書籍目録

「ル・モンド・イリュストレ 1864年12月31日号」

ポワンテル編 / ルサン / (下関戦争)

「ル・モンド・イリュストレ 1864年12月31日号」

1864年 パリ刊

Pointel, Edmond (ed.) / Roussin, Alfred.

LE MONDE ILLUSTRÉ. JOURNAL HEBDOMADAIRE. 8e Anné. No.403. 31 Décembre 1864.

Paris, 1864. <AB2019170>

Donated

26.4 cm x 36.8 cm, Pp.[417], 418-436, Disbound.
未製本の状態で、数枚が綴じから外れてしまっている状態。

Information

フランス海軍士官による写真と記事で報じられた下関戦争

「絵入り週刊紙として世界で最初に成功をおさめたのは、1852年にイギリスで創刊された『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』The Illustrated London News である。内外の政治問題から美術・演劇・文芸評論などまで扱った総合紙であり、紙面の多くをさし絵で埋めるという画期的な編集方針によって発売直後から驚異的な売り上げ数をあげた。この成功に刺激を受けて、各国でも同様の新聞が刊行されはじめる。フランスでは『イリュストラシオン』Illustration が最初に登場した。1843年のことであった。『ル・モンド・イリュストレ』Le Monde Illustré はこの『イリュストラシオン』に遅れること14年めの、1857年に誕生した。そしていずれの新聞も、その後約1世紀にわたって刊行され続ける。
 こういった絵入り新聞の成功の背景には、19世紀に入ってからの印刷技術と木版技術の急速な進歩があった。また、世界各地からの情報収集のためには欠かすことのできない運輸・通信の発達にも、めざましいものがあった。幕末期、日本からフランスまで船で約2か月で行くことができ、1865年にはフランス帝国郵便会社(1871年に名称を変更して、フランス優先会社となる)によって日仏間に月1回の定期航路が開かれる。そしてこのような新聞を必要とするようになった市民社会の成熟も、大きな要因の一つとなった。」

「幕末木の日本関係さし絵の内容的な特徴は、なんといっても日本国内の混乱を伝えるものが多いことにある。1860年の江戸フランス公使館員襲撃事件、1863年に生麦事件が発端となっておこった薩英戦争、翌1864年の英・米・仏・蘭四か国連合艦隊と長州藩の間におこった下関戦争、1864年の鎌倉事件の犯人の処刑のもようが、次々とフランスに伝えられた。この一連の絵と記事の送り手は、当時日本方面の責任者であったフランス艦隊司令長官ジョレス Jaurès の秘書官を勤めていた海軍士官、アルフレッド・ルサン Alfred Roussin であった。ルサンはその立場をいかして、幕末日本の姿を多方面からとらえた、臨場感あふれる絵をフランスの読者に送った。」
(中武香奈美「解説」横浜開港資料館編『『ル・モンド・イリュストレ』日本関係さし絵集』横浜開港資料普及協会、1988年所収より)


「才気あふれる挿絵画家兼記者、アルフレッド・ヴィクトール・ルサン(1839-1919)は1862年8月、バンジャマン・ジョレス海軍大将の秘書に任命される。ジョレス海軍大将はセミラミス号の艦長として1862年から1865年にかけて中国、日本に遠征している。ルサンは日本に関して多くの科学的、文学的作品を遺しており、それらは『ラ・ルヴュ・デ・ドゥー・モンド』、そして特に『ル・モンド・イリュストレ』に寄稿された。(後略)」
(クリスチャン・ポラック『絹と光』アシェット婦人画報社、2002年、92頁より)

「1863年6月25日、長州藩主毛利元徳は、発せられてまもない攘夷の勅命を適用し、関門海峡(旧称馬関海峡)内にてアメリカ商船を砲撃する。7月8日にはフランス護衛艦ル・キエンチャン号、7月11日にはオランダ軍艦メデューサ号も攻撃を受ける。2週間後、複数の米・仏艦が下関の要塞と砲台の一部を破壊する。1864年9月、17隻からなる四国連合艦隊(英9隻、仏3隻、蘭4隻、米1隻)が報復攻撃を実施。戦闘は9月5日から9日まで続き、四国連合艦隊は関門海峡の全砲台を占領する。外国船の下関通行の自由を保障する講和条件が長州藩と締結される。
 馬関戦争に関してアルフレッド・ルサンは『Une campagne sur les côtes au Japon』と題した著作を遺しており、これは日本で以下の邦題で出版されている:『幕末海戦姫英米仏蘭総合艦隊』安藤徳器・大井征共訳、平凡社、1930(昭和5)年;『フランス士官の下関海戦記』樋口雄一訳、新人物往来社、1987(昭和62)年。」
(クリスチャン・ポラック前掲書、95頁より)

「挿絵はセミラミス号乗艦海軍大尉ルバの写真をもとにした銅版画(木版画と思われる;引用者注)。上『豊前(九州)の役人と兵卒」、中:『高台からの下関全景』、下:『下関のカミハマユウ神社(亀山八幡宮)の石段』」(クリスチャン・ポラック『絹と光』アシェット婦人画報社、2002年、97頁より)