書籍目録

『東西インド奇事詳解』

デ・フリース

『東西インド奇事詳解』

第2冊から第4冊(全4冊中) 1682年 ユトレヒト刊

de Vries, S(imon).

CURIEUSE AENMERCKINGEN Der besonderste OOST en WEST-INDISCHE Verwonderens-waerdige Dingen; Nevens die van CHINA, AFRICA, en andere Gewesten des Werelds…

Utrecht, Johannes Ribbius, M. DC. LXXXII(1682). <AB2019143>

Sold

vol.2-vol.4(of 4 vols.)

4to (17.0 cm x 21.4 cm), vol. 2: Title.,pp.497-1328, 24 leaves(Register), (some folded) maps & plates: [29] / vol.3: Front., Title., 1 leaf(Register), pp.1- 260, (some folded) plates: [4], pp.1-344, 343, 346(NO DUPLICATE PAGES), 345-358, NO LACKING PAGES, 361-525, 524[i.e.526], 527-602, 26 leaves(Register), (some folded) plates: [17] / vol.4: Front., Title., 2 leaves(Register), pp.603-708, 760[i.e.709], 710-1427, 1424[i.e.1428], 1429- 1528, 28 leaves(Register), 1 leaf, (some folded) plates: [11], Contemporary full calf.
製本背表紙付近に傷みあるが、本文の状態は概ね良好。小口は三方とも赤く染められている。

Information

17世紀後半のヨーロッパにおける日本観の形成に多大な影響を与えた重要文献

 本書は、オランダ人の著作家デ・フリース(Simon de Vries, 1628 - 1708)が、大航海時代以来ヨーロッパに伝えられた、膨大な「東西インド」各地に関する情報を編纂して著した著作です。本書には、日本に関する夥しい数の記事が収録されており、日本関係欧文史料として、当時最新の知見をヨーロッパに伝えたという点で非常に重要な文献です。本書は、類書の多くが上流階層をターゲットにしていたのに対して、「娯楽」と「実用性」を目的に掲げ(後述)、読み物として親しみやすく、また愉しめるように工夫されており、特徴的な銅版画や地図をも数多く収録していることから、類書と比べてもより多くのヨーロッパの人々に読まれたことがうかがえます。その意味では、日本情報を従来以上に多くの人々に伝え、ヨーロッパにおける「日本観」の形成に大きく影響を与えた文献ということができます。本書は、全4冊からなる膨大な分量の書物で、今回ご案内するものは第1冊を欠いておりますが、こと日本関係記事については、関連図版や地図も含めて、ほぼ全ての関連記事が第2巻から第4巻に集中していることから、日本関係欧文史料としての価値は損なわれていません。

 本書については、フレデリック・クレインス氏と宮田昌明氏の共著論文「17世紀オランダに普及した日本情報:デ・フリース『東西インド奇事詳解』における日本関係記述」(『日本研究:国際日本文化研究センター紀要』第33号、2006年所収)において、著者や本書成立の背景といった関連情報の研究に加え、日本関係記事の整理と一部訳がなされており、本書を読み解く上で非常に参考になりますので、以下同論文に依りながら紹介していきます。

 デ・フリースは、出版人として若くから成功を収めるとともに、自身も著作家として数多くの作品を執筆しており、後年は著作業に専念し、数多くの著作(57タイトル)を残しました。デ・フリースの作品の特徴は、読者に親しみやすい筆致で、分かりやすく且つ十分に愉しめるように工夫されていることが挙げられます。また、フランスやスペインなどにおけるカトリックを腐敗した信仰として否定する一方、厳格で保守的な道徳を信仰の基盤に据えたオランダにおける改革派教会の立場に基づいた作品が多いことも彼の特徴とされています。本書は、オランダにおける「保守的な流行作家」(前掲論文277頁)としての彼の作品として、こうした傾向が随所に現れているようです。

 大航海時代の発展とともに、ヨーロッパにもたらされた様々な東西インドの情報については、16世紀から様々な出版物において発表されてきましたが、16世紀から17世紀初めにかけての出版物の多くは、スペインやポルトガルといったカトリック国によってもたらされた情報(特に各地に赴いたイエズス会士による報告)に基づいていました。オランダやイギリスといった非カトリック国の海外進出の発展に伴い、次第に情報源が多様化していきますが、日本情報について言えば、やはりイエズス会宣教師による報告や、それらを取りまとめた著作による情報が圧倒的に多く、それらは貴重な日本情報である一方、非カトリック国の読者にとっては親しみにくい側面も有していました。こうしたヨーロッパにおける日本情報のある種の偏りを大きく変えたのは、カロン(François Caron, 1600 - 1673)による『日本大王国志(Beschrijvingen van het machtig Coninckrijck Iapan,…初出は1645)』で、カロンは、オランダ商館員(のちに商館長)として日本における20年以上の滞在歴があっただけでなく、幕府高官らとも強固な関係を築き、日本に関する様々な情報を、自らが実見したことに基づいてヨーロッパに伝え、従来のイエズス会士による報告とは異なる側面からの日本情報をヨーロッパにもたらしました。また、17世紀半ば過ぎまでにヨーロッパに伝えられた日本情報を駆使して編纂された、モンターヌス(Arnoldus Montanus, 1625 - 1683)の『東インド会社遣日使節紀行(Gedenkwaerdige gesantschappen der Oost-Indische Maatschappy…1669)』は、豊富な図版とともに最新の日本情報をもたらした総合的な「日本誌」として、本書を含む多くの後続作品に多大な影響を及ぼしました。本書は、こうしたヨーロッパにおける日本情報のあり方が転換しつつあった時期に刊行されたもので、時代背景に多大な影響を受けながら、著者デ・フリースが自身の価値観を盛り込みながら、独自の作品として刊行されたことに意義があります。

 本書は、前述のモンターヌス『東インド会社日本遣日使節紀行』をはじめとした多くの先行文献を参照しており、直接的にはフランシン(Erasmus Francisci, 1627 - 1694)の『東西インド・中華庭園(Ost-und west-indischer wie auch sinesisher Lust-und Stats-Garten. 1668)』と『海外諸国歴史芸術風俗新鏡(Neu-polirter Geschicht-Kunst-und Sitten-Sipegel ausländischer Völker. 1670)』をモデルにして、構成や記事内容に強い類似性が確認されることが、前掲論文で明らかにされています。しかし、デ・フリースは、フランシンの著作を用いる一方で、イエズス会士が情報源となっている日本関係記事における宣教活動や殉教に関係する記事を全て省略しており、先に述べたオランダの改革派教会の立場に立脚した著作家として、独自の編纂を施しています。また、フランシンの著作が、当時の上流階級に向けた内容と叙述スタイルをとっているのに対して、デ・フリースは、より広範囲の中流階級をターゲットして本書を著しており、その編纂方法や叙述のあり方に独自性を付加しています。こうした本書の特徴は、単なる叙述の差に留まることを意味しているのではなく、より広範囲の人々に親しみやすい形で最新の日本情報をもたらしたという点で、ヨーロッパにおける日本情報の伝達形態を大きく変えたという重要な意義を有しています、デ・フリースは、本書の目的として「実用性」と「娯楽」を挙げており、日本を含む世界の様々な事柄をより深く理解することで、こうした世界の創造主である神への信仰をより高め、また、カルヴァン主義に基づく勤勉な労働を中心とした質素な生活の中に娯楽による愉しみをもたらすことが、デ・フリースの狙いであったことが、前掲論文で明らかにされています。つまり、労働を必要としない、限られた上流階級、知識人階級にではなく、日々の労働に従事する、より多くの人々に読まれることを目的として本書は書かれていることから、本書の中に盛り込まれた夥しい日本情報は、当時のヨーロッパにおける日本観の形成に際して、それまでの類書にない大きな影響をもたらした、と考えることができます。また、カロンやモンターヌスの著作と違って、日本に関心を有する読者だけを対象とした書物でないだけに、それまで日本に関心をそれほど持っていなかった読者にまで、両書に匹敵するだけの充実した日本内容を提供したという点でも、当時のヨーロッパにおける日本観の形成に多大な影響を及ぼしたと言えるでしょう。

 また、本書には全冊にわたって数多くの地図、銅版画が収録されていることが大きな特徴で、しかもそのほとんどが本書のために新たに作成された図版であることは、注目すべきことです。前掲論文によりますと、絵師のデ・ホーヘ(Romeyn de Hooghe, 1645 - 1708)は、17世紀後半に大いに活躍した挿絵画家で、本書で扱われている各地域への渡航経験はなかったものの、テキストや、比較的まだ馴染みのあった中近東のイメージに基づいて、非常に巧みな銅版画を本書のために作成しました(作成をめぐる興味深い経緯についても前掲論文では紹介されています)。これらの図版においても、日本に関連する図、あるいは日本だけを扱った図が含まれており、前掲論文では、該当する全9枚の図版が解説とともに明らかにされています。前掲論文では地図についての言及はありませんが、第2冊に収録されている2枚の地図(中国図、ならびにアジア図)に日本が描かれており、これらの地図も当時を代表する地図出版社を営んでいたサンソン(Nicolas Sanson, 1600 - 1667)とその息子によるものであることから、当時最新のアジアの地理情報を視覚化した地図ということができます。充実したテキスト情報に加えて、先行文献にない、銅版画や地図といった独自の視覚情報を豊富に収録しているということも、本書の大きな特徴と言えます。

 本書は、全4冊からなる大部の著作ですが、内容の構成としては、2巻に分かれています。第1冊は第1巻第1編に、第2冊は第1巻第2編に、第3冊は第2巻序編と第1編に、第4冊は第2巻第2編に、それぞれ当てられています。第1巻は、フランシンの『東西インド・中華庭園』をモデルとしているため、同書と同じく対話編で書かれていますが、第2巻はフランシンの『海外諸国歴史芸術風俗新鏡』をモデルとしているため、主題別に章が設けられる一般的な叙述形式となっていて、叙述形式が前半と後半で変化するというのも、本書の特徴と言えるでしょう。また、特定の地域ごとに叙述するのではなく、主題毎に各国、地域の情報を比較しながら紹介するというのも、非常に特徴的ですが、そのために、本書に収録された夥しい分量の日本情報は、各巻にわたって分散しており、それらを特定することは容易ではありません。前掲論文では、この非常に困難な作業が行われており、本書に収録されている日本関係記事全143件を特定するとともに、それらの一部の翻訳までなされています。それによりますと、本書全4冊における日本関係記事は、ほぼ全て(140件)が第2冊から第4冊の間に収録されており、第1冊にはごくわずかな日本情報しか収録されておらず、またその一部も繰り返しの形で第2冊以降に登場することが明らかにされています。以下、その内容を同論文に依りながら紹介しますと、下記の通りになります。


本書に収録されている日本関係記事の内容明細*
(*番号は、前掲クレインス論文において付されている記事番号、記事見出し名は、店主によって一部追記と簡略化し、該当ページ数を追記)


《第2冊》
第1巻 第2編*
(上述の通り対話編形式の叙述で、主題ごとの章立てがないため、便宜上、店主が主題毎に主題名を設け、区分して記載)

*日本関係地図①「中国図」(p.518/519)
*日本関係地図②「アジア図」(p.528/529)

*自然地理と特徴的な植生
[4] 日本の地理情報 (p.544)
[5] 湿気に耐えられない日本の驚くべき木(ソテツ)の性質 (p.545)

*宗教と信仰形態
[6] 日本における坊主による説教 (p.592)
[7] 信徒の数、阿弥陀などの邪神について (p.593)
[8] 説教の弁論術と寺院について ((p.594)
[9] 特に贅を尽くされた寺院と偶像の数々 ((p.595)
[10] 日本での悪魔への告白 (p.600)
[11] 告白の方法 (p.601)
[12] 日本の人々が考える数多くの楽園について (p.601)
[13] 楽園に早くたどり着くための自死とその方法 (p.602)
[14] 深い信仰の故の自死の更なる解説と事例 (p.603)
[15] 悪魔に連れ去られた坊主の話 (p.604)
[16] 悪魔の山(富士山と日枝山(ひえのやま、比叡山のこと))(p.610)

*特徴的な山海に関すること
[17] 日本の火山 (p.665)
[18] 地獄の形をした恐ろしい洞穴 (p.734)
[19] 日本の美しい岸辺と真珠 (p.982)
[20] 日本の人々が尊ぶ珊瑚 (p.1055)
[21] 日本の温泉 (p.1141)
[22] 日本の恐ろしい熱湯温泉 (p.1142)
*日本関係図版①(「アジアの船舶と遊覧船」11. 日本の屋根のないジャンク船) (p.1150/11551)


《第3冊》
第2巻
(これより、対話編ではなく主題ごとの章題を付した記述形式に変わり、頁付も改められる)

第2巻 序編(東西インド各地の様々な宗教について)

第1章:罪の告白、肉体への懲罰、断食、悪魔の殉教
[23] 日本における危険な悪魔への罪の告白 (p.3)
[24] 大坂という岩と悪魔の偽善 (p.4)
*日本関係図版②(「免償と贖罪の祭司」13. 大明神の寺院)(p.6/7)

第2章:メキシコやその他の民族の迷信深い習慣
*日本関係図版③(「悪魔や偶像崇拝」9. 日本の行列、10. 民衆を打つ騎馬隊)(前掲論文では⑤に相当するものが本書ではこの箇所に綴じられている)(p.24/25)
[25] 日本における摩利支天の流血戦祭りと祇園祭(p.33)
[26] 大明神を称える祭り (p.34)
[27] 日本の慰霊祭と関連する奇事 (p.35)

第3章 *日本関係記事なし

第4章:慈善と施し、動物への善行
[28] 日本におけるハンセン病患者の置かれた悲惨な状態 (p.88)
[29] 日本の乞食と物乞いの方法、托鉢坊主 (p.89)
*日本関係図版④(「物乞い祭司」1. 日本の乞食、2. 托鉢坊主、3. ハンセン病患者)(p.88/89)
[30] 日本の坊主による民衆からの欺瞞に満ちた財産の収奪 (p.90)

第5章:豪華な偶像のための建築物
*日本関係図版⑤「日本の偶像」(前掲論文では③に相当するものが本書ではこの箇所に綴じられている)(p.108/109)
[31] 日本の寺院と関連する奇事 (p.123)
[32] 贅を尽くした芸術的な猿を祀る寺院と猿崇拝。日本の大仏寺院 (p.126)
[33] 都(京都)における富の神の寺 (p.128)

第6章:偶像と偶像に関する奇事
[34] 日本の偶像 (p.169)
[35] ブッダに捧げられる崇拝。大阪の悪魔の寺院と恐ろしい偶像 (p.170)
[36] 観音という邪神の偶像 (p.170)
[37] 阿弥陀と、阿弥陀に関連する、日本の皇帝である公方(足利義輝)の妻(側室)の話 (p.172)
[38] 黄金の阿弥陀像 (p.173)
[39] 江戸における太閤様によって建立された寺院の釈迦像 (p.174)
[40] 釈迦の童話 (p.175)
[41] 卵を突く牛の偶像と卵から世界が生まれるという話。都(京都)にある万物を崇拝する寺院 (p.176)
[42] 奇妙かつ綺麗に装飾された偶像 (p.177)
[43] 複数の頭部を有する偶像と太陽の像、これらと三位一体との関係についての見解 (p.179)
[44] 都(京都)の近くドゥボにある信長の偶像 (p.180)

第2巻 第1編
(ここからさらにページ付が改められている)

第1章:結婚
[45] 日本の女性の高い貞操観念と、それに起因する長崎で生じた悲劇 (p.18)
[46] 日本の結婚 (p.40)

第2章、第3章 *日本関係記事なし

第4章:教育
[47] 日本の子供に対する非人道的扱いと迷信。日本の文字 (p.62)

第5章 *日本関係記事なし

第6章:名前
[48] 日本の名前とその年齢による変化 (p.79)

第7章:衣服と容貌
*日本関係図版⑥(「東インドの服装」3. 日本の人々)(p.80/81)
[49] 日本の服装 (p.86)
[50] 常陸王の宮殿でオランダ人が見た貴族や騎士の豪華な衣装 (p.87)
[51] 従僕の服装。駿河の商人の服装。豊後の人々の服装 (p.88)

第8章:女性の間で流行している衣服
[52] 長崎におけるに日本の高貴な女性の衣服の華麗さ (p.113)
[53] 江戸における高貴なの女性の衣服 (p.114)
[54] 豊後の女性。土佐島(四国)の住民。都(京都)の庶民女性 (p.115)
[55] 日本の娼婦 (p.116)

第9章:客人への挨拶、訪問、宿泊
[56] 日本の礼儀作法

第10章:服従を示す経緯の示し方
[57] 日本の内裏(天皇)に対して払われる多大な畏敬と尊敬 (p.135)

第11章:学者への敬意
[58] 日本の坊主における博士と、蜥蜴を祀る日本の学位授与寺院 (p.158)
[59] 日本の図書館。日本の人々の極めて高い知的能力 (p.159)
[60] 都(京都)で内裏(天皇)が保管している日本の年代記。内裏の古い家系の人々の誇りと傲慢 (p.160)
[61] 日本と中国、トンキンに共通する奇妙な文字(漢字)(p.161)

第12章:料理
[62] 日本の客用料理と歓待の作法 (p.198)
[63] 日本の接待にまつわる2つの有名な事柄 (p.199)

第13章;法と階級
[64] 日本の14の階級 (p.263)

第14章〜第16章 *日本関係記事なし

第17章:牢獄
[65] 日本の人々は牢獄を用いない (p.340)

第18章 *日本関係記事なし

第19章:刑罰
*日本関係図版⑦(「アジアのすべての刑罰」15. 日本における様々な磔刑)(p.389/389)
[66] 日本における磔刑。広く見られる犯罪者の自死 (p.390)
[67] 日本における斬首刑の方法。日本における重罪と裁判の厳格さ (p.391)
[68] 農民搾取が重罪であること、当事者だけでなく関係者全てが死罪となること (p.392)
[69] 皇帝に対する犯罪者の助命嘆願の断固とした拒絶。日本の切腹 (p.393)
[70] 八丈島という流刑のための惨めな島 (p.394)

第20章:売春と浮気に対する刑罰
[71] 日本において売春が合法であることと、そのいかがわしい理由 (p.427)

第21章 *日本関係記事なし

第22章:窃盗に対する刑罰と拷問
[72] 台湾における窃盗に対する刑罰。日本の場合 (p.481)

第23章:貨幣
[73] 日本の貨幣 (p.508)

第24章:貿易
[74] 日本において高値で取引されるカランバの木 (p.545)
[75] 富裕な商人と日本の貿易。中国の商人による悪行と追放 (p.550)
[76] 日本の皇帝が人民に他国への渡航を禁止した理由 (p.551)
[77] 日本に渡航した外国人。スペイン人とポルトガル人、イギリス人とオランダ人、韃靼人 (p.552)
[78] 日本からの輸出品。日本における貿易取引の様子 (p.554)
*日本関係図版⑧「日本の貿易」(p.554/555)

第25章:関税
[79] 日本における免税 (p.591)


《第4冊》

第2巻 第2編

第2編 序章(東西インド各地の学問、芸術について)
[80] 中国、日本、ペルシャにおける現在の学芸の繁栄 (p.605)
[81] トルコ時、ペルシャ、中国、日本の人々のヨーロッパの学問の発見に対する驚きとその逆 (p.606)

第26章:文字と言語
[82] 日本における中国の文字(漢字)の使用と独自のアルファベット(かな文字)の使用 (p.615)
[83] 日本の言葉。話し言葉と書き言葉の違い。日本語は非常に難しい言語であること (p.621)

第27章:書物、文体、印刷技術
[84] 日本の筆記道具 (p.643)

第28章:医学
[85] 日本で用いられている不思議な薬。ヨーロッパ人とは反対の医術。医師の評判 (p.658)

第29章:哲学、論理学、詩文
[86] 日本の人々の大変な雄弁さ。日本のこどもの事例紹介 (p.708)
[87] 日本の6歳の少年がザビエルに見せた卓越した敬意表現。年老いた女性の信心深さ (p.709)
[88] 日本の人々が見せる敬意表現 (p.709)
[89] 日本の詩人 (p.725)

第30章、第31章 *日本関係記事なし

第32章:地理学、算術、年代記、詩歌と旋律
[91] 日本では歴史が極めて重んじられていること (p.797)
[92] 日本の人々には音楽の才能がないこと (p.805)

第33章:絵画と建築
[93] 日本の稚拙な絵画と、それらが高価で取引されること (p.815)
[94] 日本の人々の家屋 (p.824)
[95] 人間が建築の土台に使われる事例。道路と貧者の家屋 (p.825)
[96] 長崎の町の形。日本における城郭と街(p.826)
[97] 荘厳な奈良の街と城 (p.827)
[98] 江戸における日本の皇帝の城郭 (p.828)

第34章:様々な技工芸、貨幣鋳造技術
[99] 日本の漆 (p.844)
[100] 金細工師による巧みな水銀凝固技術 (p.854)
[101] 日本の鋳造技術 (p.855)

第35章 *日本関係記事なし

第36章:演劇(喜劇)
[102] 日本の女性の役者。日本の演劇の構成と結末の面白さ。卓越した創作術 (p.871)
[103] 下層の役者が売春婦や犯罪者であること (p.872)
[104] 日本の王女が両親のために見せた、ポルトガル人を馬鹿にした喜劇 (p.873)

第37章:農業と航海術
[105] 日本の土壌。最高の品質を持つ米。日本の農民 (p.909)
[106] 日本の航海術 (p.917)

第38章:君主による荘厳な行列
[107] 内裏(天皇)による日本の皇帝の宮殿への荘厳な行列と、注目すべき事例(クラメール報告)(p.943)

第39章 *日本関係記事なし

第40章:宮殿の荘厳さと、宮殿における習慣
[108] 日本の内裏(天皇)が統治から追放された注目すべき逸話 (p.980)
[109] 教皇にも通じる日本の内裏(天皇)の衣類の豪華さ (p.982)
[110] 内裏(天皇)は地上に触れることが許されないこと等、いくつかの関連事項 (p.983)

第41章 *日本関係記事なし

第42章:兵の訓練、岸による模擬戦、様々な武器
[111] 日本における兵の訓練と過酷な習慣 (p.1052)
[112] 日本の兵士は東インド全体で最も勇敢であること (p.1057)
[113] 日本のレスラー(力士) (p.1060)
[114] 日本の武器と品質 (p.1072)

第43章:戦争
[115] 日本の戦争における勇敢さと巧みさ。軍隊の維持と区分 (p.1081)
[116] 日本の宗教騎士団(延暦寺の僧兵)(p.1082)

第44章:戦争の勝者における残酷な振る舞い
[117] 中国と日本における捕虜の取り扱い。皇帝を退位させようとしたことによる、日本におけるカトリック教徒に対する弾圧 (p.1125)

第45章:官職、長官職、(公式)書簡の様式
[118] 日本の文体が簡潔で美しいこと (p.1176)

第46章 *日本関係記事なし

第47章:君主を訪問する使節団と謁見、贈答品と返礼品
[119] 日本で歓迎されたイギリスの使節セーリス (p.1249)
[120] 日本の奥州の王(伊達政宗)からローマへの使節団(慶長遣欧使節)(p.1250)
[121] 使節とスペイン王(フェリペ2世)との謁見の様子 (p.1271)
[122] 使節(支倉常長とソテーロ)による演説 (p.1272)
[123] スペイン王(フェリペ2世)による返礼演説 (p.1273)
[124] 使節とローマ教皇との謁見の様子。天正遣欧使節とグレゴリオ13世との謁見 (p.1275)
[125] 天正遣欧使節がもたらした日本の諸王からの書簡における教皇に与えられた注目すべき称賛 (p.1276)
[126] 日本の宮殿における使節に対する対応 (p.1291)
[127] 日本の皇帝が(1640年の)マカオのポルトガル人の使節団全員を殺害したという不当な行い (p.1297)

第48章:騎士と紋章
[128] 日本の都市の紋章、大阪と京都の紋章(p.1312)

第49章:占いと神託、魔術士
[129] 山伏と呼ばれる日本の占い師 (p.1329)
[130] 善鬼という日本における占い師の一種 (p.1362)
[131] 日本における悪魔の誑かしの数々(p.1363)

第50章:東西インド各地における葬儀
[132] 日本の葬儀 (p.1455)
[133] 火葬された父親への神に対する火のような敬意 (p.1456)
[134] 葬儀のために遺族が負担する多大な出費 (p.1457)
[135] 日本における死者の魂を祀る祭り。日本の人々の死者の魂との接し方。下僕の殉死 (p.1458)
[136] 日本の葬儀の様子の完全な記述 (p.1459)
[137] 葬列、儀式、火葬、死者に対する神的崇拝 (p.1461)
[138] 遺骨と遺灰の埋葬、7日目、7月目、7年目における争議の切り返し。葬儀費用と喪服 (p.1462)
[139] 貧者の遺体の粗末な扱いと魂の不滅に対する信仰の不在。こどもの死者を守護する地蔵 (p.1463)
[140] イェネ(輪廻?)という偶像とその装飾 、寺院 (p.1464)
[141] 日本の墓 (p.1465)
*日本関係図版⑨「日本の警護所」(p.1474/1475)→本来第42章に挿入されるべきものか?
[142] 日本の墓の形状と装飾。現在の日本の皇帝の父の遺体を収める壮麗な墓(日光)(p.1499)
[143] 豊後の王の葬儀 (p.1500)

 このように、本書中において、デ・フリースは膨大な日本情報を読者に提供しています。前掲論文では、その情報源や、デ・フリースによる編纂の特徴なども記事ごとに解説されており、デ・フリースのもたらした日本情報の内実を理解する上で非常に参考になります。本書において取り扱われている様々な主題は、一見非常に雑多なように見えますが、これらは、当時のヨーロッパの読者が、「東西インド」について、何を知りたかったのかという「読み手の視点」を明らかにしていると言えます。つまり、当時のヨーロッパの読者が、「未知」の「自分たちと異なる」社会について、どのような情報を欲していたのか、という日本を含めた「東西インド」を「発見」した、ヨーロッパ人の視点のあり様を間接的に示しています。どういった主題に基づく、どういった内容を知ることができれば、「他者」を理解できると当時のヨーロッパの読者が(無意識にであれ)考えていたのかを、本書の項目は示しており、それは当時のヨーロッパ人の眼差しの準拠点がどのようなものであったのか明らかにしていると言えるでしょう。本書の全体にわたって鏤められた膨大な日本関係記事は、こうした準拠点に基づいて、他国、他地域と並記、比較されていることから、単独の章を設けて日本関係記事を収録した書物にはない、独自の価値を有していると言えます。

 前掲論文において、その重要性が明らかにされている本書ですが、国内研究機関における所蔵状況は非常に限られているようで、国際日本文化研究センターに所蔵されているもの以外は、確認することができません。近年の古書市場において、本書が流通することは少ないようで、また出現した際にも、本来収録されているはずの特徴的な銅版画や地図が抜き取られていることが多く(店主もそうして抜き取られた版画が販売されているのをしばしば見かけます)、本書のように図版と地図を完備したものは、非常に希少となっています。ヨーロッパにおける日本観の形成に多大な影響を与えた重要な日本関係欧文資料であるという内容面での重要性に加えて、こうした希少性に鑑みても、本書は大変貴重な書物ということができるでしょう。

刊行当時のものと思われる革装丁。背の付近に痛みが見られるが、概ね良好な状態と言える。
第2冊、第1巻第2編を収録している。
見開きは3巻ともマーブル紙が充てがわれている。
第2巻タイトルページ。
第1巻第2編冒頭箇所。
当時を代表する地図製作者サンソン親子による中国図には、日本の九州の一部が描かれている。
アジア図では日本全体と、北方に巨大に広がった蝦夷(北海道)が描かれている。
[16] 悪魔の山(富士山と日枝山(ひえのやま、比叡山のこと))(第2冊、第1巻第2編p.610) 「日本には丘と山が多く、そこにはとても長い芝が生えている。また、多くの種類の草や花、さらには香りのよい野生の薔薇や黄色い百合が見られる。これらの山々には特に有名な2つの山がある。一つは絶えず炎をはき出し、そのために悪魔の山と呼ばれている(その本当の名前はまだ知られていない)。(…)もう一つは、フィゲネヤマ(Figenejama, 富士山:引用者注)で、これは何マイルも高くそびえ、頂点は空の雲を貫いている。その他にもフレノヤマ(Frenojama,日枝山、つまり比叡山:引用者注)も眺める価値がある。(…)昔、この山上の付近には、3300の異教徒の寺院が建っていたと伝えられる。しかし、ヴィレラ(Gaspar Vilela, 1525? - 1572、イエズス会宣教師で1556年から1570年まで日本滞在:引用者注)の時代には500しか残っていなかった。(…)」(前掲論文246頁)
日本関係図版①(「アジアの船舶と遊覧船」11. 日本の屋根のないジャンク船) (p.1150/11551)
本書に多数収録されている図版は、人々だけでなく動植物も描かれている。
第3冊、第2巻序編と第1編を収録している。
第3冊には口絵が収録されている。日本の人物像を描いたと思われるものも確認できる。
第3冊タイトルページ。
日本関係図版②(「免償と贖罪の祭司」13. 大明神の寺院)(p.6/7)
日本関係図版③(「悪魔や偶像崇拝」9. 日本の行列、10. 民衆を打つ騎馬隊)(前掲論文では⑤に相当するものが本書ではこの箇所に綴じられている)(p.24/25)
[25] 日本における摩利支天の流血戦祭りと祇園祭(第3冊、第2巻序編第2章p.33) 「マリスティネス(Maristines, 摩利支天のこと;引用者注)という戦の神のため、春になると日本人は血まみれの1日を祝う。この偽りの遊びは午後に始まる。武装した人々が大勢集まり、皆はその神の像を肩の上に載せている。まもなく2つの集団に分かれる。まず子供が石で戦う。この石投げの後に、大人が子供の間に入り、まず砲丸を互いに撃ち合う。その後、お互いにぶつかり合い、刀を抜き、相手の集団が逃げ出すまで殴り合う。(…)」(前掲論文245頁)
(上掲の続き)「収穫の月にギロン(Gilon、祇園のこと:引用者注)の祭りを祝う。これは次のように行われる。町の各区にギルドの数だけ舞台が作られ、祭りが始まると、民衆が大勢集まる。高価な絹の垂れ幕に覆われた15から20の車が行列する。各車は40人で引っ張られる。車の上に何人かの子供が座り、太鼓をたたいたり、笛を吹いたり、歌を歌ったりしている。各職業ギルドはそれぞれの車を持っている。」(前掲論文245頁)
*日本関係図版④(「物乞い祭司」1. 日本の乞食、2. 托鉢坊主、3. ハンセン病患者)
日本関係図版⑤「日本の偶像」(前掲論文では③に相当するものが本書ではこの箇所に綴じられている)(p.108/109)
*日本関係図版⑥(「東インドの服装」3. 日本の人々)(p.80/81)
日本関係図版⑦(「アジアのすべての刑罰」15. 日本における様々な磔刑)(p.388/389)
日本関係図版⑧「日本の貿易」(p.554/555)
第4冊、第2巻第2編を収録している。
第4冊にも口絵がある。
第4冊タイトルページ。
[114] 日本の武器と品質(第4冊、第2巻第2編第42章p.1072) 「日本人は、東洋の国々の中で最もよい武器を作り、身につけている。すなわち、刀、火縄銃、弓、矢および槍である。これまで記してきた他に、以下のことを述べなければならない。日本の刀は、一撃で3人を切ることができるほど、ものすごくよく切れる。買い求める時に普通、奴隷で試してみる。それはとても高価で、高く評価されている。マッフェイ (Giovanni Pietro Maffei, 1536 - 1603、イエズス会の著作家で彼の『インド誌全16巻(Ioannis Petri Maffeii Bergomatis e Societate Iesu, Historiarum Indicarum libri XVI, Roma, 1588)は、本書の情報源の一つ:引用者注)によると、刀鍛冶は裸の刀身だけで何も飾りのついていないものに、5000金貨の値段をつけている。そのため、これらは東洋のあらゆる国々で高く評価され、高価な値段が付けられている。しかし今日では、日本の大王はそれらの輸出を禁止している。(…)  モンターヌスによると、日本の刀は鋼と合わされており、そのため、刀身を傷つけずにヨーロッパの剣を2つに割ることができるほどになっている。また、投げ槍は金と銀で飾られている。また、彼らの槍は我々の槍より長いが巧みに使うことができる。(…)」(前掲論文199頁)
日本関係図版⑨「日本の警護所」(p.1474/1475)→本来第42章に挿入されるべきものか?