書籍目録

『アジアの政治、地理、歴史論:2枚の地図を付して』

[ザッタ]

『アジアの政治、地理、歴史論:2枚の地図を付して』

全3巻揃い 1784年 ヴェネツィア刊

[Zatta, Antonio].

STORIA POLITICA GEOGRAFICA DELL’ ASIA...ORNATO DI DUE CARTE GEOGRAFICHE.

Venezia, Antonio Zatta e Figli, MDCCLXXXIV(1784). <AB202012>

Sold

3 vols.(complete)

8vo (16.0 cm x 23.0 cm), 3 vols. / Vol.1: pp.[I(Title.), II], III-VIII, folded maps: [2], pp.1-295. / Vol.2: pp.[I(Title.), II], III-VII, pp.[1, 2], 3-272, 271, 272(no duplicate pages), 273-301, folded plate: [1]. / Vol.3: pp.[I(Title.), II], III-VII, pp.[1-2], 3-332, Contemporary marble boards.
刊行当時のマーブル紙による簡易厚紙装丁で、紙端も断ち切りをほとんどしていない状態。製本の綴じ糸に緩みあり。

Information

18世紀後半のイタリアを代表する地図製作者によるアジア論におけるユニークな日本記事と地図

 本書は、18世紀後半にヴェネツィアで地図製作者、出版社として活躍したザッタ(Antonio Zatta, 1757 - ?)によって出版されたアジア地域全体の地理と政治、文化について網羅的に論じた全3巻からなる書物です。ヨーロッパに近い西から東に向けて順にアジア各国、地域を解説するもので、極東にある日本も最終第3巻の最後近くでかなり詳細に論じられています。著者名は記されていませんが、その内容からしておそらく出版社であるザッタ自身ではないかと追われます。日本についてのユニークで質の高い記述が見られる本書ですが、大変興味深いことに、国内はもとより世界中の研究図書館においても所蔵がほとんど確認できない貴重な書物で、主要なビブリオグラフィーにも言及が見られない稀覯書です。地図帳出版で名高かったザッタならではのアジア地図2枚も収録しており、そこに描かれた日本の姿も地図史の観点から大変興味深いものといえるでしょう。

 ザッタは、地図帳出版で特に有名で、日本を単独で描いた「日本帝国図(L’Impero del Giapon.1785)」を制作したことでもよく知られています。彼の地図帳は同時代のイタリアを代表する地図帳と言われるほど質が高く、ザッタが地図製作者として高い技術と見識を備えていたことがうかがえます。彼の地図帳 Atlante Novissimo は、刊本で残存するものは多くありませんが、個別の地図は現在でも数多く残されており、時代を超えて彼の作成した地図の人気が高かったことを伝えています。その一方で、彼が出版した本書についての情報は全くと言っていいほど見当たらず、海外の主要な研究機関にも所蔵が確認できません。このことから、その理由は定かではありませんが、本書が出版された部数が極めて少なかった、あるいは出版されたものの何らかの事情で廃棄処分された可能性が推察されます。今回見つかったものは、おそらく出版当時そのままと思われるマーブル紙を用いたごく簡易の厚紙装丁で、本装丁が施される以前に通常なされる余白部分の断ち切りもされていませんので、おそらく刊行されてからほとんど読まれることなく、伝わったものではないかと考えられます。

 こうした不思議な背景があると思われる本書ですが、その内容については一層興味深いもので、当時のヨーロッパがアジアとみなしていた地域を西から東へと向かう順序で網羅的に論じるという構成になっています。第1巻には2枚の折り込み地図が収録されており、本書で扱われる地域全体を描いたものと、当時最も不正確なままであった北東東アジア海域を描いた地図を見ることができます。この地図も雑多の作品として、ほとんど知られていないものと思われ、アジア図に描かれている日本の姿も、先に挙げたザッタによる日本単独図とはかなり異なる輪郭となっています。

 日本についての記述は、極東に位置するため最終第3巻の最終部に程近い290ページからとなっています。地理情報を中心にかなり詳細に論じたもので、多くの先行文献を参照していると思われる一方、著者独自の構成、見解が随所に散りばめられており、大変ユニークな日本論となっています。

 まず、著者は、日本の地理について確かなことはほとんどわかっていないこと。かつてあらゆるヨーロッパ諸国が自由に行き来することができた時代の断片的で錯綜した情報が伝わっているに過ぎず、海岸、港、島々、都市の情報などが様々な地図において混乱しことを率直に述べることから記事を始めています。その上で、日本王国、あるいは日本帝国と呼んでも良いが、この国は多くの島々で構成されている島国で「アジアにおける大英帝国」のようなものであると日本の全体像を独自の表現で説明しています。次に日本産品として、日本で収穫されている農産物は、穀物類と米、そして茶であること、また優れた紙を生産するために用いられる楮(Kadsi)、耐久性があるニスとして用いることができる漆(Arusi)、樟脳をもたらす楠(Kus)などの特定の目的に有用な産品もあること等を述べ、農産物は概ね非常に豊かな地域として日本のことを紹介しています。日本から輸出されるものとしては、非常に高品質な生糸、動物の毛皮、金、銀、銅、錫などがあり、それ以外にも瑪瑙、通常の真珠と同じくらい重宝される赤い真珠がある等々の輸出用産品、農産物だけでなく、家畜などの動植物の様子についても細かく紹介しています。

 続いて、日本には火山が非常に多いことや、日本の人々の特徴としては、中程度の背丈で色はやや暗く、非常に我慢強く、優れた素質があるとしています。また、外国人を軽蔑し、残忍な気質を有すること、科学と芸術を好み、知歳に優れ記憶力も良いなどと述べています。その習慣はヨーロッパのものとは体操異なっており、ほとんど正反対かのようで、例えば彼らは白よりも黒い歯を好むが、これは日本の人々にとっては、黒は喜びを示す色で、逆に白は悲しみを意味する色だからである、と解説しています。日本の人々は名誉と侮蔑に対して極めて敏感で、不名誉を被った際にそれをもたらした相手に対する復讐心の強さは他のアジアの国々の人々には見られないほど激しいものであるとも紹介しています。

 日本の統治状況については、全土に渡って非常に強力な権力を有する公方(Kubo)と呼ばれる皇帝によって専制的に支配されており、皇帝支配下の兵士の数は約30万にも及ぶと説明しています。それから、日本とヨーロッパ人との交流の歴史を1542年のポルトガル人の漂着から始めて解説していますが、その解説の中で日本の起源についても言及しており、660年に日本を創国した人物として神武(Sin-Mu)の名を挙げ、神武の一族が内裏(Dairi)としてその権力を代々引き継いでいき、内裏はチベットのラマのように聖なる人物として崇められていると述べています。続いて日本におけるキリスト教布教の歴史へと筆が進み、1549年のザビエル来日以降、キリスト教の布教は極めて大きな成果を挙げ、3人の諸侯が教皇に使節を派遣するまでに至ったこと、1629年には40万人を超えるキリスト教信者がいたことが紹介されます。ここで、日本の宗教事情についての解説が挿入され、Paw氏(店主には特定できず)による、日本の人々はチベットの人々にその起源があり、そこから韃靼、朝鮮へと渡った人々が日本に向かって住みつくようになったという説を紹介して、そこから生じた宗教が神道(sintos)であるとしています。また、もう一つの有力な宗教として、その創始者の名で呼ばれる仏陀(Buds)があるとして、仏陀は神と人間とを媒介する阿弥陀(Amida)、あるいはその中間に位置付けられる様々な神々を信仰しているとしています。こうした日本の主要な宗教を簡単に解説してから再び、歴史の解説へと戻り、16世紀になって、兵士から権力を掌握し皇帝を名乗るようになった太閤様(Taycosama)による日本の統治形態の大きな変革があり、残虐で暴力に満ちた圧政が敷かれるようになったと述べています。彼によってキリスト教への厳しい弾圧が始まったとして、以降の歴代日本皇帝による日本におけるキリスト教弾圧は、ローマ皇帝らによるそれをも凌ぐ過酷さであったと解説しています。そして、1638年に遂にポルトガル人は日本から永遠に追放され、日本におけるカソリック伝導活動は途絶したと続けています。1641年にはオランダ人も、長崎(Nagasaki)と小さな橋を介してのみ、つながっている出島(Desima)に追いやられて拘束されているとして、出島においてオランダ人がどのように扱われているのかについてや日蘭貿易で取引されている産品などを具体的に解説しています。

 また、日本の地理情報についてはかなり詳しく解説しており、日本(NIPHON)(本州のこと)、九州(KINSIN)、四国(SIKOKF)という主要な三島で構成されており、それぞれがさらに細かな国々に分かれていることや、主要都市について具体的に都市名を挙げながら紹介しています。七道に分けて所属する主要都市を個別に解説する説明の仕方で、本州の、東海道(Tookaidò)、東山道(Toosandò)、北陸道(Foku, Rokudò)、山陰道(Sanindò)、山陽道(Samiodò)、九州の西海道(Saikaidò)、四国と淡路(AVOADSI)の南海道(Nankaidò)の順で論じています。また、これらに含まれない日本に所属する島々についても解説しています。さらに、日本を代表する大都市として、江戸(YEDO)、京(MEACO)、大坂(OSACCA)、長崎(Nangasaki, o Nagasaki)、府内(FUCHEO, o FUNAY)、土佐(TONASA, o TOSA)を別個に取り上げて紹介しています。このうち、豊後の府内は、カトリック信仰がかつて盛んでグレゴリオ13世に使節を派遣した王が治めていた国であるとしています。

 最後に補遺として、本州北方の北東アジア地域のことについても言及していて、アムルール川加工付近までロシア人が1728年にやってきて漁業を始めたところ、中国から自領であるとの意義申し立てがあったが武力を背景に操業を続けていることや、アリューシャン列島やベーリング海近辺は、将来、南太平洋と同じく、航海の新しい発見がもたらされるであろうことや、長年ヨーロッパでその存在と位置をめぐって議論が続けられていた金銀島についても、より正確な情報が入手できるようになるだろうと述べています。逆に言うと、本書執筆時点ではこの海域の地理情報は極めて不正確で、また最も混乱が見られた地域であったということを意味しており、本書第一巻に収録されている折込地図を見てみると、そのことが一層よくわかります。

 本書における日本記事は先行する多くの文献の影響が見られますが、その一方で特定の文献を流用するだけでなく、著者が自身の視点で再整理、検討を加えていることが特徴的で、地図製作者として著名だった著者ならではの高い学識が反映されていると言ってよいでしょう。先行文献からの記述を羅列して転載するのではなくて、他地域との比較も時には行いながら叙述を進めている本書の日本関係記事は、日本だけでなくアジア地域全般に渡っての豊かな知見を備えていた著者ならではのものです。

 このように本書は日本関係記事が大変興味深いことに加えて、先述のように国内外で所蔵機関が見られないという希少性にも鑑みますと、その出版背景事情の解明も併せて大変興味深い研究課題を提供する文献ということができるでしょう。

刊行当時のマーブル紙による簡易厚紙装丁で、紙端も断ち切りをほとんどしていない状態。
第1巻タイトルページ。本書で扱われるトピックについて列挙されている。出版社のザッタは当時のイタリアを代表する地図出版社として大変有名。
各巻の冒頭に目次が掲載されている。
第1巻の最初に収録されている折り込み地図。この地域は当時ヨーロッパにおいて最も不正確なままであった地域の一つであった。
本書で扱われる地域を描いたアジア全図。
ここで描かれている日本の姿は、ザッタが制作した日本図ともかなり異なる。特に本州北東地域がかなり混乱して描かれていて、これはザッタの不正確さによるものというよりも、当時のヨーロッパのこの地域の情報がいかに錯綜していたかを示している。
第2巻タイトルページ。
第2巻はパレスチナの記述から始められている。ヨーロッパから見て西から東へと進んで順に解説されているため日本を含む東アジアが登場するのは最終第3巻。
第3巻タイトルページ。
第3巻の最終部に程近い290ページから始まる日本記事。地理情報を中心にかなり詳細に論じたもので、多くの先行文献を参照していると思われる一方、著者独自の構成、見解が随所に散りばめられており、大変ユニークな日本論となっている。
日本の地理情報についてはかなり詳しく解説しており、七道に分けて所属する主要都市を個別に紹介している。上掲は、九州の西海道(Saikaidò)の記事冒頭箇所。
日本を代表する大都市として、江戸(YEDO)、京(MEACO)、大坂(OSACCA)、長崎(Nangasaki, o Nagasaki)、府内(FUCHEO, o FUNAY)、土佐(TONASA, o TOSA)を別個に取り上げて紹介している。
日本記事最後の補遺には、第1巻折り込み図とも関連する本州北方の北東アジア地域についての記述となっている。