書籍目録

『1678年5月12日ストックホルム聖ヤコブ教会で行われたベリエンシェーナに捧げられた追悼演説(ベリエンシェーナの日本を含む東インド航海日誌抄付属)』

アルシニウス / ベリエンシェーナ

『1678年5月12日ストックホルム聖ヤコブ教会で行われたベリエンシェーナに捧げられた追悼演説(ベリエンシェーナの日本を含む東インド航海日誌抄付属)』

[1678年] トゥルク刊

Alcinio (or Alcinius), Abraham / Bergenstierna, Johan.

Christelijk Lijk=Predijkan / Som För närwarande Höde och Förnähme sampt Fockrijke Försambling Bleff hållen Vthi Stockholm och St: Jacob Kyrka Åhr 1678. Den 12. Maij. Tå…Hen Edle och Wälborne Herres / Hr. Johan Bergen=Stiernas /…

Åbo (Turku), Johann Winter, [1678]. <AB202010>

Sold

4to (14.2 cm x 17.2 cm), pp.[1(Title.)-3], 4-44, Disbound.
未製本の状態。上部がトリミングされており余白がほとんどなく、一部ページ番号が確認できない子葉があるが、テキストに欠落はなく概ね良好と言える状態。

Information

最初に来日したスウェーデン人による長崎訪問記録を収録した重要小冊子

 本書は、スウェーデン人で最初に日本を訪れたベリエンシェーナ(Johan Bergenstierna, 1618 - 1676)に捧げられた追悼演説と、その付属として生前にベリエンシェーナが綴っていた航海日記抄録を含む伝記史料を収録したものです。日本関係欧文史料として大変興味深いのは、この航海日記抄録において、1647年8月8日の日本(長崎)到着について言及した記事が含まれていることです。記事そのものは非常に短いものですが、最初に日本を訪れた記念すべき人物による日本記事という点で、日本ースウェーデン関係の原点となる史料として非常に重要な記述とみなすことができるものと言えます。しかも、ベリエンシェーナの航海日記の原本は残念ながらその後失われてしまったため、本書に掲載された抄録が今に伝わる唯一の資料という点でも非常に貴重なものです。

 ベリエンシェーナはスウェーデンの海軍士官で、海軍としてのキャリアを積む傍ら、1646年から1651年にかけてオランダ東インド会社に勤め、この時に日本を含む東インドへの航海を経験しています。彼がオランダ東インド会社員として長崎を訪れたのは上述の通り1647年8月8日のことで、これはスウェーデン人による最初の来日となりました。この直後の11月には同じスウェーデン人のコイエット( Fredrik Coyet, ? - 1687)がオランダ商館長として来日しており、この1647年はスウェーデンの人々と日本の人々との間に直接的な交渉が始まった記念すべき年ということができるでしょう。なお、コイエットはカロン(François çaron, 1600 - 1673)の義兄でもありましたが、ベリエンシェーナはコイエットとカロンの両人とも面識があり、両者の間で取り交わされた書簡が現代に伝わっています。こうした初期の日蘭関係の樹立に大きな貢献を成したオランダ東インド会社高官との交流があったという点でもベリエンシェーナの来日は大きな意義があったものと思われます。ベリエンシェーナは帰国後に再び海軍に復職し、以降は海軍士官としてのキャリアを重ね、名声も得て騎士叙勲を受けていますが病により1676年に世を去りました。

 ベリエンシェーナが亡くなった翌年1677年にその妻も亡くなったことを受けて、1678年5月12日にベリエンシェーナを追悼するための式典がストックホルムで開かれました。本書は、この式典で読み上げられた追悼演説と、彼が生前残していた航海日記の抄録を含む伝記史料を収録したものです。追悼演説を行なったのはアルシニウス( Abraham Alcino or Alcinius)で、彼についての詳細は不明ですが、海軍士官として生前ベリエンシェーナと親しい関係にあったことは間違いないようで、その縁でベリエンシェーナの航海日記を手にする機会があったものと思われます。

 本書は、わずか44ページの小著ですが、この航海日記抄録は、PERSONALIAと題されたベリエンシェーナの伝記記事(29ページから)に含まれています。この日記抄録は、1646年にヨーロッパを発ってから帰国するまでの動向が時系列に沿って記述されており、彼の航海の概略を辿ることができる内容となっています。ベリエンシェーナの来日については、33ページに見出すことができ、そこには「1647年8月8日、日本に到着し、長崎(Langezak)という都市に入った」と記されています。長崎が Langezak とされているのは、これは当時のオランダ人が長崎のことをこのように呼んでいたことによるもので、長崎の「長」という字が「長い」という意味を持つことに着目して、オランダ語の「長い」を意味するLangeをあて、「崎」はそのまま日本語の音読み Zak をあて、両者を組み合わせて(Lange+Zak)と呼んでいたようです(この点についての指摘は後掲参考書57ページ参照)。ベリエンシェーナは10月17日に日本を離れて台湾へと向かいにその後バタヴィア、シャムを訪れ、その後再び日本に戻ったことも本書には記されています。

 ベリエンシェーナは日本を訪れた最初のスウェーデン人として記念すべき人物ですが、彼の航海日誌が未刊のまま失われてしまった今となっては、本書に残されたわずかな記録が、彼の来日を調べるための大きな手がかりとなると言えるでしょう。スウェーデン語で刊行された書物において日本についての本格的な紹介がなされるのは1667年のことで、この年に刊行された『航海記集(Een Kort beskriffning uppå trenne resor och peregrinationer, sampt konungarijket Japan...1667)』に、ヴィルマン(Olof Eriksson Willman, 1620 -1673)の日本旅行記と、カロン「日本大王国志』のスウェーデン語翻訳版が収録されていました(同書は1673年にも再版されています)。本書は、刊行年が明記されていませんが、収録している追悼演説が1678年に行われていることに鑑みると同年中に刊行されたものと思われますので、実際に日本を訪れたスウェーデン人による日本関連記録を収録した最初期の公刊文献とも言えるでしょう(本書には他にストックホルムで刊行された異刷もあるようです)。

 なお、本書については、スウェーデン人の実業家で、引退後にベリエンシェーナの生涯と来日を本書を元に調べ上げた在野の研究者エリクソン(Sven Eriksson)による『日本を訪れた最初のスウェーデン人、ヨハン・ベリエンシェーナ(Den Förste Svensken i Japan Johan Bergenstierna. Private printing, 2017 /ISBN:9781521840023)』において詳細に取り上げられており、店主も大いに参考にしています。同書は、本書を軸にしながら、公文書館に残されているベリエンシェーナ関係文書(書簡等)をはじめとした各種史料を駆使して、本書収録記事を補強した力作で、130ページほどの小著ながら非常に多くの示唆に富む内容となっています。2017年に刊行された同書は、個人出版という事情もあってか、国内研究機関ではまだほとんど所蔵されていないようですが、最初期の日本・スウェーデン関係の研究文献として、本書と合わせて注目すべき書物と思われます。

タイトルページ。
本文冒頭箇所。1678年5月12日にベリエンシェーナを追悼するための式典がストックホルムで開かれた際に読み上げられた追悼演説。
後半に収録されているベリエンシェーナの伝記記事冒頭箇所。大半は彼が残していた航海日記の抄録である。
ベリエンシェーナの長崎訪問記録を掲載している33ページ。「1647年8月8日、日本に到着し、長崎(Langezak)という都市に入った」とある。
わずか44ページの小冊子で未製本の状態。