書籍目録

『ジャパン(英文日本案内)』

ジャパン・ツーリスト・ビューロー / 杉浦非水(表紙)

『ジャパン(英文日本案内)』

初版(第二刷) 1913年 東京刊

Japan Tourist Bureau.

JAPAN.

Tokyo, The Tokyo Printing Co., LTD, 1913. <AB2020295>

Sold

First edition (Second issue).

21.2 cm x 23.2 cm (Folded: 11.0 cm x 23.2 cm), pp.1-44, Tourist Map, pp.45- 88, Original pictorial paper wrappers

デザイン表紙の真ん中部分を折ることで、携行に便利な縦長となる仕様。観光当時の配布期間のステッカーが表紙に貼られている。

Information

ビューローによる記念すべき最初の英文日本案内

 本書は、ジャパン・ツーリスト・ビューロー設立の翌年(1913年)に刊行された、ビューロー最初の日本全体を対象とした英文日本ガイドブックです。ビューロー最初の英文ガイドブックとして非常に優れた内容であることに加えて、杉浦非水による五重塔と紅葉を効果的に配した巧みなデザインも非常に特徴的です。ビューローによる英文ガイドブック『ジャパン』は、本書刊行以降も細かなアップデートを繰り返しながら幾度も版を重ね、また後年には鉄道省や国際観光局からも同様の英文ガイドブックが多数刊行されていて、その意味において、本書は戦前にこれらの機関から刊行された英文ガイドブックの原点ともいうべき貴重な1冊と言えます。

 日本交通公社の前身である、ジャパン・ツーリスト・ビューローは、1912(明治45)年に設立された、来日外国人観光客の誘致と応対を目的とする団体です。以前から活動していた喜賓会(Welcome Society of Japan)をより発展的に継承した団体で、鉄道院や帝国ホテルをはじめとした外国人向けホテル、日本郵船など関連業界からの賛同を受け設立された半官半民の組織で、現在の日本交通公社の前身にあたるものです。ビューローの設立については、鉄道院の木下淑夫が中心的な役割を果たしており、喜賓会の渋沢栄一と鉄道院総裁であった原敬への木下の積極的な提案により、鉄道院の出資とビューローの設立が可能となったとされています。ビューロー発足時には、サトウやチェンバレンをはじめとした外国人の手になる本格的なガイドブックがすでに数種類存在しており、また鉄道院による全5巻からなる記念碑的なガイドブック(An Official Guide to Eastern Asia.)もすでにその準備が進められていました。従って、ビューローとしては、こうした本格的な大部のガイドブックとは目的が異なる、簡便ながらも外国人来日観光客にとって必要な情報をコンパクトにまとめた小冊子のガイドブックを制作することにして、本書を刊行しました。このガイドブックについては、ジャパン・ツーリスト・ビューローの設立25周年を記念して刊行された回顧録に下記のように記されています。

「ビューローで初めて英文日本案内(ジャパン)をつくったのは大正2年11月であった。尤もこの以前にも軽井沢とか、松島、伊香保などの簡単な英文案内地図や欧亞連絡のダイヤグラムなど作製したが、纏ったものとしてはこの『ジャパン』が最初である。大體この印刷物に就ては生野團六氏は外客誘致、日本紹介の為に海外へ配るものと、内地へ来遊した外客の便宜に供する為にこちらで配るものと2種に分けて考え、前者には一般的興味を盛ると共に必ず旅費、交通、所要時間其他を記し体裁なども十分考慮を加える、後者は実用本位にして便利第一主義で行くという方針であった。軽井沢とか松島などのローカルなものは実用本意で、この日本案内(ジャパン)は前者に属するものであった。日本案内(ジャパン)の内容は一般記事のほか海外主要都市から我が国へ来る経路、日数、費用、我が国のホテル、旅行時期、見物個所などを興味深く且要領よく記述し、朝鮮、満州、支那、台湾への旅行計画を併記し、挿入写真風景風俗50枚、ほかに地図を附したもので原案は生野氏の監修の下に鉄道院営業課にいた中谷義一郎氏が作成、勝俣詮吉郎氏が翻訳、英国人シー・エフ・スチーヴンス氏が校閲された。
 型は当時未だ珍しかったスタンダード・サイズ、表紙の図案は杉浦非水氏の考案で、朱の地色に紺色で五重塔を描きJAPANの文字を金色で表したものである。杉浦非水氏は当時三越図案部に勤務、新しい様式の図案を盛んに発表され、わが国商業美術今日の基礎をつくられた頃で、これが機縁となり、ツーリストを初めビューローで発行する主な印刷物の図案は殆んど全部同氏を煩わすこととなった。印刷は東京印刷会社であった。これは最初米国でやらせようという意見で東洋汽船を介し米国から見積書も取寄せたが、こうした機会に我が国の印刷界の進歩を促すのも大切であるということから、生野氏が海外から持帰られた印刷物を見本として、東京印刷に依頼したのであった。用紙はわざわざ英国に注文し活字やインキなどに就ても最新の注意を払っただけあって、その出来栄えはすばらしいものであった。果たして当時の印刷界に大きなセンセーションを起し、最初3万部を印刷し間もなく4万部増刷したと記憶している。]
(山中忠雄編『回顧録』ジャパン・ツーリスト・ビューロー、1937年、80-82頁より)

 本書は、まさに上記に記された最初の英文日本案内(ジャパン)にあたるものですが、「巣の地色に紺色で五重塔を描き」というのは概ね特徴が合致しているものの、「JAPANの文字を金色で』という記述とことなり、赤字でJAPANの文字は描かれています。なぜこのような食い違いが生じてしまっているのかは現時点では不明ですが、表紙下部のJAPAN TOURIST BUREAUの白文字の地色が金色になっていることから、あるいはこの特徴と混同して記憶違いのまま上記引用文が記されてしまったのかもしれません。また、用紙もイギリスから取り寄せたとありますが、確かに表紙は高級感のある細かなエンボス加工が施されている用紙が使われていて、本文も艶と厚みのある高級感ある用紙に印刷されています。

 本書の構成は下記のようになっています。

序論
ジャパン・ツーリスト・ビューローの紹介
日本への行き方(HOW TO REACH JAPAN)
I. ヨーロッパ・日本間 (Between Europe and Japan)
-A. シベリア横断ルート(The Trans-Siberian Route)
-B. スエズ運河経由ルート(Route via Suez)
II. アメリカ・日本間 (Between America and Japan) 東洋汽船、日本郵船、大阪商船、パシフィックメイル、チャイナメイル各社の太平洋航路案内
III. オーストラリア、インド、東インド・日本間 (Between Australia, India, Oceania, and Japan)

旅のヒント集 (HINTS TO TRAVELLERS)
1. パスポート(Passports)
2. 税関検査(Customs Examination)
3. 条約(国際)港での各種施設、機関への接続 (Connections at Treaty Ports)
4. ホテル (Hotels)
5. 交通機関 (Transit Facilities)
-a. 帝国鉄道(Imperial Government Railways)
-b. 私鉄、路面電車ほか (Private Railways, Tramways, etc.)
-c. 沿岸汽船 (Coasting Steamer Service)
-d. 人力車 (Jinrikishas)
-e. 馬車と自動車 (Carriages and Motor-Cars)
6. 通貨 (Currency)
7. 度量衡 (Weights and Measures)
8. 郵便と電信 (Post and Telegraph)
9. 写真撮影 (Photographing)
10. 元号(”Era-Names”)
11. 旅行に適した季節 (Travelling Seasons)
12. 気温(Temperature)
12. 娯楽 (Amusements)
13. 鉄道時間(Railway Time)
14. 旅行に適した服装(Travelling Wardrobe)
15. 娯楽(Amusements)
16. 歴史的建築物と遺跡 (Historical Monuments and Relics)
17. ビューローによる各種機関への紹介文(Letters of Introduction)
18. 買い物 (Shopping)
19. ガイド (Guides)
20. 新聞と書籍 (Newspapers and Books)

旅行計画 (ITINERARIES)
A. 観光名所 (Tourist Points)
*ここに旅行地図(TOURIST MAP)も含まれる。
B. 2週間から6週間までの旅行行程例 (Specimen Tours)

朝鮮、満州、中国、台湾 (KOREA, MANCHURIA, CHINA, AND FORMASA)
A. 朝鮮 (Korea (Chosen))
B. 満州 (Manchuria)
C. 中国 (China)
D. 台湾 (Formosa (Taiwan))

図1. 鉄道料金表
図2. 汽船料金表

ビューローの紹介による外国人旅客が訪問できる各種施設
ビューローの会員機関
ビューローの役員
ビューローのオフィス

 1913年にビューローから刊行された『ジャパン』ですが、上掲の引用文でも、初版3万部を発行し、さらに増刷して4万部が追加で発行されたと言われていることから、非常に好評を博したのではないかと思われます。ただ、この発行部数については後年の記憶違いの可能性もあり、同年12月にビューローから発行された雑誌『ツーリスト』第1巻第4号では「目下印刷中の1万部完成に引続き、更に2万部を内地に於て印刷し、同時に桑港に於て印刷のことに附き、東洋汽船会社に依頼して取調のこと」(34ページ)と記されています。『ツーリスト』における記事は、ガイドブック刊行と同時代の記述ですので、部数としてはおそらくこちらの方が正しいと考えるべきでしょう。また、東洋汽船会社に依頼してサンフランシスコでの印刷云々という記述については、果たしてそれが実現したのか、あるいは『回顧録』で指摘されているように日本の印刷業界発展のために結局日本の印刷会社に任せることになったのかについては定かではありません。

 この1913年版『ジャパン』は、その正確な発行部数はともかくとして、少なくとも数万部が発行されたことは間違いないと思われますが、ガイドブックという旅行が終了すれば廃棄されることが多い出版物であるため、現存するものは殆どなく、おそらく本書以外に唯一の確認できるものがハーバード大学図書館の所蔵本です。このハーバード図書館所蔵本は、ほぼ本書と同じ内容ですが、写真の配置など細部が微妙に異なっており、この相違は、先に指摘のあった最初に刷られたもの(初刷)と、追加で刷られたもの(第二刷)との間の相違に該当するものと考えられ、第二刷発行に際して、細かな手直しが施されたことを物語っています。

 では、ハーバード所蔵本と、本書とのいずれが初刷に該当するのかというと、おそらくハーバード所蔵本ではないかと思われます。といいますのも、ハーバード所蔵本の表紙は、本書とほぼ同じ意匠ではありますが表紙の表面と裏面とを広げた際に、本書のように1枚の繋がったデザインとはならず、また表紙下部に「1913年7月(July, 1913)」という本書に見られない記述があります。表紙のデザインとしては、本書のように一枚繋がりのデザインとなる方が、当然意匠として優れていると考えられることから、ハーバード大学図書館所蔵本に見られるような、表紙の表と裏とがつながらないデザインのものは、印刷上の何らかの手違いによってできてしまったものではないかと思われます。よって、これを増刷の際に改め、本書のように表紙が一繋がりとなるようにし、合わせて「1913年7月」との記載を削除した、と考えることができるでしょう。従って、本書はビューローによる最初の英文日本案内として「初版」と呼ぶことができますが、より正確には、「初版第二刷」と呼ぶべきと思われます。

 ビューローが作成した英文ガイドブックについては、これまでも研究上で言及されることはありましたが、実際にその現物を所蔵している研究機関が少ないためか、特に初期の形態、内容については具体的なことが実はあまりよく分かっていないものと思われます。ビューローの英文ガイドブックは、1930年代まで鉄道院に発行元を変えながらも長年にわたって繰り返し作成されており、その内容、意匠の変化も含めて、いかなる変遷をたどったのか、またその背景に何があったのかということを解明することは、ビューローを中心とした当時の日本の観光政策の内実を実証する上では欠かせない作業と言えるでしょう。その意味において、本資料は、比較的初期のビューローによるガイドブックにあたることから、後年発行のものや、それ以前の喜賓会による各種ガイドブックやガイドマップなどの刊行物との比較研究に際して参照点となる貴重な研究素材と言えるものです。

(参考)初版初刷と思われるハーバード大学図書館所蔵本の表紙。広げた際に表紙デザインが繋がらず、下部に「1913年7月(July, 1913)」という白地の記載がある点が、本書と異なる。内容は殆ど同じだが、写真の配置など細部に変更が加えられている。