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非売品 [1892年] [東京刊]
<AB2019142>
Donated
12.3 cm x 19.0 cm, 1-4丁、1−9丁 / 1-4 numbered leaves, 1-9 numbered leaves, 刊行当時のものと思われる簡易の和綴本、題箋付き 旧蔵者によって周縁部がセロテープで補修されているため、中長期的な保存にはこれらを除去する必要あり。
Information
「東京での「浮世絵展」 明治25(1892)年、5月から帰国していた林は、9月に関西へ作品を求めに行った。同行したのは浮世絵の蒐集に協力している古本商の小林文七である。両家の子息であった文七は商売のことが判らず、山中商会の番頭が、文七のもとに送られて来て面倒を見ていた。林と山中の関係は、ここからも繋がりが生まれていたのであろう。文七はのちに、林が博覧会事務官長に就任のため美術商の仕事を離れたので、フェノロサの協力者となったが、彼自身も浮世絵の大収集家となった。 11月、小林文七は日本最初の「浮世絵展」を開催した。旅行中、2人は浮世絵の入手がもはや困難な現実に反して、日本人の浮世絵への蔑視、無視を嘆かずにはいられなかったのである。林はその「目録」に序文を書き、「フランスではいかに浮世絵が尊重され、その芸術性を高く評価しているか」を、ゴンクールやデュレ、アヴィランなどの著名な愛好家の名を挙げて説明し、「フランスを代表する国立美術学校で展覧会まで開かれている」事実に、「今、浮世絵の高い芸術性に目覚めなければ数年のうちに浮世絵は日本から失われるであろう」と警告している。」 (木々康子『林忠正:浮世絵を越えて日本美術のすべてを』ミネルヴァ書房、2009年、148-9ページより)