書籍目録

『(日本の)神々、妖怪たち、幽霊たち:極東のこの世のものならぬ伝説集』

バーサ・ラム

『(日本の)神々、妖怪たち、幽霊たち:極東のこの世のものならぬ伝説集』

1922年 フィラデルフィア / ロンドン刊

Bertha Lum

GODS, GOBLINS and GHOSTS: THE WEIRD LEGENDS OF THE FAR EAST.

Philadelphia / London, J. B. Lippincott Company, 1922. <AB2020274>

Sold

Large 8vo (26.5 cm x 34.5 cm), Illustrated Title., Title., pp.[1-9], 10-64, 1 leaf, (some double page)Plates: [9], Original cloth bound in Japanese style.
和綴本を模した装丁の綴じ糸が解けている状態だが、綴じ直しは容易と思われる。

Information

バーサ・ラムによる幻想的な世界観が遺憾無く発揮された独創的な挿絵本

 バーサ・ラム(Bertha Lum, 1869 - 1954)は、1903年に新婚旅行で初来日して以降、1908年、1911年と幾度となく日本を訪れて滞在し、浮世絵彫師である伊上凡骨や摺師西村熊吉のもとでの修行をはじめとして、日本の浮世絵版画職人らとの交流を通じて独自の作品を多数残しました。当初は日本の浮世絵の構図や主題を強く意識した作風でしたが、徐々に独自の世界観を表現するようになり、特にラフカディオ・ハーンの日本の妖怪や伝承の世界に強く惹かれ、それらをモチーフとする幻想的な作品を生み出しました。1922年には北京に滞在し、アジア各地を訪問して旅先の風景や伝承を題材とした作品も制作しています。

 本書は、ラムが手がけた書物としては最初のもので、そのタイトルが示すように、日本の神々や妖怪、幽霊といった幻想世界について、ラムによる挿絵とテキスト、そしてラフカディオ・ハーンの『怪談』などのテキストや、日本学者アストン、野口米次郎らの著作からの引用で構成されている書物です。書物の造り自体が大変に凝ったもので、和綴本を模して糸綴じとなっていて、表紙には七福神の宝船が描かれているだけでなく、見返しの見開きには能の一場面が描かれています。テキストは、「日本:その美と詩、芸術」「神々」「妖怪たち」「幽霊たち」「舞」といった章題が並んでいます。冒頭で、急速な近代化によって西洋人が夢見るような伝統的な日本社会は失われつつあるが、注視して目を向けることでそのような幻想的な世界が日本にはまだ多く残っていることを述べ、豊富な滞日経験をもとにして、ラム独自の目線で日本社会の伝統的側面が記されています。もちろんラムによる美しい挿絵も豊富に挿入されていて、ざっとそのタイトルを上げてみますと、「七福神」「鼠の妖怪」「隅田川の川祭り」「祭りの舟」「子どもたちの神様である地蔵の像」「新年に妖怪たちを追い払う」「宝石の乙女(狐女)」「水の精霊」「青柳(柳の木の精霊)」「影絵」「『能』の舞」といった、テキストに呼応するラムの幻想的な作品を観ることができます。タイトルページのデザインもラムによる衣装を凝らしたもので、和本仕立ての造本と相まって、書物全体でラムの世界観が表現されています。

 本書は刊行当時から大変好評を博し、西洋人の視点と伝統的で幻想的な日本の神々の世界を融合させた素晴らしい作品として高く評価されたようです。なお、本書は通常版と、より高価な予約限定版とが存在していたようですが、本書は前者の通常版にあたるものと思われます(後者の限定版は店主未見)。


「バーサ・ラム Bertha LUM (1869-1954)
 1869年アメリカ合衆国アイオワ州ティプトンで生まれる。1895年アート・インスティテュート・オブ・シカゴのデザイン学部に入学。翌年から1901年にかけて、イラストレーターのフランク・ホルムの学校とステンドグラス・デザイナーのアンナ・ウェストンの工房で指導を受け、その後再びアート・インスティテュート・オブ・シカゴで人体デッサンを学んだ。1890年代のシカゴはアーツ・アンド・クラフツ運動の中心地であり、アーサー・ウェズリー・ダウによって木版画が広められていた。
 1903年に新婚旅行で初来日。浮世絵版画と版画職人を探し、帰国直前に横浜の老職人と出会うことができた。わずかな時間で技法を習い、彫刻刀と筆を購入した。帰国後ダウの本を手がかりに木版画の小品を制作する。1907年再来日し14週間滞在。美術史家岩村透の紹介で、彫師伊上凡骨のもとで3カ月学び、さらに摺師西村熊吉について数カ月修行する。この頃『蘭夢』という楽観を作る。帰国後数年間、自刻・自摺の版画を制作するが、1911年末には幼い娘たちを伴って再び日本を訪れた。この時は、家を借り、彫師と摺師を常駐させて制作した。1912年5月、《狐女》(1907年)を第10回太平洋画会展に出品。ラムは、ラフカディオ・ハーンの日本の伝説を題材とした物語から強い影響を受けたが、《狐女》はその典型的な作品である。
 その後数度にわたる日本滞在を経て、1922年秋には中国を訪れ、娘たちと北京に家を借りて住んだ。最初中国人の木版画職人を雇って制作したが、多色木版の制作が困難だったため、湿した紙に版木で隆起線を空刷りし手彩色する『盛り上がり線』の技法を考案する。1931年にはジャワ、シンガポール、スエズを歴訪し、1936年には木版画を再版するために7度目の来日をした。第二次世界大戦中はアメリカで暮らすが、1948年娘たちのいる北京に戻る。1953年北京を離れ、翌年イタリアのジェノヴァで死去した。」
(沼田英子氏によるラムの紹介記事、横浜美術館『アジアへの眼 外国人の浮世絵師たち』1996年所収、48頁より)

*ラムの来歴、作風については、スミソニアン博物館による書籍(Marry Evans L’Keefe Gravalos / Carol Putin. Bertha Lum. (American Print-Makers. A Smithonian Series). Washington, D.C., 1991)、ならびに、横浜美術館による前掲書所収の猿渡紀代子氏の「江戸浮世絵と現代飯をつなぐもの」を参照。

和綴を模した紐綴じ製本で、表紙には七福神の宝船が描かれている。
裏表紙。
綴じ紐が解けてしまっているが、綴じ直しは容易と思われる。
能の一場面を描いた見開き
タイトルページ①「七福神」
タイトルページ②「鼠の妖怪」
謝辞にはハーンの作品はじめ、本書で引用された著作の出版社、著者への感謝が述べられている。
目次も含め、章の初めには絵入りの扉が設けられている。
目次。
収録挿絵一覧。
「日本:その美と詩、芸術」の章、扉絵。
本文冒頭箇所。
「隅田川の川祭り」
「祭りの舟」
「神々」の章、扉絵。
「子どもたちの神様である地蔵の像」
「妖怪たち」の章、扉絵。
「新年に妖怪たちを追い払う」
「宝石の乙女(狐女)」
「幽霊たち」の章、扉絵。
「水の精霊」
「青柳(柳の木の精霊)」
「舞」の章、扉絵。
「影絵」
「『能』の舞」
巻末に掲載されているアストンへの謝辞。
裏表紙見開きにも能の一場面が描かれている。