書籍目録

『航海と旅行記の完全集成』

ハリス

『航海と旅行記の完全集成』

改訂(第3)版 第1巻(全2巻中)  1764年 ロンドン刊

Harris, John.

Navigantium atque Itinerantium Bibliotheca. OR, A COMPLETE COLLECTION OF VOYAGES and TRAVELS. CONSISTING OF ABOVE Six hundred of the most AUTHENTIC WRITERS,…Originally published in TWO VOLUMES in FOLIO,…Now Carefully REVISED,…VOL. I.

London, (Printed for) H. Whitridge, C. Bathurst, H. Woodfall, A. Millar,…, M.DCC.LXIV.(1764). <AB20201>

Sold

Revised & enlarged(3rd) edition. vol. 1 only of 2 vols.

Folio (25.0 cm x 38.0 cm), Title., 2 leaves(Preface), pp.[I], ii-xvi, 2 leaves(Table of Contents), pp.[1], 2-819, 662[i.e.820], 821-984. LACKING all maps and plates, Later full leather rebound.
図版、地図が欠落。5F-2(pp.387-388)と5G(pp.389-390)上部、6C-2(pp.467-468)と6D(pp.469-470)下部にテープによる補修あり。 10C(pp.833-834)〜10N(pp.873-874)上部ノド付近に切れあり。

Information

18世紀を代表する航海記・旅行記集成に記された豊富な日本関係記事

本書は、18世紀のイギリスを代表する旅行記・航海記集成で、日本に関する記述も豊富に含まれた大変興味深い著作です。編者であるハリス(John Harris, 1666? - 1719)は、科学者、著作家として精力的に活躍し、王立科学協会の中心人物でもあり、科学事典の先駆けとして名高いLexicon Technicum(1704)の編者でもありました。ハリスによる『航海と旅行記の完全集成』は、18世期のイギリスで盛んに刊行された航海記・旅行記集成の基礎を築いたとも言える重要な文献で、ほぼ同年代に刊行されたチャーチル(Awnsham Churchill / John Churchill)の『航海・旅行記集成(A Collection of Voyages and Travels,...1704)』と競い合う形で繰り返し刊行され、またそこから多くの類似書物の刊行を促しました(ハリスの『航海と旅行記の完全集成』の初版が刊行されたのは1705年とチャーチルの『航海・旅行記集成』のわずか1年後のことでした)。

 ハリスの『航海と旅行記の完全集成』は、ハリスの死後に増補改訂を施した第2版が1744年から1748年にかけて刊行され、この増補改訂第2版を底本として1764年にも再版されています。本書は、この1764年改訂版の第1巻(全2巻中)にあたるものです。こと日本関係記事はこの第1巻にかなり集中していることから、本書は端本とはいえ、日本関係欧文資料としては非常に重要な文献と言えます。また、残念ながら本書は、本来収録されているはずの図版や地図が欠落していますが、図版についてはそもそも日本に関係するものはなく、また地図についても日本を単独で描いたものはないことから、日本関係欧文資料としての価値の中心は本文そのものにあると言ってよいでしょう。

 イギリスにおける航海記・旅行記集成に類する書物は、16世期末のハクルート(Richard Hakluyt, 1553 - 1616)による『イギリス国民の主要航海記(Principal Navigations,...1589)』、パーチャス『廻国記集(Purchas his Pilgrimage. 1613)』をはじめとして、歴史と伝統のある分野といえるものです。18世紀初めに初版が刊行されたハリスの『航海と旅行記の完全集成』はこうした歴史と伝統に根ざした書物の一つといえるもの(長大なタイトルにおいて、これらの主要な航海記集を列挙していることからもそのことがうかがえます)ですが、本書の特徴は、編者であるハリスが収録すべき航海記・旅行記を、明確な目的意識と分類基準に従って整理、編纂し、その「科学的客観性」が大きく高められていることにあります。これは、ハリス自身が科学者であったことも当然大きく影響していますが、17世紀以降に急速に発展を遂げた経験科学の興隆に呼応するものであったことが非常に大きな要因になっているものと思われます。興味本位的な奇譚集としてではなく、世界各地における人文・社会・自然科学における知見を広めるための書物として本書は編纂されており、収録された旅行記・航海記は、原著をそのまま翻訳・転載するのではなく、編者によって検証を経た上で編纂されて掲載されています。

 こうした「科学的な」編纂方法は1705年のハリス自身の手による初版からの大きな特徴といえるものですが、ハリスの死後に刊行された増補・改訂版では、一層その方針が徹底され、初版刊行以降に新たにもたらされた旅行記・航海記とそれらに基づく知見を新たに盛り込んで編集がなされており、初版と比べて内容が大幅に補強されています。従って、同じハリスの『航海と旅行記の完全集成』といっても、1705年刊行の初版と1744年以降に刊行された増補改訂版とは、同じ特徴的な編纂方針が採られつつも、内容が大きく異なっていることに注意する必要があります。

 本書は、このような背景、特徴を有するハリス『航海と旅行記の完全集成』の増補改訂版の第1巻にあたるものですが、コロンブス(Christopher Columbs, ? - 1506)に始まる大航海時代以降のヨーロッパ人による主要な航海記を収録した第一部と、東インド地域に関する主要な旅行記・航海記を収録した第二部とに分かれています。

 第一部では、古代における航海技術や地理情報と比して、近代(Modern, ここでは大航海時代以降を指す)が圧倒的に優れた航海技術と豊富な地理情報を得ることができていることを簡単に概説してから、コロンブス、マゼラン(Ferdinand Megellan, 1480 - 1521)、ドレイク(Francis Drake, ? - 1596)といった初期の主要な航海者による記録をそれぞれに章を設けて掲載しています。また、こうした初期航海者による代表的な航海記録だけでなく、1740年から44年にかけて世界周航を果たしたアンソン(George Anson, 1697 - 1762)といった当時最新の記録に至るまでの主要な航海記録が合計22本収録されていて、ヨーロッパ人による海洋進出が歴史的に(刊行当時の)現代までにどのように広がっていったのかを辿ることができるようになっています。

 この第一部における日本関係の記述としては、オランダ人による初の世界周航を達成したファン・ノールト(Oliver van Noort, 1558 - 1627)の航海記中に現れる日本船との出会いに関する記述(35頁〜)のほか、1721年から1723年にかけてオランダ西インド会社の帆船を率いて太平洋を横断してバタヴィアにまで航海したロッヘフェーン(Jacob Roggeveen, 1659 - 1729)の航海記中に登場する、日蘭貿易や東南アジア地域との交易に関する記述(299頁〜)があります。特に後者は、(年代からして当然ですが)初版になかった非常に詳細な記述で、ロッヘフェーン自身の著作に基づく日本関係情報だけでなく、編者が独自に「日蘭交易の本質に関する考察」と題した一節を設けており、日蘭貿易の実情がどのようなものであるのかを解説することが試みられています。ここでは、当時最新の文献からの引用とされる文章が長く引用されていて、おそらくケンペル『日本誌』あたりが情報源ではないかと思われるのですが、店主にはまだ正確に特定できていません。この引用文は、以下のような問いに答える問答形式になっていて非常に興味深いものです。

①日本はどの程度の大きさで、またどこまでが本当の境界線であるのか?
②日本帝国における交易を価値あるものとしている産品、工芸品は何か?
③日本帝国内における交易はどのようにして行われているのか、またヨーロッパ人によって発見されるまでは、外国とどのような商業取引を有していたのか?
④オランダと中国を除いて、あらゆる国々が日本帝国との交易を禁じられているのはなぜか?
⑤日本における中国人はどのような状況にあるのか、また何を取引しているのか?
⑥オランダがその商館を保持している地の真の名前、大きさ、状況、そして産品は何か?
⑦当地でオランダ人が交易を行うに際して常に甘受せねばならない制限とはいかなるものか?
⑧日蘭交易に従事する船舶数、人員、装備はいかなるものか、また彼らはバタヴィアをいつ発つのか?
⑨東インド全体において専横的で強大な権力を保持することを自認するオランダが、日本の人々に強いられた、かくも奴隷のような制限の下に服しているのは、いったいいかなることか?

 この箇所に限ったことではありませんが、世界の海洋覇権をめぐってオランダと熾烈な争いを繰り広げてきたイギリスにおいて出版された本書では、オランダを批判する主旨の記述が随所に見られます。日蘭貿易についてロッヘフェーン自身の記録を補強する形でこのような解説がなされているのも、こうした姿勢がうかがえます。

 第二部(369頁〜)は、ヨーロッパと東インドとの交流を主題として、数々の旅行記・航海記が編纂されています。この第二部では、ヨーロッパと東インドとの交流の歴史が非常に古くからのもので、かつ極めて重要なものであったことが冒頭でかなり詳しく論じられています。具体的な旅行記・航海記の紹介に入る前に、こうした歴史的経緯を概説する記事が多く収録されていることが、この第二部の特徴で、大航海時代以降という「近代」が古代に対して圧倒的な優位を誇ることを強調していた第一部とは対照的に、古代からの東インドとの関係が非常に丁寧に記されている印象を受けます。古代からの交流史を踏まえた上で、近年の航海記が網羅的に収録されており、個別の航海記だけでなく、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、デンマークなどといった各国による東インドへの航海派遣についての記事も収録しており、古代から現代に至るまでのヨーロッパと東インドとの交流史が一望できるような構成となっています。加えて、東インド各地における特徴的な動物や植物といった自然科学に関する記述も含まれています。

 このような第二部における日本関係の記述は非常に多岐にわたっており、店主が気付くことができたものだけに限っても次のような記事が収録されています。

・マルコ・ポーロ(Marco Polo, 1254 - 1324)による「ジパング、すなわち日本(Zipang i. E. Japan)」の紹介(619頁〜)
・ピント(Fernão Mendes Pinto, ? - 1583)による記述を中心としたポルトガルの人々の日本到着関係記事(685頁〜)
・日本の北東、北西に位置する蝦夷(Jeso, or Jesso)について(p.688頁〜)
・マンデルスロー(Johann Albrecht de Mandelöl, 1616 - 1644)の航海記に収録された日本情報(主にカロン(François Carron, 1600 - 1673)の記述に基づくものと思われる)(791頁〜)
・ウィリアム・アダムズ関係記事(856頁〜)
・大英帝国と東インドとの交易史に関する記事中における、セーリス(John Saris, ? - 1643)関係記事(876頁)
・同上記事中におけるアンボイナ事件と日本の関与についての記事(877頁〜)
・オランダ東インド会社の成立と拡大史ついての記事中における平戸商館長スペックス(Jacques Specx, 1585 - 1652)関係を中心とした記事(929頁〜)
・同上記事中におけるカロン関係記事(939頁〜)
・フランス東インド会社の歴史についての記事中におけるカロン関係記事(953頁〜)

 第二部中における日本関係記事は多岐にわたっており、また内容も非常に充実したものとなっています。特に、1600年に豊後に漂着した最初のイギリス人で、家康の外交顧問として日本に残り「三浦按針」という日本名と所領を与えられるという異例の待遇を受けた外国人として大変有名なアダムズ(William Adams, 1654 - 1620)については、独立した章(第32章)を設けて非常に詳しく取り扱っています。アダムズ関係記事は初版にもありましたが、増補改訂版である本書の記述は、その内容が大幅に補強されていることが分かります。また、東インド地域で生じた英蘭衝突事件で、イギリス東インド会社によってオランダ東インド会社商館員が虐殺された「アンボイナ事件」については非常に詳しく記述しており、この事件における日本の関与についても詳細に記されています。また、オランダ東インド会社を去ってフランス東インド会社に迎えられてからのカロンの動向を記した記事なども収録されていて、大変興味深いものです。

 18世紀初めに初版が刊行されたハリスの『航海と旅行記の全集成』は、チャーチルの『航海・旅行記集成』と競い合う中で、増補、再版を行い、当時を代表する航海記としての地位を確立しました。この過程で、さまざまな航海記・旅行記集成の刊行が相次ぎ、18世紀半ばから後半にかけてはブームといえるほどの出版状況が生じています。このような航海記・旅行記集成には、日本に関する記述が鏤められており、それらは一見目立たない形ではありますが、当時のヨーロッパにおける日本情報の流布に小さくない影響力を持ったものと思われます。また、こうした日本関係記事は、一定の共通するスタイルがあるものの、収録された航海記・旅行記集成の刊行年、編集方針によって様々なヴァリエーションがあり、このような多彩な記事が豊富に流通することによって当時のヨーロッパにおける日本像が形成されていたことに改めて着目すべきでしょう。ハリスの『航海と旅行記の全集成』にかぎってみても、初版と増補改訂版である本書とでは、日本関係記事の構成や内容が大きく変容しており、これは初版刊行当時の1705年と本書の刊行年である1764年との間に、18世紀の日本情報の金字塔となったケンペル『日本誌』の刊行をはじめとして、それ以外にも日本情報の流布における変容が生じていたことを物語っています。のみならず、受容者であるヨーロッパ社会、イギリス社会そのものが大きく変容していたことが、こうした記述の変化を引き起こしたのではないかと思われます。そうした意味でも、本書における日本関係記事は、詳細に検討する価値を有した貴重な情報と言えるでしょう。

 なお、本書と同じ改訂増補版(1764年刊)は、アダム・スミスが所蔵していたことでも知られており、現在、東京大学経済学部図書館が所蔵するアダム・スミス文庫の中に含まれています。

近年になって改装が施されたものと思われる革装丁。フォリオ判のかなり大きな書物。
長大なタイトルが本書の性格を物語っている。
目次①
目次②
目次③
目次④
第一部冒頭箇所
ファン・ノールト(Oliver van Noort, 1558 - 1627)の航海記中に現れる日本船との出会いに関する記述
1721年から1723年にかけてオランダ西インド会社の帆船を率いて太平洋を横断してバタヴィアにまで航海したロッヘフェーン(Jacob Roggeveen, 1659 - 1729)の航海記中に登場する、日蘭貿易や東南アジア地域との交易に関する記述
編者が独自に設けた「日蘭交易の本質に関する考察」と題した一節
第二部冒頭箇所。
マルコ・ポーロ(Marco Polo, 1254 - 1324)による「ジパング、すなわち日本(Zipang i. E. Japan)」の紹介
ピント(Fernão Mendes Pinto, ? - 1583)による記述を中心としたポルトガルの人々の日本到着関係記事
日本の北東、北西に位置する蝦夷(Jeso, or Jesso)について
マンデルスロー(Johann Albrecht de Mandelöl, 1616 - 1644)の航海記に収録された日本情報(主にカロン(François Carron, 1600 - 1673)の記述に基づくものと思われる)
ウィリアム・アダムズ関係記事
大英帝国と東インドとの交易史に関する記事中における、セーリス(John Saris, ? - 1643)関係記事
同上記事中におけるアンボイナ事件と日本の関与についての記事
オランダ東インド会社の成立と拡大史ついての記事中における平戸商館長スペックス(Jacques Specx, 1585 - 1652)関係を中心とした記事
同上記事中におけるカロン関係記事