書籍目録

『ゴルフ愛好家の宝典』

伊藤長蔵編 / ダーウィン序文

『ゴルフ愛好家の宝典』

1925年 ロンドン刊

Ito, Cho(zo) (ed.). / Darwin, Bernard (Forward).

GOLFERS’ TREASURES: BEING AN ALPHABETICAL ARRANGEMENT OF THEORIES AND HINTS FROM GREAT GOLFERS.

London, The St. Catherine Press, MCMXXV(1925). <AB2019157>

¥165,000

8vo(12.2 cm x 18.4 cm), Half Title., Title., 1 leaf(Preface), 1 leaf(Forward/ List of abbreviations), pp.1-311, [312], Original half cloth.
表紙下部に水染み跡が見られるが、本体の状態は非常に良好。

Information

日本のゴルフ愛好家が海外で刊行した最初のゴルフ指南書、版権問題により絶版回収となった稀覯本

 本書は、日本におけるゴルフ関連出版活動の創始者と言われる伊藤長蔵が編集した英文のゴルフ指南書で、日本のゴルフ愛好家が海外で出版した最初の出版物として高く評価されています。20冊近くの英文ゴルフ書の名著から、アルファベット順に重要な記述を抜き出して編纂したもので、序文には当時のゴルフ書の大家であったダーウィン(Bernard Darwin, 1876 - 1962、チャールズ・ダーウィンの孫)の序文が寄せられています。日本のゴルフ愛好家がロンドンで発行した記念すべき最初のゴルフ書ですが、著作権の問題により絶版、回収を余儀なくされたと言われており、現在の古書市場でもほとんど流通することのない大変珍しい書物です。

 伊藤長蔵(1887 - 1950は、播磨の裕福な家庭の出身で、神戸で貿易商、出版社経営者として活躍した人物です。伊藤は、1910年に西本願寺の大谷尊由のロンドン渡航に随行し、この時にゴルフの魅力に取り憑かれました。日本におけるゴルフは横浜や神戸居留地の外国人らによって始められましたが、日本のゴルフ愛好家によるクラブの結成は1903年の神戸ゴルフクラブ設立が最初とされています。当時は富裕層を中心としたごく限られた人々のためのものでしたが、伊藤はゴルフの魅力をより広く伝えるために雑誌『阪神ゴルフ』を1922年に創刊、これが日本最初のゴルフ雑誌となりました。伊藤はロンドンで知り合った鈴木商店の高畑誠一らと協力して、現在の兵庫県三木市に広野ゴルフクラブを設立したりと、関西のゴルフ場設立にも尽力したことが知られています。

 本書では、伊藤が収集していた英文ゴルフ書の中から選りすぐられたゴルフに関する主要な用語、テクニックに関する記事が、アルファベット順に配列して掲載されています。序文において伊藤は、ゴルフ書を読むことがゴルフの腕前の向上に直結するかどうかはともかくとして、ゴルフは科学的な競技であるから、その技術を科学的に解説した書物を編纂して世に送り出すことに意義があることを強調しています。一つの項目につき一つの記事にするのではなく、同じ項目について解説した様々な著者の記事を併記しており、読者は、数多くの権威の見解を比較検証しながら自分にとって最適のゴルフの「科学」を得られるよう工夫して編纂がなされています。ゴルフがごく限られた人だけのものであった時代に、日本のゴルフ愛好家が、イギリス、アメリカで刊行されていた数多くのゴルフ書を収集、読破し、それらを一冊のゴルフ指南書に編纂してロンドンで刊行したということは、実に驚くべきことと言えるでしょう。数多くのゴルフ書のエッセンスを抽出して編纂された本書は、多くのゴルフ愛好家にとって、タイトル通り「宝典(Treasures)」になったものと思われます。

 しかしながら、こうした編纂方針が仇になって、それぞれの記事が掲載されていた書籍の出版社との間で著作権侵害をめぐる問題が生じてしまうことになってしまったのは、何とも残念な限りで、現在では古書市場でもほとんど流通しない書物となってしまっています。本書はもともと限定1,000部で刊行されたようで、そのうち100部が特装本、残る900部が通常本とされており、今回ご案内しているものは後者に該当するものです。いずれのヴァージョンも、内容もさることながら書物としての完成度が極めて高いことが知られており、これには伊藤長蔵の書物に対する熱意が大いに関係しています。伊藤長蔵は、日本におけるゴルフ不朽の立役者としてだけでなく、出版人、書物愛好家としても非常に多大な貢献を成したことで知られており、彼が経営していた「ぐろりあ・そさえて」からは、内容、造本ともに名著と呼ぶにふさわしい数多くの書物が生み出されています。古書籍愛好家としても造詣が深く、新村出などの当代随一の学者らを寄稿者に招き、自身も筆を振るった雑誌『書物の趣味』(全7巻)は、今なお学ぶところの多いものです。このように書物に対しても並々ならぬ情熱を注いでいた伊藤が編纂しているからこそ、本書は、用いられている用紙、活字、印刷の質、造本に至るまで、非常に素晴らしい出来栄えと言える書物となっています。当時流行していた金箔を多用した派手な装飾を施すのではない、落ち着いたデザインの装丁、読む際の開きやすさ、文字が読みやすく、耐久性とめくりやすさのバランスに配慮した用紙、赤と黒の2色で印刷された活字など、どれも目立たないながらも、書物そのものに対する深い造詣と情熱なしには生み出し得ない、上質な書物造りが随所に見られます。

 今では、伊藤長蔵の名を知る人も少なくなりましたが、書物とゴルフという一見全く異なる両機に見える世界において多大な貢献を成した人物による、両者が組み合わさった稀有な書物として、本書は、改めて注目されるべき文献ではないかと思われます。


「伊藤長蔵は1887年(明治20年)兵庫県播磨に生まれ、神戸高商を卒業後、貿易商をへて、伊藤長書店を設立。実務活動のかたわら、ロンドンに滞在中に彼地の愛書家や私家版主と交流して本造りのおもしろさに魅せられ、帰国後出版業にも乗り出す。その一つは日本ゴルフドム社で、1921年(大正10年)からゴルフの専門月刊紙『ゴルフドム』を創刊し、途中、誌名を『日本ゴルフドム』に変え、1944年(昭和19年)2月に終刊になるまで続けている。ゴルフ関係の単行本も判明したものが23冊あるそうだ。事務所は神戸、大阪、東京と変わっている。また、愛書家に有名な『書物の趣味』も、1927年11月に創刊し、東西の書誌学的研究を豪華な執筆人によって掲載し、原色口絵や本文上質紙も凝ったものだった。伊藤自身も『欧州最古の活字本』などを発表している。(中略)
 ぐろりあ・そさえては最初、神戸で出版活動を開始し、1920年に柳宗悦『工芸の道』、1929年に寿岳文章『ヰルヤム・ブレイク書誌』、ほかに庄司浅水『書籍装幀の歴史と実際』(1929年)、寿岳『書誌学とは何か』(1930年)、新村出『薩堂先生景仰録』、藤井紫彰『江戸文学図録』などを出している。(中略)
 その後、1930年秋ごろから社は左前となり、いったん関西での出版活動をやめ、上京して株屋でもうけてから、1935年ごろから東京に本拠を移し、内幸町の大阪ビルに事務所を構える。伊藤は戦時中は熱烈なヒットラー主義者になり、寿岳氏とも真っ向から意見が対立したとのことだが、1939年から日本浪漫派関係の人々の著作を新ぐろりあ叢書として棟方志功の装丁で次々と刊行し、判明した出版物は1943年までにぐろりあ文庫含め46点になるという。伊藤としては、おそらく国策に寄与する目的で、日本浪曼派の人々に目をつけ、アプローチしたのだろうが、企画の意図とは違って、結果的にはより普遍的で文学的価値のある本を多く残すことになったのは後世の読者にとって幸運だったといえよう。」
(高橋輝次『古本が古本を呼ぶ:編集者の書棚』青弓社、2002年、105-107頁より)

「本学の図書館に寄贈された平生釟三郎の蔵書は、きわめて興味深い人間関係とそこから派生する文化事象を伝えてくれる。
 寄贈書の一冊に英語で書かれた、ゴルフ文献の稀覯書 Golfer’s Treasures (London: St. Catherine Press, 1925) が架蔵されている。編纂者は伊藤長蔵であり、流布していた種々のゴルフ文献からの抜粋をあつめてゴルフ指南書としてのアンソロジーを編むために、ロンドン滞在中の伊藤が鋭意努力して紙質、印刷から造本まで神経を行きとどかせて編み上げたのが本書である。
 『ゴルフは科学的なゲームであるがゆえに、科学でもって説明し、科学的に習得しなくてはならない』と序文において、雄弁に主張し、チャールズ・ダーウィンの孫であるバーナード・ダーウィンが『瞠目する熱意で本書を編む』伊藤のすがたを前書きに記している。
 ただ、抜粋した文章が不幸にも版権にふれるものがあり、絶版を余儀なくされたのであった。こうした経緯から編纂されたゴルフ本は稀覯書になってしまうのであるが、この本の出版は伊藤に出版業を開眼させる契機を与えたのであった。
 長蔵は播磨の素封家伊藤家の次男として生まれた。兄の貴族院議員である伊藤長次郎は西本願寺の大壇越で、その縁で長蔵は大谷尊由と英国へ同行し、ゴルフに親しむことになる。
 そして揺籃期の関西ゴルフ界には日商の会頭になる高畑誠一がいたが、長蔵のロンドン滞在時、高畑は鈴木商店ロンドン支店長で、名門アディントンの会員でもあった。帰国後、広野ゴルフ場の設計を実現するために高畑が依頼したのが伊藤長蔵だった。伊藤はゴルフ雑誌や解説書を日本で初めて出し、日本ゴルフ界のパイオニア的な存在になっていく。
 ゴルフ界に貢献したのと同様に、伊藤は昭和初期の出版界の輝く星でもあった。出版社『ぐろりあ・そさえて』を起こし、顧問には新村出、亀田次郎、神田喜一郎、石田幹之助などの錚々たる人士を後ろ立てとして出版事業をはじめたのであった。愛書趣味が横溢する出版物数多く出したが、すでに操業したころ、現在も評価がゆるがない古典としてあおがれる著作を出している。(後略)」
(中島俊郎『平生釟三郎におけるイギリス的伝統』甲南大学総合研究所、2013年、「平生釟三郎と伊藤長蔵」より)

タイトルページ。
伊藤長蔵による編者前書き。
バーナード・ダーウィンによる序文。本書でも随所に登場するバーナードは、当時のゴルフ書の権威であり、彼の序文が付されていることは、その書物が一流であることの証明でもあったという。
本書中で抜粋の形で記事が掲載されている文献一覧とその略語表。
本文より。
本文より。
本文より。
巻末には索引も掲載されている。
表紙下部に水染み跡が見られるが、本体の状態は非常に良好。