本書は、1619年にスペインのセビーリャで刊行されたフランシスコ・ザビエルの伝記です。ザビエルの伝記の名著として名高いトルセリーニ(Orazio Torsellino, 1545 - 1599)による作品(De vita B. Francisci Xaverii,...Roma, 1594)と並んで、17世紀初めに刊行されたザビエルの古典的名著として知られる作品で、ポルトガル人のイエズス会士であるルセナ(Joan de Lucena, ? - 1600)によって著されたポルトガル語原著(Historia da vida do padre S. Francisco de Xavier,...Lisbon, 1600)からスペイン語に翻訳されたものです。本書は、ザビエルによる日本宣教だけでなく、当時の日本の状況、特に鹿児島や山口、京都といったザビエルが実際に訪ね歩いた各地の状況も詳しく記されており、日本関係欧文資料としても大変重要な書物です。
ザビエルによる日本宣教は、イエズス会全体にとっても、ヨーロッパ外における宣教活動の輝かしい成功事例として非常に重要な功績として受け止められており、16世紀末からザビエルの伝記が立て続けに刊行されています。最初に最も浩瀚な伝記として高い評価を受けたのが、イタリア人イエズス会士トルセリーニよるもので、決定版とされる1596年版はザビエルが各地から認めた書簡集も収録してザビエルの功績を詳細に伝えただけでなく、アジア各地の風俗を伝える書物としても広く読まれました。本書の著者ルセナによるザビエルの伝記はこれに続くもので、1600年にポルトガル語で刊行されてから大いに注目を集め、1613年にはイタリア語版が刊行され、さらにスペインのイエズス会士サンドヴァル(Alonso de Sandoval, 1576 - 1652)によって翻訳されて、本書であるスペイン語版が1619年に刊行されました。ルセナによるザビエル伝記の特徴は、既に好評を博していたトルセリーノのそれを上回る詳細な情報とルセナ独自のものとも言える日本についての詳細な記述を収録していることで、それが時に長大すぎるとの批判を受けるほど充実した内容となっています。
「ザビエルの伝記も、没後間もなくからイエズス会士達によって執筆されている。オラシオ・トルセリーニ(1545〜99)の『フランシスコ・ザビエルの生涯』(ローマ、1549年)は、ザビエル伝としては最初に刊行され、広範囲にわたって流布したものである。同書は、1596年にラテン語版の再版(*改訂増補版;引用者注)、1600年に3版、スペイン語版、05年にイタリア語版、翌06年に同再版、08年にフランス語版が出版されており、その後もヨーロッパ各地において多数の版を重ねている。また、ジョアン・デ・ルセナ(1550〜1600)によるポルトガル語の『フランシスコ・デ・ザビエルの生涯』(リスボン、1600年)は、トルセリーニによる伝記と並ぶザビエル伝として後世のザビエル觀に多大な影響を及ぼしたものである。
伝記の作成は、その人物の列聖列福のための事蹟調査という意味を持っている。列聖列福のためには、その人物の正確な情報が必要だからである。ザビエルは1619年には福者に列せられ、22年にはロヨラと同時に聖人に列せられている。(後略)」
(浅見雅一『概説キリシタン史』慶應義塾大学出版、2016年、51-52頁より)
本書は、全10章(書)で構成されていて、ザビエル誕生から帰天までの出来事、そして死後に生じたとされる様々な奇跡も含めて論じられています。日本については、第6章の終わり(444頁〜)から第9章(〜725頁)にかけて多くの紙幅を費やして集中的に扱われています。1545年以降、ザビエルはインドを離れてマラッカを中心に東南アジア各地で宣教活動を行なっていましたが、1547年7月にアンジロー(アンジェロ、Angelio)と呼ばれる鹿児島出身の青年に出会い、日本のことを知り当地への宣教活動を行うことを決意しています。第6章の終わりではアンジローとの出会いから日本へと旅立つまでの出来事が記されています。
第7章の冒頭は、「多くの王国と島々からなる日本諸島について」(Del sitio de las islas de Iapon, numero de los reynos, y calidades de la tierra)と題されていて、西洋における日本認識がいつから始まったのかや、その名称、位置、どのような島々で構成されているのかなどが解説されています。日本の名称については、マルコ・ポーロに由来する「ジパング(Zipangu)」に始り、Nipongi、Iapon、Gipouなど、様々な名称があることが述べられ、また多くの島々からなる日本列島は、主に大きな3つの島に集約されていて、最大の島である「日本(Nifon、本州のこと)」、「四国(Xicoco)」、「下(Ximo、九州のこと」があることが解説されています。このうち「下(九州)」については、具体的な地名として、五島(Gotto)、平戸(Firando)、薩摩(Saçuma)、天草(Amacuçà)、小倉(Conçurá)などの地名が列挙されています。こうした日本の地理についての詳細な情報は、ザビエルが来日当時にここまで明らかになっていなかったと思われますが、著者ルセナが読者のために独自に設けた記述と考えられます。また、第7章はこの冒頭部分に限らず、日本の風習や人々の性質、言語、統治機構、社会状況、宗教事情など、実に様々な角度から日本のことについて論じられていて、これらの記述もザビエルの書簡に依拠しつつ、ルセナが独自に大きく補強して記したものと思われ、ある意味ルセナの日本論が展開されているとも言えます。これらの記述は、本書が単なるザビエルの伝記という範疇を超えて、優れた欧文日本関係資料として高く評価される大きな要素となっています。
もちろんザビエルの日本における宣教活動についても当然ながら非常に詳細に論じられていて、特にザビエルが宣教活動に置いて正面から対抗する必要があった既存の宗教勢力である仏教と仏僧(坊主、Bonzos)については、その教義内容や、日本における影響力の大きさなども含めて詳しく解説されています。鹿児島(Cangoxima)への上陸から、平戸(Firando)への宣教活動の広がり、山口(Yamanguchi)を経て、京都(Meaco)への移動、そして再び山口に戻り、坊主との神学論争を行い、大内義隆から布教許可を得て、豊後での大友宗麟との出会い、そして日本を離れるまで、ザビエルの日本における宣教活動の足跡が時系列に沿って詳細に論じられていて、またその記事の随所において各地の様子や状況についての解説も付け加えられています。また、第8章では、ザビエルが仏僧と行った神学論争(宗論)について集中的に取り上げており、ザビエルが行った主張だけでなく、坊主(例えば、豊後のフカラン殿?、Fucarandono)が主張した内容とその誤りについても論じられていて、ザビエルが展開した論争の内実やその論点がどのようであったのかが非常に詳しく解説されています。ここでは、ザビエルの主張だけでなく、ザビエルとともに来日したイエズス会士、コスメ・デ・トーレスらの主張も取り上げられており、日本における宣教活動の礎を築いたイエズス会士の功績が包括的に紹介される内容となっています。
本書はザビエル伝記の名著として非常に高い評価を受け、長きに渡って読み継がれ、後世にも大きな影響を与えました。たとえば、17世紀を代表するイエズス会の歴史家であるバルトリ(Daniello Bartoli, 1608 - 1685)が1666年に刊行したザビエルの伝記(De vita, et gestis S. Francixci Xaverii e societaIesu Indiarum apostoli libri quator…Lyon, 1666)は、17世紀のザビエル伝記として名高いものですが、その記述の多くは本書に負っていることが明らかにされています。ルセナによるザビエル伝は、原著であるポルトガル語の18世紀に刊行された再版本や、1613年のイタリア語訳版が比較的よく知られており、国内でも複数の研究機関の所蔵が確認できますが、このスペイン語版については国内研究機関における所蔵が少ないようです。
なお、本書はページ付に多くの混乱が見られますが、全て印刷上の問題によるもので、内容は完備しています。詳細な書誌情報は下記の通りです。
Title., 7 leaves, pp.1-74, 57(i.e.75), 76, 79(i.e.77), 78-236, 337(i.e.237), 238-244, 345(i.e.245), 246-343, 345(i.e.344), 345-366, 267(i.e.367), 368-375, 377(i.e.376), 377-393, 384(i.e.394), 385(i.e.395), 396-458, 457(i.e.459), 460-464, 365(i.e.465), 466, 467, 469(i.e.468), 469-514, 215(i.e.515), 516-524, 255(i.e.525). 526-626, 527(i.e.627), 628-640, 541(i.e.641), 642-660, 561(i.e.661), 662-666, 567(i.e.667), 668-676, 577(i.e.677), 678, 579(i.e.679), 680-686, 587(i.e.687), 688-696, 597(i.e.697), 698-732, 719(i.e.733), 734, 735, 336(i.e.736), 737-739, 340(i.e.740), 741-747, 348(i.e.748), 749-755, 356(i.e.756), 757-759, 360(i.e.760), 761-775, 376(i.e.776), 777-848, 851(i.e.849), 852(i.e.850), 853(i.e.851), 854(i.e.852), 853-857, 10 leaves (Tabla).
「ルセナは1549年12月27日トランコーゾでアンダルシア系貴族の家に生まれ、26歳の時コインブラのイエズス会ノヴィシアード(修練院)に入った。エヴォらに移って人文学を講じた後、1577年ローマへ赴いて神学を修める。1581年ポルトガルへ戻りリスボンのサン・ロケ教会を拠点に活動、1600年10月2日に亡くなった。本書(ポルトガル語初版のこと;引用者注)は彼の主著で、ポルトガル語版はこの他に1788年刊のものがあるにすぎないが、イタリア語・スペイン語・ラテン語・ハンガリー語への翻訳がある他にフランス語への翻案がある。奇蹟を含むザビエルの事蹟を、他のイエズス会宣教師の活躍の様子とも絡めてやや装飾過多の文体で綴る典型的な『護教文学』である。」
(日埜博司「ジョアン・デ・ルセーナ編『フランシスコ・ザビエル伝』1600年、リスボン刊」(解説文)東武美術館 / 朝日新聞社編『来日450周年 大ザビエル展 図録』1999年、187頁より)