書籍目録

「マリアナ諸島と日本との間に位置するほとんど知られていない島々(小笠原諸島)についての記述」 / 「ゴロウニン『日本幽囚記』第1巻について」(書評記事)ほか 雑誌『ジュルナル・デ・サヴァン』1817年号所収

レミュザ / ヴァンダーブールほか

「マリアナ諸島と日本との間に位置するほとんど知られていない島々(小笠原諸島)についての記述」 / 「ゴロウニン『日本幽囚記』第1巻について」(書評記事)ほか 雑誌『ジュルナル・デ・サヴァン』1817年号所収

全2巻 1817年 パリ刊

Abel-Rémusat, Jean-Pierre / Vanderbourg, Charles…[etal.].

DESCRIPTION D’UN GROUPE D’ÎLES peu connu et situé entre le Japon et les îles Mariannes, rédigée d’aprés les relations des Japonais….and others, [IN] JOURNAL DES SAVANS [1817].

Paris, L’imprimerie Royale, 1817. <AB2020201>

Sold

2 vols.

4to (19.5 cm x 24.5 cm), 2 vols. Vol.1 (Janvier-Juin): pp.[1(Title.)-3], 4-42, 4[i.e.43], 44-384, Plate: [1] / Vol.2 (Juillet-Decembre): pp.[385(Title.)-387], 388-768, Folded map: [1], Contemporary card boards.
タイトルページや折丁最初のテキストページ、図版に旧蔵機関による押印あり。小口は三方とも赤く染められている。

Information

「無人嶋」と称された小笠原諸島を描いたレミュザによる折り込み図を収録

 本書は、フランス最古の文芸総合科学雑誌として名高い『ジュルナル・デ・サヴァン』の1817年号で、各月全12号が2冊に収録されています。1665年に創刊された『ジュルナル・デ・サヴァン』は、時代によって変化しつつも、フランスのみならず各時代のヨーロッパにおける最新の人文・社会・自然科学の各分野における学術記事、新刊書評記事を掲載していました、1810年代以降は、フランスにおける東洋学の興隆を反映して、日本や中国に関する東洋学研究記事がしばしば掲載されています。本書である1817年号には、フランス・アジア協会(La Société Asiatique)の中心人物であった東洋学者レミュザ(Abel-Rémusat, 1788 - 1832)による、日欧で作成された地図や公開記に基づいて論じられた「小笠原諸島論」が掲載されている他、ゴロウニン(Vasilii Mikhailovich Golovnin, 1776 - 1831)『日本幽囚記』の書評記事など、非常に興味深い日本研究論文が掲載されています。

 7月号に掲載されたレミュザの論考は、当時日本でも「無人島」とも呼ばれていた小笠原諸島について、日本の地図とヨーロッパ性の最新地図や記述をもとに論じたもので、後年に幕府と欧米諸国との間で生じる小笠原諸島の領有問題の先駆けとなるような非常に興味深い論文です。レミュザは、当時広く日本で流通し、オランダ東インド会社日本商館長を務めたティツィング(Isaac Titsingh, 1745 – 1812)によってヨーロッパに持ち帰られていた、長久保赤水による「改正日本輿地路程全図」などの日本側資料を用いながら、1791年に日本との通商を試みたアルゴノート号のコルネット(James Colnett, 1753 - 1806)の測量情報や、ブロートン(William Robert Broughton, 1762 - 1821)、ラペルーズ(Jean François de Galaus, comte de La Pérouse, 1741 - 1788?)といった、18世紀末の日本近海をふくむ北太平洋地域への航海記録といったヨーロッパ側の情報とを照合しながら論を進めています。論文冒頭には、「ボーニン(無人)諸島、あるいは無人島図:日本の地図から抜粋してレミュザが作成」と題した折り込み地図が収録されており、日本列島や琉球諸島と小笠原諸島の位置関係を示した広域地図と、「無人嶋図」と題した詳細図が描かれています。この図は、林子平『三国通覧図説』に収録されている「無人島」と呼ばれた小笠原諸島図を範に採ったものと考えられます。『三国通覧図説』は後の1832年にクラプロートによってフランス語訳版が刊行され、このフランス語訳版には「無人島図」含む地図も収録されていますが、本図はこれに先立つ非常に貴重な西洋における「小笠原諸島図」ということができるでしょう。

 また、8月号には、フランス王立アカデミーの会員でもあったヴァンダーブール(Charles Vanderbourg, 1765 - 1827)による、当時刊行されたばかりのゴロウニンのいわゆる『日本幽囚記』の詳細な紹介記事が掲載されています。これは、同書についての当時最新の書評としてだけでなく、当時ゴロウニンがもたらした日本情報に対する注目がいかに大きかったかを示す記事としても非常に興味深いものでしょう。

「ところでフランスのシナ学者アベルーレミュザ(Jean Pierre Abel-Rémusat, 1788-1832年)は(長久保赤水の:引用者注)「改正日本輿地路程全図」を高く評価し、1817年にその紹介k字を書いています(本書所収記事のこと:引用者注)。その中で、イギリスのアロースミスが「改正日本輿地路程全図」にみえる日本の海岸線をトレースしてそのアジア図(MAP OF THE ISLANDS OF JAPAN, KURILE &c.London, 1811のことか?:引用者注) に掲載したが、原図に記載された地名の文字が読めず、ケンペルの書物掲載の図に甘んじなければならなかったというと記しています。」
(小林茂ほか編『鎖国時代 海を渡った日本図』大阪大学出版会、2019年、61頁)