書籍目録

『イスラム世界(ジャポンヤ)』

イブラヒム / (喜賓会)

『イスラム世界(ジャポンヤ)』

全2巻 1910(ヒジュラ暦1328)年、1913(ヒジュラ暦1331)年 イスタンブール刊

Ibrahim, Abdürresid

Alem-i İslam ve Japonya'da intişar-ı İslamiye

Istanbul, Ahmed Saki Bey Matbaasi, 1910(1328) - 1913(1331). <AB201765>

2 vols.

Vol. 1: 18.0 cm x 25.3 cm, Vol. 2: 16.5 cm x 23.0 cm, Vol. 1: lacking 2 leaves (pp.1-4, i.e. Fly Title, Title), pp. [5-7], 8-432, 474, 473, 472, 471, 476, 475, 470, 469, 478, 477, 468, 467, 466, 465, 479, 480- 620, not paged photos [1], Vol. 2: pp.[1-3], 4-128, 133-140, 129-132, 141-242, 2 leaves, Vol. 1: Contemporary ? paper wrapped, Vol. 2: Contemporary / cloth.
第1巻のタイトルページ欠、両巻ともに製本ミスによると思われる乱丁、落丁あるが出版社自身によるものか、装丁者によるものかは不明。

Information

イスラーム世界からの明治最初の日本見聞記、大隈重信ほか多くの日本での交流を描く

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「『イスラム世界』はイブラヒムの長大な旅行記であり、トルキスタンからシベリア、モンゴリア、満州、日本、朝鮮、中国までを記した第1巻(620頁)と、シンガポールからインドネシア、インド、アラビア半島までを記した第2巻(イスタンブル、1913年、242ページ)とからなっている。第1巻は、その副題は、その副題が「日本におけるイスラムの普及」とあるとおり、記述の大半は日本での見聞にあてられている。」
(アブデュルレシト・イブラヒム / 小松香織、小松久男(訳)『イスラム系ロシア人の見た明治日本 ジャポンヤ』第三書館、1992年、凡例より)

「さて、本書はおそらくイスラム世界から見た最初の日本および日本人論であろう。確かにイブラヒムは開国以後日本に来た最初のムスリムではないし、本書もまたイスラム世界ではじめて出版された日本関係の本というわけではない。オスマン帝国において、「日本」という国の存在を紹介する本が出はじめたのは19世紀末以後のことである。しかし、それらは全て西欧の書物の翻訳に過ぎなかった。(中略)これに対して、イブラヒムは数ヶ月に渡って日本に滞在し、日本人と生活を共にしている。その意味で、本書は実際の見聞にもとづいて書かれたはじめての詳細な日本紹介の書と呼ぶに値するのである。また、著者は日本人や日本社会を論じながら、同時代のムスリム社会にしばしば辛辣な批判を加えている。これもまた本書の特徴の一つと言えるであろう。
 『イスラム世界』は、イスタンブルの言論界で大いに話題となり、イブラヒムの日本論はその後のトルコにおける日本観の形成にも少なからず寄与することになった。ムスリム知識人たちは、イブラヒムの描き出した日本と日本人とに親近感を覚えたのみならず、急速に発展する日本の中にヨーロッパとは異なった発展のモデルを見出し、日本の台頭による国際関係の変化に期待をかけたのである。
(中略)一方、我々日本人にとっても、イスラム世界という異質の文化圏からの訪問者の目に映し出された明治の日本の姿はまことに興味深いものがある。ピエール・ロティ、ラフカディオ・ハーンらをはじめ、我々が知っている開国以来の日本論のほとんどは、西欧キリスト教世界の目を通じて描かれてきた。例外があるとしても、それは黄遵憲など古くから文化的交流のある極東の隣人たちによって書かれたものだった。そこに、全く文化を異にしながら、非西洋、非キリスト教という点において我々と共通するという、全くタイプの違った観察者が現れたのである。それはまさに「明治日本とイスラムの出会い」であったといえよう。
 イブラヒムは旺盛な好奇心とたぐい希な観察力とによって、日露戦争後の日本を、そして、一介の車夫や村人から、伊東博文、大隈重信に至るまで、様々な日本人のものの考え方を、実に生き生きと描写している。そして、興味深いことに、彼が抱いた日本人のイメージは、今日のトルコ共和国や中央アジアのトルコ系の人々の我々に対するイメージとほとんど変わることがない。あたかもあれらの日本人観は、時代を超越した普遍性を持っているかのようである。」
(同書、訳者あとがきより)

人力車に乗るイブラヒム。家畜ではなく人が車をひく姿は、洋の東西を問わず、明治日本の特徴的な風景の一つとして印象的に記憶された。
イブラヒムは日本滞在中に努めて日本語の学習に勤しんだことを記している。
伊藤博文の側近とその家族との記念写真
1893年に設立された、外国人誘致と便宜を図るために設立された協会である喜賓会(きひんかい、現在の日本交通公社の前身)がイブラヒムのために発行した国内旅行の際の便宜を関係機関に要請する紹介状
成女学校(現在の成女学園中学校・成女高等学校)での講演の様子
平戸藩主松浦詮の長男、松浦厚。イブラヒムが交流を深めた人物の一人。
大隈重信。イブラヒムは大隈と何度も会談し、早稲田大学で公演も行った。
第2巻タイトルページ。水濡れによるシミがある。
第2巻に収められている、象に乗るイブラヒムの写真。第1巻に比べて写真数は多くないが、数点の写真が第2巻にもある。
下の茶色い紙表紙が第1巻、黒い布装丁が第2巻。現在のトルコ語とは異なるオスマン・トルコ語で書かれており、書物の開きもヨーロッパのそれらと逆。