書籍目録

『大学生のための日本語入門』

エリセーエフ / ライシャワー / ハーバード燕京研究所

『大学生のための日本語入門』

初版 1941年 ケンブリッジ(アメリカ)刊

Elisséeff, Serge / Reischauer, Edwin O / Harvard-Yenching Institute.

ELEMENTARY JAPANESE FOR UNIVERSITY STUDENTS. VOCABULARIES, GRAMMAR AND NOTES.

Cambridge, Massachusetts, Harvard-Yenching Institute, 1941. <AB202093>

¥27,500

First edition.

20.3 m x 25.3 m, pp.[i(Title.), ii], iii-vii, 1-137, Half cloth on original publisher card boards.

Information

ハーバード燕京研究所の日本研究の大家が編纂した日本語テキスト

 本書は、現在東洋学・日本研究の世界的拠点として名高いハーバード燕京研究所の初代所長として日本語研究に大きな足跡を残したエリセーエフ(Serge Elisséeff, 1889 - 1975)とその弟子で第二代研究所長、駐日大使を歴任したライシャワー(Edwin Oldfather Reischauer, 1910 - 1990)が編纂した日本語教科書です。1941年の日米開戦に伴い、アメリカにおける日本語研究と教育機関の充実がにわかに急務となりましたが、本書が準備されていた当時、アメリカ国内における専門的な日本語教育機関はほとんどなく、日本研究目的を視野に入れた本格的な日本語テキストもなかったと言われており、両者が協力してハーバード大学での教育に用いるためのテキストとして刊行されたものが本書です。

 著者であるエリセーエフ、ライシャワーは、現在ではいずれも日本語研究のみならず、その多方面にわたる活躍によってその功績が高く評価されており、特にライシャワーについては、戦後1961年から66年にかけて駐日アメリカ大使として活躍したこともあり、多くの人に知られています。エリセーエフは、ロシアで生まれ、ドイツ語での教育を受け、パリに亡命しつつも、アメリカと日本で活躍したという数奇な運命を辿っています。

「エリセーエフは1889年にロシアのペテルブルグに生まれた。18歳でベルリン大学に入学、日本語、中国語を学び、1908年に来日、東京帝国大学文学科に入学した。3人の家庭教師につき、日本語習得に努め、大学では上田万年、芳賀矢一、藤岡勝二、保科孝一、藤岡作太郎らの講義を受けた。同窓生の小宮豊隆の紹介で夏目漱石と面識を得たのもこの頃であった。1914年に帰国したが、1921年にはフランスに亡命、ソルボンヌ大学で日本文学史や日本文法を講じた。その後、1934年に米国ハーバード大学の要請で同大学東洋語学部の教授となり、1941年から5年間、海軍語学校の日本語特訓コースで日本語を教えた。
 エリセーエフの、ハーバードでの第一門下生だったのお辛いシャワーである。エリセーエフは自らの体験から優秀な東洋学者育成のためには、ヨーロッパとアジアで実地に勉強させるべきだという信念を持っており、ライシャワーをパリに3年間、日本、朝鮮、中国に3年間留学させた。(中略)
 この後、ライシャワーはエリセーエフとともにハーバードにおける東アジア研究の中心的役割を果たしていく一方、1940(1941年の誤りではないかと思われる:引用者注)年には、日本語教科書も刊行した。」
(関正明『日本語教育史研究序説』スリーエーネットワーク、1997年、95,96頁より)

 本書は全100講義の構成となっいて、いずれの講義も冒頭に語彙の解説、続いて文法の解説、最後に注釈という流れになっています。序文では、従来の日本語テキストが日常会話を主目的としているが、大学の研究レベルで用いられるような語彙の習得には全く不向きで、日本学研究に必要な日本語能力を習得することが困難であるとして、こうしたニーズに応えるために本書が制作されたという本書の狙いが冒頭に述べられています。本書の特徴として、最初から漢字(Chinese characters)が用いられていることを述べていて、アカデミックな世界で用いられることの少ないかな文字だけの文章を習得してから、漢字の習得に移るという、従来の日本語学習方法では、甚だ非効率であるとしています。また、日本で古くから用いられている文体(漢文と候文)と、現在用いられている文体の相違についても述べていて、まずは後者を習得することに重きをおくと述べています。序文では講義の特徴や注意点、協力者について論じられており、本書刊行の経緯や意図を知る上で重要な内容となっています。

 本書は1941年(第2版序文によると夏、本書序文は5月付となっている)に刊行されていますが、同年末に日米が戦争状態に入ったことにより、アメリカにおける日本語研究と教育機関の充実が急速に図られるようになり、本書もこうした戦争遂行上の目的にかなうものとして利用されることになりました。こうした事情を反映して、早くも翌1942年には改訂第二版が刊行されています。また、日系二世のTakehiko Yoshihashiの助力のもと、1944年には『大学生の初歩日本語』(全3巻)(Elementary Japanese for college students. 3 vols. 1944(1971年の再版あり))も刊行されています。また、本書の例文編として、『大学生のための日本例文選集』(Selected Japanese texts for university students. 2 vols. 1942.)(第3巻は1947年刊行)も刊行されています。

タイトルページ。
序文冒頭箇所。学術水準で用いることができる日本語テキストがないことの問題点を指摘して、本書の狙いが述べられている。
本文冒頭箇所。全100講義で構成されている。
巻末には索引が設けられている。