この銅製メダルは、1597年に長崎で犠牲となったいわゆる「日本二十六聖人殉教事件」の犠牲者が、ローマ教皇ピウス9世によって列聖されたことを記念して1862年に鋳造されたメダルです。1862年の26世人の列聖は、関連する数多くの書物の刊行を促しましたが、本作品に見られるように記念メダルまでもが製作されたことはあまり知られておらず、当時の反響の大きさを物語る興味深い資料ではないかと思われます。
1597年2月15日に長崎の西坂の丘の上の刑場で26人のキリスト教信者が処刑された事件は、豊臣秀吉による大規模なキリスト教迫害事件として、当時在日していた宣教師ルイス・フロイス(Luís Fróis, 1532 - 1597)による報告などによっていち早くヨーロッパに伝えられ大きな衝撃を与えました。事件から30年後の1627年に、殉教者26人は福者として列福されたことで、この事件はその後もヨーロッパで長く記憶されることになり、様々な出版物が生み出されています。その後、1858年に江戸幕府が西洋諸国との通商条約を結び、再び外交関係が開かれるようになってまもない1862年、26人は時の教皇ピウス9世によって、聖人として列聖されることになり、この事件に対する再注目と出版物の刊行を呼びました。開国後の日本には数多くの宣教師が再来日を試みており、カソリック、プロテスタント双方からの活動が活発化していきますが、この時期に日本におけるかつて殉教事件が再注目されたのは、こうしたことも背景にあったのではないかと思われます。この記念メダルは、これらの多くの出版物と並んで、二十六聖人の列聖を記念するために1862年に鋳造されたものです。
このメダルの表面には、カソリック教会を象徴した女性が中央に座しており、右手には殉教者の永遠性と勝利を讃える棕櫚の枝と冠を手にし、左手にはローマ教皇の象徴である王冠と天国への鍵が携えられています。質素でありながら荘厳な衣装は、キリストのモノグラムである「XP」の文字が中央にあしらわれ、頭上には聖性を意味する羽ばたく鳩が見えます。背景にはバチカンを代表する教会建築群が非常に細かに刻み描かれています。図柄の下部には、「26人の日本の殉教者とミヒャエル・ド・サンクティスに十全たる神の名誉が与えられた」(XXVI MARTYRIB IAPONIIS MICHAELI DE SANCTIS CONF MAIORES CAELIT HONOR ADTRIBVTI)というラテン語の文言が刻まれており、このメダルが、日本の26人の殉教者、ならびにこの時同時に列聖されたミヒャエル・ド・サンクティス(Michael de Sanctis, 1591 - 1625) の列聖を称えるものであることがわかります。
裏面には、全世界のカソリック教会の父たる教皇ピウス9世によって1862年6月8日に彼らが列聖された旨が、ラテン語の長文(EPISCOPIS EX ORBE VNIVERSO QVI APOSTOLICAE SEDIS IVRIBVS PROPVGNATIS RE ROMANA VBIQVE DEFENSA PII IX PONT MAX DESIDERIO OBSEQVVTI EIDEM VI ID IVN AN MDCCCLXII CAELESTES HONORES SANCTIS NOVENSILIBVS DECERNENTI ADFVERE CIVES ROMANI PATRIBVS ET ADSERTORIBVS CATHOLICI NOMINIS)で刻まれています。また、その下部には、ザッカニーニ(Bonfiglio Zaccagnini, 1793 - 1867)の名が刻まれていて、本作品が、ピウス9世の元て教皇を記念する公式メダルの制作に従事していたザッカニーニの作品であることがわかります。
日本の殉教者26名の列聖を記念したメダルは、当時何種類かが製作されているようですが、本作品はローマ教皇ピウス9世による公式記念メダル制作者であるザッカニーニの作品であることから、最も威厳ある作品だったのではないかと思われます。また、本作品と同じ意匠で、銀製のメダルも製作されています。日本二十六聖人の列聖を記念した1862年当時のローマの雰囲気を伝える資料として、この作品は非常に興味深い貴重なメダルと言えるでしょう。
「1862年6月8日、44人の枢機卿、243人の司教、全外交団、王族が列席するなか、ピウス9世は1597年2月に長崎で処刑された殉教者たちの列聖式を取り行った。列聖委員会により式の前日に、75枚の銀製と多くのブロンズ製からなる、これらメダルが発行された。」
(長崎歴史博物館(編)『バチカンの名宝とキリシタン文化:ローマ・長崎 信仰の証』2008年、27ページより)