書籍目録

『天洋丸と地洋丸:サンフランシスコ船に就航する14,000トン、21ノットを誇る、無線装置を備えた新造3スクリュー・タービン汽船』

東洋汽船

『天洋丸と地洋丸:サンフランシスコ船に就航する14,000トン、21ノットを誇る、無線装置を備えた新造3スクリュー・タービン汽船』

1908年頃 東京刊

Toyo Kisen Kaisha (Oriental Steamship Company)

THE NEW TRIPLE SCREW TURBINE STEAMERS. ”TENYO MARU”, “CHIYO MARU” AND “SHINYO MARU” (14,000 TONS) BETWEEN SAN FRANCISCO & THE FAR EAST.

Tokyo, The Tokyo Printing Co., LTD, c.1908. <AB2020171>

Sold

17.2 cm x 20.4 m, 16 leaves (without pagination) with covers, Original pictorial paper wrappers.
表紙、本文の下部を中心にシミあり。表紙に背付近に破れ、テキストと表紙の綴じが外れている状態。

Information

東洋汽船の誇る最新鋭新造船を紹介するパンフレット

「当時、日本最大級となる13,000総トン、速度20ノットの新造船3隻の建造を決め、明治38年6月9日、天洋丸、地洋丸の2隻をまず三菱合資会社三菱造船所(長崎)に注文します。
 新造工事が着々と進む一方、経済不況、東洋汽船の業績悪化により、不足した建造資金を調達するため、社債の発行、資本金を倍額し優先株式を発行することで、竣工前に建造資金を確保することができました。
 その頃、日本造船業界の水準は、外国と比較して船価面、技術面において格段に不利な状況にあったにもかかわらず、浅野総一郎は、東洋汽船側で建造資材を輸入し、造船所に支給することで船価を下げ、三菱合資株式会社三菱造船所(長崎)に発注しました。偏に外国船に対し国産として画期的な船を建造したいという強い思いがあったからかもしれません。
 建造に約3年が費やされ、明治41年4月に天洋丸、同年11月には地洋丸が竣工し、2隻に遅れること3年で春洋丸も竣工し、無事太平洋航路に送り出されました。天洋丸は、日本初の10,000トン級、主機にタービン機関を採用し重油燃料を使用する当時としては画期的な船でした。」

「天洋丸は、日本で建造された初の10,000総トンを超える大型船であり、主機関にはそれまでの石炭に代わり重油を燃料として焚く当時最新式の大型蒸気タービンを搭載した。また日本船としてはじめて無線装置を備えていた。船内装飾は建造当時に流行し始めたアール・ヌーボー様式が取り入れられ意匠が凝らされていた。」
(吉井大門『東洋汽船そのあしどり−創業・発展・合併−』日本郵船歴史博物館、2014年、9頁)