書籍目録

『1863年と1864年の日本海域におけるメデューサ号』

カセンブロート / (攘夷戦争)/(下関戦争)

『1863年と1864年の日本海域におけるメデューサ号』

第2版 1865年 ハーグ刊

Casembroot, F(rançois). De.

DE MEDUSA IN DE Wateren van Japan, in 1863 en 1864;…Tweede druk, met een platje en twee kaartjes.

Gravenhage(Den Haag), De Gebroeders van Cleef, 1865. <AB2019165>

Sold

Second edition.

8vo (12.2 cm x 19.5 cm), Original Front cover, Front., pp.[I(Title.)-III], IV-VIII, pp.[1], 2-136, Folded maps: [2], Original Back cover, Bound in modern cloth with original covers.

Information

攘夷戦争と下関戦争における当事者であったオランダ軍艦長による貴重な証言

 本書はオランダの軍艦メデューサ号の艦長であったカセンブロート(François de Casembroot, 1817 - 1895)が、1863年の下関攘夷戦争と1864年の四国艦隊による下関戦争を中心として、1862年5月から1865年1月までの出来事を日記をもとに記した書籍です。長州藩による攘夷決行によって砲撃され、その後の四国艦隊による下関戦争に参加したオランダ海軍当事者の視点からの証言が綴られていることから、同事件に関する重要欧文文献として、その高い学術的価値が認められている書物です。

 メデューサ号は、1856年に日本に来航し、横浜と長崎を中心に日本海域や、バタビアをはじめとした蘭領インド海域において活動していた軍艦で、修理のためにオランダに帰国したのち、カセンブロートが1862年から艦長を務めました。本書は、1862年5月にカセンブロートがメデューサ号の艦長に任命され、バタヴィアに停泊したのち、1863年1月に長崎に向けて出発するところから、1864年10月に日本を離れバタヴィアに帰還し、カセンブロートが同艦を離れオランダに帰国するところまでを記しています。本分は約90ページとそれほど長くありませんが、1863年7月に長州藩から下関海峡で砲撃を受け応戦するメデューサ号の姿を描いた口絵、日本の政治状況を概説した序論と、関連する公文書11点からなる付録、地図2枚と、かなり充実した史料が多数収録されています。

 攘夷戦争や下関戦争については、イラストレイテッド・ロンドン・ニュースをはじめとした内外の英字新聞やフランスをはじめとした各国の新聞誌面において速報記事が数多く残されており、またイギリスやフランスの海軍関係者による回想録でも言及されていて、欧米各国の視点から見た同事件についての研究資料は比較的豊富に残されていると言えます。本書も、こうした欧文資料群の一角を占めるものですが、長州藩による砲撃を受けてから戦争終結まで一貫して当事者であり続けたメデューサ号の指揮官の手になる文献として、同種の資料の中においても、非常に重要とみなされている作品です。また、本書は、攘夷戦争や下関戦争だけでなく、その間に来航したスイス使節団の動向や幕閣との交渉、列強諸国間の協議といった当時の外交状況に関する数多くの記述も含んでおり、幕末の外交研究においても看過できない文献となっています。 

 本書はカセンブロートの帰国間もない1865年に初版が刊行され、その直後に改訂版である第2版が刊行されており、本書は改訂第2版にあたります。この第2版は、初版似なかった付録を新たに多数収録し本文も訂正している一方、初版に収録されていた5枚の地図を2枚に改めていて、ごく短期間ながらかなり大きな改訂が施されていると言えます。

 本書については、長らく単行本での邦訳がありませんでしたが、2016年に中本静暁氏によって対訳の形で、付録も含めた全文の翻訳が成し遂げられました(中本静暁編訳『対訳1863年と1864年におけるメデューサ号艦長の下関戦争』カペレン文庫、2016年)。この訳書は本書と同じ第2版を底本としており、原著にない見出しも設けられていることから、本書の構成や内容を理解する上で非常に大きな助けとなります。同訳書に従って、本書の構成を示すと下記のようになります。

序文(当時の日本の政治、外交状況についての概説)

(1)オランダから蘭領東インドへ(メデューサ号の概説含む)
(2)バタヴィアから長崎経由で横浜へ
(3)横浜にて
(4)ポルスブルック領事を迎えに長崎へ
(5)1863年の下関攘夷戦
(6)横浜近郊での外国人暗殺と横浜防衛
(7)再び長崎への往復
(8)1864年の四国艦隊による下関戦争
(9)帰国へ

付録1:両戦争に参加したメデューサ号乗員とその階級名簿
付録2:1863年9月9日付け、バタヴィア発のオランダ海軍少将からメデューサ号司令官宛通達
付録3:1864年2月6日付、ハーグ発の攘夷戦において戦功を収めたメデューサ号乗員に対する表彰通知
付録4:1864年9月10日付、下関発のオランダ海軍司令官デ・マンによる戦況報告書(1864年11月10日オランダ官報第267号)
付録5:1864年9月11日付、下関発のオランダ海軍中佐ミューレルによる在下関海域駐留司令官宛戦況報告書(1864年12月8日オランダ官報第291号)
付録6:1864年9月11日付、下関発のオランダ海軍中佐ファン・レースによる在下関海域駐留司令官宛戦況報告書(1864年12月8日オランダ官報第291号)
付録7:1864年9月11日付、下関発のオランダ海軍中佐カセンブロートによる在下関海域駐留司令官宛戦況報告書(1864年12月8日オランダ官報第291号)
付録8:1864年9月24日付『ジャパン・ヘラルド』誌掲載の下関戦争の戦況を報じた記事(英文)
付録9:1864年9月15日付、イギリス海軍キューパー中将によるイギリス海軍省宛戦況報告書(英文)
付録10:1864年12月16日付、イギリス海軍キューパー中将によるオランダ東インド艦隊司令長官宛短信(英文)
付録11:1864年12月15日付、フランス海軍ジョレス少将によるフランスオランダ東インド艦隊司令長官宛短信(仏文)

地図1:1863年7月11日の下関海峡における日本の砲台との交戦概況図とメデューサ号図
地図2:1864年9月5日の下関海峡における戦闘開始時の連合艦隊の位置を示した概況図

 本書は、攘夷戦争、下関戦争における当事者による記録として早くから注目される一方、その高い評価と認知度に反して、最近ではそれほど多くの研究がなされているとは言えない書物ですが、上述の訳書刊行を契機として、より詳細な研究成果が待たれる一冊と言えるでしょう。


「本書はJhr・F・デ・カセムブロート著『DE MEDUSA in de Wateren van Japan, in 1863 en 1864』の第2版を対訳したものである。初版は1865年秋にハーグ市のファン・クレーフ兄弟書肆から出版されたが、その年の直後に第2版が同書肆から出た。第2版は初版と比べて本文は数カ所の訂正と僅かな追加に過ぎないが、付録の通信・書簡史料などはいくつかが追加され大幅に順序も入れ替わっている。ただし、初版にあった5つの地図は3つがカットされ、代わりに口絵が1枚追加されている。(中略)
 そしてこれ(原著初版のこと:引用者注)は戦前に訳者不明で『メドゥーサ号日本航海記』東京大学史料編纂所翻訳稿本(維新IIい一二四)として訳されているが、旧字体で読みにくく時に難解なあるいは誤字と思われる部分は、無視されていて、辻褄を合わせるために大いに創作文が追加されているので、完訳とは言えない。原著は、著者が1864年に任務を終え日本からの帰国途中に艦長室で、日記や通信史料をまとめたもので、初めての著作ということもあり、また巻頭のバイロンのような叙事詩の引用からも窺えるように、当時流行したといわれるコンマを多用する叙事詩のような長文が随所に見られ、訳すのは困難であったと思われるのである。これまで題材は下関戦争という興味深い内容であるにもかかわらず、恐らくオランダ語の専門家もこの翻訳を躊躇したのは、誤訳を恐れたためかもしれない。(後略)。」
(中本静暁編訳『対訳1863年と1864年におけるメデューサ号艦長の下関戦争』カペレン文庫、2016年、解説183頁より)

刊行当時は厚紙による簡易装丁本だったと思われるが、本書は後年のクロス装丁が施されている。オリジナルの厚紙表紙も綴じ込まれており、貴重な刊行当時の姿を知ることができる。表表紙には攘夷戦のあった「1863年7月11日」「下関」という文字が記されたオランダ国旗が翻っている。
第2版になって初めて採用された口絵。1863年7月に下関湾で長州藩からの砲撃を受け、応戦するメデューサ号の姿を描いている。同じ図を描いた水彩画が下関市立歴史博物館に所蔵されている。
タイトルページ。
序文冒頭箇所。
本文より。メデューサ号の概要を解説した箇所。
付録には多数の重要史料が収録されている。上掲は、メデューサ号の主要乗員とその階級を記した名簿。
付録2:1863年9月9日付け、バタヴィア発のオランダ海軍少将からメデューサ号司令官宛通達
四国艦隊の総指揮を採ったイギリス海軍キューパーの本国宛書簡も英文で掲載している。
地図1:1863年7月11日の下関海峡における日本の砲台との交戦概況図とメデューサ号図。メデューサ号図に見られる黒丸は、砲弾を受けたことによる損傷箇所を示している。
地図2:1864年9月5日の下関海峡における戦闘開始時の連合艦隊の位置を示した概況図
裏表紙は、四国艦隊による下関戦争のあった「1864年9月5日および6日」「下関」と記されたオランダ国旗が描かれている。
後年になって施されたクロス装丁。