書籍目録

『マンデルスロの東方旅行記』

オレアリウス / マンデルスロ / カロン

『マンデルスロの東方旅行記』

[第2版] 1668年 シュレスヴィヒ刊

Olearius, Adam / Mandelslo, Johan Albrecht de / Caron,François.

Des fürtrefflichen wolversuchten Meckelburgischen von Adel Herrn JOHANN ALBRECHT von Mandelslo Morgenländische Reise=Beschreibung….

Schleswig, Johan Holwein, 1668. <AB2020205>

Sold

[2nd ed.]

Large 4to (18.8 cm x 31.2 cm), Front., Title., Portrait., 8 leaves, double pages map, pp.1-226, 15 leaves, Modern parchment.

Information

ドイツ語圏における最初期のカロン『日本大王国志』の紹介記事を収録

 本書は、1633年からフレデリック3世(Frederik 3, 1597 - 1659)(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公)の企図によって行われたモスクワ、ペルシャへの使節団派遣に随行し、ペルシャからは本体と離れてさらに東インド各地へと赴いたマンデルスロ(Johan Albrecht de Mandelslo, 1616 - 1644)旅行記です。日本関係欧文資料として本書が非常に興味深いのは、編著者であるオルレアリウス(Adam Olearius, 1599 - 1671)が豊富に追加した各地の最新情報の中に、カロン『日本大王国志』初版(François Caron, Beschrijvinghe van het machtigh conincrijcke Japan. Amsterdam, 1648)を典拠とする日本関係記事が収録されていることです。本書における日本関係記事は、実質的にカロン同書がドイツ語で紹介された最初期の文献であることから、17世紀のドイツ語圏における日本情報の伝搬過程と内実を研究する上で大変重要な書物と言えます。

 オルレアリウスは、マグデブルグ近郊のAschersleben生まれの数学者、地理学者として活躍した人物でフレデリック3世付の図書館管理者、数学者でもありました。彼は1633年にフレデリック3世がモスクワとペルシャに使節を派遣した際に秘書官として参加しています。この派遣団は、フレデリック3世が自ら設けた港湾都市フリードリヒシュタットにおける交易を発展させるために、モスクワとペルシャと直接の通商関係を開くことを目的として派遣されたものです。残念ながらこの時の通商交渉は結実しませんでしたが、1635年には二度目の使節団が送られました。オレアリウスはその豊かな学識を駆使して派遣団の行程だけでなく、各地での見聞をまとめ上げた書物を執筆し、1647年に『東方旅行記の豊潤な記録』(Ofte begehrte Beschreibung Der Newen Orientalischen Reyse…Schleswig, 1647)を刊行しました。ロマノフ朝最初のツァーリとなったミハイル・ロマノフ(Mikhail Feodorovich Romanov, 1596 - 1645)が治めるモスコヴィ(ロシア・ツァーリ国)と、アッバース1世によって遷都され、サフィー1世のもとで繁栄を謳歌していた新都イスファハーンの内情を詳しく伝えたこの書物は大いに反響を呼んだようで、1656年にはその増補改訂版として『モスクワとペルシャへの新しい記述増補版』(Vermehrte Newe Beschreibung der Musccowitishen und Persischen Reyse…Schleswig, 1656)が刊行されています。オルレアリウスの旅行記は各国語にも翻訳され、フランス語(1656年、増補改訂第2版1659年)、オランダ語(1651年)、英語版(1662年)の存在が確認されています。

 マンデルスロはオルレアリウスと同じくモスクワ派遣団に同行していましたが、途中から派遣団から離れてさらに東方へと向かい、インド、極東地域を歴訪して各地の情報収集に努めました。オレアリウスは先の述べた著作とは別に、マンデルスロ旅行記についても別個に編集し、『マンデルスロのペルシャ旅行記』(Des Hoch Edelgebornen Johann Albrechts von Mandelslo Morgenländische Reyse=Beschreibung…1658, Schleswig.)として、1658年に刊行しました。本書は、この1658年版とほぼ同じ内容でタイトルを変更して1668年に再版したもので、実質的には第2版というべきものです。マンデルスロのペルシャ旅行記には、先に述べたようにペルシャだけでなく、彼自身が赴くことはなかった日本を含めた東インド各地の最新情報が整理されて収録されています。

 ここに収録されている日本関係記事が興味深いのは、オレアリウスが参照した情報源が、当時のヨーロッパにおける日本情報の最高峰として広く流布していたカロン『日本大王国志』であることです。オレアリウスによる日本の概説に続いて、カロンの名前を明記(日本におけるオランダ(東インド)会社の長官にして、長年日本に滞在し、日本の現状と日本の人々について1638年に記したフランソワ・カロンの記事からの抜粋)して、カロンの『日本大王国志』を抄録しています。カロンの『日本大王国志』は、17世紀半ば以降のヨーロッパにおける日本情報として最大の影響力を誇った書物で、コメリン(Isaac Commelin, 1598 - 1676)による『東インド会社の起源と発展(Begin ende Voortgangh van de Verenigde Nederlantsche Geoctroyeerde Oost-Indische Compagnie. 1645 / 1646』に収録されて以降、1648年に独立して刊行されて幾度も版を重ねたことで知られています。

「日本について詳細な紹介本を書いた最初のオランダ人は平戸商館長だったフランソワ・カロンでした。1636年、彼はバタヴィアから受け取った33項目の質問に対する回答を書きました。バタヴィアでは総督の次に位する取締役の役職にフィリプス・ルカスゾーンが任命されたばかりでした。ルカスゾーンは、貿易の責任者としてアジア全体で東インド会社の現状についての概観をえようとすべての東インド会社の海外拠点に対し情報を送るよう指示を出しました。つまり、学問的関心からというよりは、カロンは役人としての現状報告をしたのでした。それにもかからわらず、彼はその仕事を細心の注意を払って行い、包括的な報告書を仕上げました。彼は実に多くの情報を盛り込み、地理、政治、宗教、生活、慣習、貿易、経済、そして自然界といった項目に分けてそれを記述しました。」
(松野明久、菅原由美訳、ヤン・デ・ホント、メンノ・フィツキ『一本の細い橋:美術でひもとくオランダと日本の交流史』大阪大学出版会、2020年、149頁)

 本書における記事は、見たところそのままカロンの著作を抜粋しているのではなく、同書に特徴的な問答形態の記述を独自に編纂して、大名の石高(収入)表などの細かな数字などは省略して、日本の歴史や統治形態、宗教などを読者が理解できるように編纂しています。カロン『日本大王国志』のドイツ語版が刊行されたのは、1663年のことですので、1658年に刊行されたマンデルスロの旅行記初版に収録されたカロン記事は、これに先立つドイツ語圏での最初の紹介ということができます。本書は1668年に刊行された第2版ともいうべき版ですが、1658年初版に収録されたカロン記事がそのまま収録されており、初版と同じ内容を読むことができます。ただし、カロン記事に続いて収録されている記事に僅かな違いが初版と本書との間にあるようで、細かな違いについては初版と本書とを照合しながら精査する必要があります。

 マンデルスロの旅行記は、非常に好評を博したようで、オレアリウスの先に挙げた旅行記(1656年刊)と合わせて2巻本構成とする形で、1659年にはフランス語訳第2版が刊行されています。このフランス語訳第2版は、オレアリウス自身が深く関与しており、本書に収録されているカロン記事を大幅に増補して、大名の石高標なども収録しており、実質的にカロン『日本大王国志』フランス語訳版と言って差し支えのない内容となっています。ただし、このフランス語訳第2版では、カロンの名前が削除されてしまい、その典拠が読者には追えなくなってしまっています。これは、カロン『日本大王国志』を無許可でほぼそのまま仏訳して転載したことに関係しているのではないかと思われます。このフランス語訳第2版は、さらに1662年に刊行された英語訳の定本ともなり、この英語版も、カロン『日本大王国志』英語訳の刊行(1663年)に先立つ、最初の英語での紹介となりました。

 カロン『日本大王国志』は、「ヨーロッパで出版された日本関係図書の中でしばしば引用されていることから推察すると、ケンペルの『日本誌』が出るまで、70年もの間プロテスタント世界で日本についての基本書となっていたことがわかる」(フレデリック・クレインス『17世紀のオランダ人が見た日本』臨川書店、2010年、110頁)と言われているように、同書がもたらした豊富な日本情報は、その名を標題に冠した書物以外にも様々に引用、転載されており、まさしく本書もそうした例を代表するものと言えます。その意味で本書は、カロンによる日本情報の伝搬に少なからず影響を及ばした書物として、大変重要な日本関係欧文史料と言えるでしょう。

 なお、マンデルスロ旅行記におけるカロン『日本大王国志』を典拠とする、各国語への情報の流れを整理すると、下記のようになります。

① )Des Hoch Edelgebornen Johann Albrechts von Mandelslo Morgenländische Reyse=Beschreibung…Schleswig, 1658.

①A)Des fürtrefflichen wolversuchten Meckelburgischen von Adel Herrn Johann Albrecht von Mandelslo MorgenlUandische Reise-Beschreibung…Schleswig, 1668(本書)

→カロン『日本大王国志』のドイツ語圏での最初の紹介となる。カロンの名前も明記。
→ただし、見たところ大名の石高表は掲載されていないなど省略が多く見受けられる。


②)Relation du voyage de Moscovie, Tartarie et de Perse,…1659. Paris, 2 vols.

→オレアリウス自身が関与した仏訳第2版で、仏訳初版には収録されていなかったマンデルスロの『ペルシャ旅行記』を初めて収録。
→①におけるカロン記事をさらに補強して、実質的にカロン『日本大王国志』仏訳版と言える記事を収録。大名の石高表も掲載。フランス語でカロン同書の内容が紹介された最初の書物と考えられる。
→ただし、カロンの名前は削除されており、読者には情報源がわからなくなっている。


③ )The voyages and travells of the ambassadors sent by Frederick Duke of Holstein,…whereto are added the travels of John Albret de Mandelslo,…London, 1662.(2n ed. 1669)

→②を底本とした英訳版で、カロン記事も全て掲載していることから、1663年のカロン『日本大王国志』英訳版の出版に先立つ、英語圏で最初のカロン記事の紹介となる。②と同じく、カロンの名前は削除されており、読者には情報源が分からなくなっている。

口絵とタイトルページ。
マンデルスロの肖像画
読者への序文冒頭箇所。
本書で扱われている地理的範囲をそのまま表現した地図。この地図は後続する翻訳各版にも採用されている。
本文冒頭箇所。
本書は随所に散りばめられた銅版画による魅力的な図版や都市図でも知られる。ただし、マンデルスロが実際に訪れることができなかった日本に関係するものは残念ながらない。
日本関係記事は本書の最終版に掲載されている。最初は編者オレアリウスによる日本の概説が掲載されている。
オレアリウスの概説に続いて、「日本におけるオランダ(東インド)会社の長官にして、長年日本に滞在し、日本の現状と日本の人々について1638年に記したフランソワ・カロンの記事からの抜粋」と題された、カロン『日本大王国志』の抄録記事が掲載されている。
基本的に初版(1658年)収録記事と全く同じ内容である。
ただし、カロン記事に続く記事が初版と異なっているように見受けられるため、正確には両版を照合する必要がある。
本文末尾。
巻末には索引も設けられている。
多彩な日本関係記事が収録されていることがわかる。
比較的に最近になって施されたと思われるヴェラム装丁で状態は良好と言える。