本書は、18世紀の後半から19世紀初めにかけて活躍した国際法学者マルテンス(Georg Friedrich von Martens, 1756 - 1821)の主著を英訳したもので、1829年に第4版としてロンドンで刊行されています。本書は、当時のヨーロッパ、アメリカで国際法テキストの権威として広く読まれたもので、そのタイトルが示す通り、ヨーロッパ諸国間で歴史的に形成されてきた条約や実例に基づいて、国際法体系を中質しようとする実証主義的なアプローチに基づいて執筆されている点に大きな特徴があります。本書が日本との関係で非常に興味深いのは、日米修好通商条約の締結に尽力したハリス(Townsend Harris, 1804 - 1878)が、来日時途上のロンドンにおいて、本書と同じこの英訳第4版を買い求めて、自身の手引きとして用いただけでなく、日本の幕閣との交渉の場において実際に本書を用いながら、外交使節のなんたるかを日本に伝えたというエピソードが伝わっていることです。日本に伝えられた際初期の国際法の事例として、またハリスが条約締結交渉に臨む際の思考枠組みをある程度規定したと思われる点において、本書は日本と浅からぬ縁を持つ書物といえます。
本書の著者である、マルテンスは、実証主義的な国際法の体系化、歴史的に積み上げられてきた条約の整理と編纂(Recueil principaux traités. 1791- *タイトルは随時変遷)に大きな貢献を成したことで知られています。マルテンスは、国家間の条約はできる限り具体的な事例に則して個別に考察する必要があるとしつつも、歴史的に積み上げられてきた多くの条約を正確に把握、分析することで、そこから一般的な傾向や共通点を実証的に抽出することができると考えました。そのため、それまで整理や公開が進んでいなかった歴史的事例を丁寧に調査し、それらを整理して編纂、刊行すると同時に、歴史的事例研究の蓄積から導き出された国際法体系を構築することに全力を注ぎました。彼のこうした姿勢は、国際法を自然法として普遍的な法体系に基礎付けることよりも、歴史的文脈と蓄積を重視して、キリスト教国家間(具体的には、ヨーロッパ諸国にアメリカを加えた国家間)で適用しうる実証性に基づいた国際法の体系化を目指すことに結びついていきました。
こうしたマルテンスの提唱した実証的な国際法体系構築の試みは、さまざまな批判を受けつつも19世紀前半のヨーロッパを代表する国際法の枠組みとして甚大な影響力を有することになりました。彼の主著『条約と慣習に基づくヨーロッパ諸国間の法』( Précis du droit des gens moderne de l’Europe fondé sur les traités et l’usage. 2 vols. Göttingen, 1789)は大きな反響を呼び、マルテンスの生前だけでも3飯を数え、死後も繰り返し再販された他、ドイツ語にも翻訳されました。また、大西洋を越えてアメリカに与えた影響力も極めて大きかったようで、本書に収録された1802年付のコベット訳初版の序文には、本書の英訳がアメリカで待望されていたこと、大統領をはじめ政府要人が英訳版の予約者に名を連ね、本書を架蔵しないアメリカの大学図書館はほとんどないほどであることが述べられています。店主の確認できる限りでは、マルテンスの英訳版は本書が刊行されるまでに少なくとも下記の3種類が存在しています。
1) 英訳フィラデルフィア版
Summary of the law of nations, founded on the treaties and customs of the modern nations of Europe.
Philadelphia, Thomas Bradford, 1795.
2) 英訳ロンドン版コベット訳初版
A compendium of the law of nations, founded on the treaties and customs of the modern nations of Europe. To which is appended a complete list of all the treaties, conventions, compacts, declarations, &c. From the year 1731 to 1788.
London, Cobbett and Morgan, 1802.
3) 英訳ロンドン版コベット訳第2版
The law of nations, founded on the treaties and customs of the modern nations of Europe.
London, Edward Jeffery, 1803.
4) 本書
*本書以前に英訳ロンドン版コベット訳第3版が存在するのか、あるいは、1)を初版として起算し、本書を第4版としているのか、については現時点では不明。
(*マルテンスの伝記と著作,ならびにその特徴については、Arthur Nussbaum. A concise history of the law of nations. Revised ed. New York, 1962. を参照)
19世紀前半から半ばにかけて絶大な影響力を誇った本書は、英訳に際して原著刊行以降の時代状況に応じて適宜改訂が施されているようで、特にナポレオン戦争後のヨーロッパの大きな変動を反映させた上で刊行されているようです。しかしながら、基本的な構成や本文の中核部分については、訳者によって変更されることなく忠実に翻訳がなされている旨が訳者序文で述べられています。本書は、全6巻(章)で構成されていて、下記のように国際法に関するトピックを網羅的、かつ体系的に論じていることが非常によくわかります。
序論
第1巻:ヨーロッパ諸国の概論
第1章:ヨーロッパを構成する諸国について
第2章:ヨーロッパ諸国の威厳、権力などによる分類
第3章:ヨーロッパ諸国の様々な政体について
第4章:ヨーロッパ諸国の諸宗教について
第2巻:諸国民の実証法(the positive law of nations)の基礎
第1章:条約について
第2章:黙約、習慣、類推(analogy)について
第3章:取得事項(Prescription)について
第3巻:対外勢力(foreign powers)ならびにその属国に関係する限りでの、ある国家の憲法(internal constitution)について
第1章:ある国家の自国領域内における諸権利について
第2章:ある国家の自国政府と憲法に関する諸権利と諸義務について
第3章:国内政府に帰属する主権と、対外勢力とその属国に対するその影響との相違について
第4巻:諸外国(foreign nations)との取引、ならびにそれらに関連する諸権利について
第1章:諸国家の自由と安全保障について
第2章:諸国家の平等性と尊厳について
第3章:商業について
第4章:諸国家の海洋に関する諸権利について
第5章:統治者個人とその家族に関する諸権利と習慣について
第6章:外交事項で用いられる書面における様々な法律文書と法について
第5巻:外交使節について
第1章:外交使節の諸権利について
第2章:公使の様々な階層について
第3章:外国宮廷において公使が受けるべき必要な形式について
第4章:公私に関する式典、儀式(ceremony)について
第5章:公使の不可侵権と独立性について
第6章:宗教事項に関する公使の諸権利について
第7章:公使に付与される免除特権について
第8章:外交交渉を運営する際の作法について
第9章:公使の随員について
第10章:公使終了の手段について
第11章:公使の独立権、秘密外交使節(secret embassies)、国家が派遣する使者(state messengers)について
第6巻:国家がその権利の防衛、または追及に際して強制行使しうる諸手段について
第1章:返報(retaliation)と報復(reprisals)について
第2章:宣戦布告(commencement of war)について
第3章:戦争を起こす際の作法
第4章:戦争中の敵国との協定について
第5章:同盟(allies)、援助(subsidies)、補助(auxiliaries)について
第6章:中立について
第7章:和平の策定について
第8章:諸権利を停止しうる手段について
補遺:1731年以降の国家間で取り交わされた主要条約、法令集
(*訳語に誤り等あるかもしれないため、原文は下記掲載写真を参照)
先に述べた通り、本書では、ヨーロッパ諸国間で歴史的に積み重ねられてきた様々な条約や関係、先例、慣習を基礎にして、国際法体系が抽出されていて、自然法的な議論はかなり控えめな印象があります。膨大な実例を引用、参照しつつも、単なるそれらの羅列に溺れることなく、論点を明確に整理して体系的に論じられていることから、本書が当時多くの読者に歓迎された理由が非常によくわかります。
このように19世紀前半のヨーロッパ、アメリカにおいて絶大な影響力を誇っていたマルテンスによる本書を、ハリスがホイートンによる国際法書とならんで重視したことは、ある意味ごく当然なことであったと言えるでしょう。現在、静岡県立中央図書館葵文庫に所蔵されている、ハリス旧蔵書にはその見返しにハリスの署名があり、「Townsend Harris London October 31 / 55」と記されていることから、日本赴任途中に滞在したロンドンで購入した際の署名と思われます。ハリスは、自身の赴任に際して当時ヨーロッパ、アメリカで広く読まれていた本書を自身の手引きの一つとして熟読していたのではないかと思われます。
本書が日本との関係において特に興味深いのは、ハリスが携えて来日したこの書物が、幕閣とのやり取りにおいて実際に用いられ、その内容の一部が、ヒュースケンの蘭訳を介して日本語にも翻訳されていることです。ハリス旧蔵署を用いてこの点を詳しく紹介した、山口博「ハリス署名入り本をめぐって」(上・下)(『葵:静岡県立中央図書館報』第7号、第8号、1982年所収論文)によりますと、「第5巻 使節について(Book V Of Embassy)第5章の第1, 2, 3節のそれぞれの初めの部分」(前掲論文上、19頁)が、ヒュースケンによるオランダ語訳文を介して、伊東貫斎(初訳)、川本幸民と木村軍太郎(第二訳)が日本語に訳しており、ハリス旧蔵署の該当箇所には「ハリスによるものと推定される、鉛筆によるカッコ書き」(同上)が見られるということです。その日本語訳は「総じて、とにかく日本語に置き換えたという感がある」(前傾論文下、16頁)というもので、内容の理解、とりわけ国際法体系の理解には遠く及んでいなかったと評価されていますが、その訳文の実態がどうであれ、このハリスが所蔵していたマルテンスの英訳本が、日本にもたらされた最初期の国際法の一つであったことは間違いないと言えます。
また、ハリス自身も実際の任務に際して本書を熟読する必要があったことは言うまでもないですし、本書の内容をある程度意識した上で、シャムや日本との条約締結交渉に臨んでいたと考えられるでしょうから、その意味においても本書の内容や、それが提示する国際法の枠組みというものは、非常に興味深いものと言えます。前掲論文では、ハリスが本書を熟読し、日本との交渉にも持ち出す一方で、自身に都合が悪いと思われる箇所は日本側に解説をしていない(例えば領事裁判権)として、「国際法一般をいったのではなく、公使駐在とその権利の主張・説明のために国際法を用い、それ以外にはほとんど云って」(同上18頁)おらず、「結局ハリスは、自国に有利なところだけ、国際法を引用したのである」(同上)と批判しています。ただし、これはハリス自身に起因するというよりも、当時の国際法体系がそもそも、非キリスト教国である日本を対象とするものではなかったことに起因するともしています。いずれにしても、条約締結交渉においてハリス自身の思考の枠組みを規定する一つの枠組みとして、本書が影響力を有していたこと自体は間違いないと言えるでしょう。
ハリス旧蔵本が日本に送られた経緯は不明のようですが、「開成所」の印があることから「ハリス滞在中は蕃書調所時代であるが、蔵書印などから推察するに、ハリスは日本を去る際、この本を蕃書調所か、その役人か、または外国奉行諸関係の役人に贈ったのであろう」(前掲論文下19頁)と考えられています。ただ、残念なことにハリスが送った旧蔵本はその後「研究・翻訳された形跡はない」(同上)とされており、「解読するには難しすぎたのか、開成所の所蔵に気づかなかったのだろうか」(同上)と推測されています。もちろん、このような推察もあり得ますが、おそらくは同論文でも言及されているように、ほぼ時を同じくして日本に伝えられたホイートン(Henry Wheaton, 1785 - 1848)による『国際法原理』(Elements of international law.)の漢訳本、いわゆる『万国公法』の存在が大きかったのではないかと思われます。ホイートンの『万国公法』は、その訳文の是非はともかくとして、当時の日本の読者にとって英語よりもはるかに親しみやすい漢訳本でもたらされたことにより、多くの読者を獲得し、また Internationa Law の訳語として「万国公法」定着する契機にもなりました。また、その原著は1857年刊行の第6版と推定されるもので、マルテンスの書物よりもかなり新しく、ナポレオン戦争後のヨーロッパの動向はもちろんのこと、南北戦争権状況まで踏まえたものでしたので、当時のヨーロッパやアメリカにおいて国際法の最も権威ある最新の標準的なテキストとして流布していたました。その意味では古典的名著ではるものの、ホイートンに比べると1世代前にあたるマルテンスの書物が忘却される原因となってしまったのかもしれません。
なお、本書の著者であるマルテンスは、その甥で、同じく国際法学者として活躍したマルテンス(Karl von Martens, 1790 - 1863)としばしば混同されることがあり、注意が必要です。明治2年(1869年)に、福地源一郎 [と箕作麟祥]によって訳された『外国交際公法』(原著は、『外交案内』(Martens, Le Barn Charles de. Guide diplomatique. 2 vols. Leipzig, 1832.)の著者であるマルテンスは、本書の著者ではなく、甥のマルテンスです。