアピールすることを一つの大きな目標としていた幕府の目論見が、ある程度成功していたことを示す作品ではないかと思われます。この万博では薩摩藩が独自に出品を試み、徳川幕府が日本を構成する諸藩の一つに過ぎないといった主張を現地メディアを用いて喧伝するなど、幕府の主権の正当性を対外的に弱めようとする積極的な薩摩藩の情報戦が展開されたことがよく知られていますが、本図はそうした薩摩藩の情報戦略にもかかわらず、徳川による江戸幕府が日本の主権者であることを視覚的にはっきりと表現した作例として非常に興味深い作品であるように思われます。

 この石版画作品は、フランス国立図書館やパリ市立近代美術館などに所蔵されていることが確認できますが、記念品として少部数のみが製作されたことが推測されることもあってか、国内外を問わず現存数が非常に少ないように見受けられます。ジャポニスムや日本の近代化、そして幕末の外交戦など、さまざまな点において日本や諸外国に大きな影響を与えた1867年のパリ万博において製作された、非常に興味深く、貴重な視覚作品の一つに数えることができるものでしょう。