本書は、1633年からフレデリック3世(Frederik 3, 1597 - 1659)(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公)の企図によって行われたモスクワ、ペルシャへの使節団派遣に秘書官として随行したオレアリウス(Adam Olearius, 1599 - 1671)が、この時の随行記と、関連文献を駆使して編纂した浩瀚な記録集のフランス語訳第2版で、使節の行程のみならず、訪問先や近隣地域の情報源が図版や地図も交えて豊富に収録されていることに特徴があります。日本関係欧文史料として本書が興味深いのは、第2巻後半に収録されている、マンデルスロ(Johan Albrecht de Mandelslo, 1616 - 1644)による『ペルシャ旅行記』中に、カロン『日本大王国志』を出典とする日本関係記事が収録されていることです。本書における日本関係記事は、実質的にカロン同書がフランス語で紹介された最初の文献であることから、17世紀のフランス語圏における日本情報の伝搬過程と内実を研究する上で大変重要な書物と言えます。
オレアリウスは、マグデブルグ近郊のAschersleben生まれの数学者、地理学者として活躍した人物でフレデリック3世付の図書館管理者、数学者でもありました。彼は1633年にフレデリック3世がモスクワとペルシャに使節を派遣した際に秘書官として参加しています。この派遣団は、フレデリック3世が自ら設けた港湾都市フリードリヒシュタットにおける交易を発展させるために、モスクワとペルシャと直接の通商関係を開くことを目的として派遣されたものです。残念ながらこの時の通商交渉は結実しませんでしたが、1635年には二度目の使節団が送られました。オレアリウスはその豊かな学識を駆使して派遣団の行程だけでなく、各地での見聞をまとめ上げた書物を執筆し、1647年に『東方旅行記の豊潤な記録』(Ofte begehrte Beschreibung Der Newen Orientalischen Reyse…Schleswig, 1647)を刊行しました。ロマノフ朝最初のツァーリとなったミハイル・ロマノフ(Mikhail Feodorovich Romanov, 1596 - 1645)が治めるモスコヴィ(ロシア・ツァーリ国)と、アッバース1世によって遷都され、サフィー1世のもとで繁栄を謳歌していた新都イスファハーンの内情を詳しく伝えたこの書物は大いに反響を呼んだようで、1656年にはその増補改訂版として『モスクワとペルシャへの新しい記述増補版』(Vermehrte Newe Beschreibung der Musccowitishen und Persischen Reyse…Schleswig, 1656)が刊行されています。
オルレアリウスの旅行記は各国語にも翻訳され、フランス語(1656年)、オランダ語(1651年)、英語版(1662年)の存在が確認されています。本書はフランス語訳第2版にあたるもので、1659年に刊行されています。このフランス語訳版が大変興味深いのは、後半に収録されているマンデルスロの旅行記中に、極めて詳細な日本関連記事が見出されることです。マンデルスロはオルレアリウスと同じくモスクワ派遣団に同行していましたが、途中から派遣団から離れてさらに東方へと向かい、インド、極東地域を歴訪して各地の情報収集に努めました。彼の旅行記については、オレアリウスが先に述べた著作とは別に編集し、『マンデルスロのペルシャ旅行記』(Des Hoch Edelgebornen Johann Albrechts von Mandelslo Morgenländische Reyse=Beschreibung…1658, Schleswig.)として、1658年に刊行されました。このマンデルスロの旅行記も非常に好評を博したようで、オレアリウスの先に挙げた旅行記(1656年刊)と合わせて2巻本構成とする形で、本書であるフランス語訳第2版として刊行されました。オレアリウスはこの仏訳第2版刊行に際して、マンデルスロの記述を原著ドイツ語版よりも潤沢なものにすべく、彼の知り得る限りの東インドに関する書物から得た情報を、仏訳者であるウィックフォート(Abraham de Wicquefort, 1606 - 1682)に提供したようで、その結果、この仏訳第2版に収録されたマンデルスロのペルシャ旅行記は、原著ドイツ語版よりも浩瀚なものとなっているようです。
マンデルスロのペルシャ旅行記には、先に述べたようにペルシャだけでなく、彼自身が赴くことはなかった日本を含めた東インド各地の最新情報が整理されて収録されています。特に本書のそれは、先に述べたようにオレアリウスがドイツ語版以上に豊富な情報を訳者に提供しており、日本関係記事もかなりのボリュームとなっています。この記事が特に興味深いのは、オレアリウスが参照した情報源が、当時のヨーロッパにおける日本情報の最高峰として広く流布していたカロン『日本大王国志』であることです。カロンの『日本大王国志』は、17世紀半ば以降のヨーロッパにおける日本情報として最大の影響力を誇った書物で、コメリン(Isaac Commelin, 1598 - 1676)による『東インド会社の起源と発展(Begin ende Voortgangh van de Verenigde Nederlantsche Geoctroyeerde Oost-Indische Compagnie. 1645 / 1646』に収録されて以降、1648年に独立して刊行されて幾度も版を重ねたことで知られています。
「日本について詳細な紹介本を書いた最初のオランダ人は平戸商館長だったフランソワ・カロンでした。1636年、彼はバタヴィアから受け取った33項目の質問に対する回答を書きました。バタヴィアでは総督の次に位する取締役の役職にフィリプス・ルカスゾーンが任命されたばかりでした。ルカスゾーンは、貿易の責任者としてアジア全体で東インド会社の現状についての概観をえようとすべての東インド会社の海外拠点に対し情報を送るよう指示を出しました。つまり、学問的関心からというよりは、カロンは役人としての現状報告をしたのでした。それにもかからわらず、彼はその仕事を細心の注意を払って行い、包括的な報告書を仕上げました。彼は実に多くの情報を盛り込み、地理、政治、宗教、生活、慣習、貿易、経済、そして自然界といった項目に分けてそれを記述しました。」
(松野明久、菅原由美訳、ヤン・デ・ホント、メンノ・フィツキ『一本の細い橋:美術でひもとくオランダと日本の交流史』大阪大学出版会、2020年、149頁)
本文中でカロンの名前は一切出てきませんが、日本関係記事の叙述内容を見てみますと、カロン同書の構成とほぼ合致していることが明らかに見て取れます。本書を底本にした英訳版の解説について、すでにボクサー(Charles Ralph Boxer, 1904 - 2000)が、カロン同書の英訳翻刻版(A true description of the mighty kingdoms of Japan & Siam…Lonodon, 1935.)において指摘しており、同書を元に日本語訳を行った幸田成友が下記のように述べています。
「本書の第二部をなせるマンデルゾの旅行記中、日本の条下に、カロンの大王国志の実質的翻訳が、出所や著者名を明記せずに掲載せられている。尚本書には蘭版のカロンに付録として見ゆる諸篇中、コンラート・クラーメルの内裏行幸記、スハウテンの暹羅記事の翻訳を載せているが、原文と比較すると或は拙略せられ、或は増加せられ、そうしてカロン翻訳同様その出所を説明していない」
(カロン著、幸田成友訳『日本大王国志』平凡社、1967年、80頁より)
上記で言及されているように、カロン『日本大王国志』そのものの全文訳ではなく、オレアリウスが独自に情報源を追記したり、あるいは削除したりと随所に編集を加えていますが、基本的な情報源と構成はカロン同書に拠っています。カロン同書の仏訳版(テヴェノーの『旅行記集成』第2巻に収録)が刊行されるのは1673年のことですから、本書中に見える日本関係記事は、カロン同書がフランス語読者に伝えられた最初の書物ということになります。カロン『日本大王国志』は、「ヨーロッパで出版された日本関係図書の中でしばしば引用されていることから推察すると、ケンペルの『日本誌』が出るまで、70年もの間プロテスタント世界で日本についての基本書となっていたことがわかる」(フレデリック・クレインス『17世紀のオランダ人が見た日本』臨川書店、2010年、110頁)と言われているように、同書がもたらした豊富な日本情報は、その名を標題に冠した書物以外にも様々に引用、転載されており、まさしく本書もそうした例を代表するものと言えます。しかも、本書は、これまでのカロン研究でも言及されたことがないと思われる非常に重要な書物で、同じく英語圏における最初のカロン記事となった後続の英訳版(1662年初版、1669年第2版)の底本となっていることからも、カロンによる日本情報の伝搬に少なからず影響を及ばした書物として、大変重要な日本関係欧文史料と言えるでしょう。
なお、カロン『日本大王国志』が収録されたマンデルスロ『ペルシャ旅行記』の原著と仏語訳の変遷を簡単にまとめると下記の通りになります。
* オレアリウスの旅行記ドイツ語原著初版(1647年)、改訂版(1656年)のいずれにも収録されてない。
* オレアリウスが編集した『マンデルスロのペルシャ旅行記』初版 1658年において、初めてマンデルスロ旅行記が公刊される。
Des Hoch Edelgebornen Johann Albrechts von Mandelslo Morgenländische Reyse=Beschreibung…1658, Schleswig.
→実質的なカロン『日本大王国志』のドイツ語訳を収録。ただし、見たところ大名の石高表は掲載されていないなど省略が多く見受けられる。
→ただし、カロン同書の独立したドイツ語訳初版は1663年の刊行なので、この書中の日本記事が最初のドイツ語訳と言える。
→国立国会図書館が所蔵(00010058691)
→改訂版(Des fürtrefflichen wolversuchten Meckelburgischen von Adel Herrn Johann Albrecht von Mandelslo MorgenlUandische Reise-Beschreibung…Schleswig, 1668)もあり。こちらは、東京大学総合図書館が所蔵(BB24229947)
* オレアリウスの旅行記にマンデルスロの『ペルシャ旅行記』を加えて仏訳した1659年の仏訳第2版において日本情報がさらに増補、英訳版の底本となる。
Relation du voyage de Moscovie, Tartarie et de Perse,…1659. Paris, 2 vols.
→仏訳初版には収録されていなかったマンデルスロの『ペルシャ旅行記』初めて収録。
→しかも仏訳第2版は、英訳序文によるとオレアリウスが『ペルシャ旅行記』ドイツ語原著にさらに関連情報を追加してドイツ語よりも日本情報が豊富で、実質的にカロン『日本大王国志』と言える記事を大名の石高表も含めて掲載。
→フランス語でカロン同書の内容が紹介された最初の書物と考えられる。
* マンデルスロの旅行記仏訳版は、さらに下記のタイトルで増補改訂を施した上で再版されている。
Voyages célèbres & remarquables, faits de Perse aux Indes orientales,…. Leiden, 1719.
→独立して刊行されたマンデルスロの『ペルシャ旅行記』仏訳版。
→仏訳第2版に収録されていた日本関係記事を新たに編集(再訳)し内容も大幅に増補して、新たにモンタヌスの図版とを組み合わせている。
→国際日本文化研究センターが所蔵(BA34596197)
→この1719年仏訳版は、記事の増補改訂や図版・地図の追加の甲斐あって好評を博した模様で、以降も再版されている。
また、本書はページ番号のつけ間違い、一部製本時の綴じミス等が見られますが、内容自体班完備しています。2巻の詳細な書誌情報は下記の通りです。
Vol.1:
Title., 27 leaves, pp.1-142, 243(i.e.143), 144-270, 171(i.e.271), 272-316, 217(i.e.317), 318-465, 465(i.e.466), 467-473, 472(i.e.474), 473(i.e.475), 476-477, 476(i.e.478), 477(i.e.479), 480-512, 521-576, 513-520(misbound), 577-656, NO LACKING PAGES, 667-686.
Vol.2:
1 leaf(blank), Title., 22 leaves, pp.1-82, folded map, pp.83-135, NO LACKING PAGES, 138-266, NO LACKING PAGES, 269-384, 273(i.e.285), 286-388, 683(i.e.389), 390-476, 677(i.e.477), 478-551, 554(i.e.552), 553-648.