書籍目録

『黄色い王女(姫君)』(楽譜)

サン=サーンス / ガレ

『黄色い王女(姫君)』(楽譜)

[1872年] パリ刊

Saint-Saéns, Camille / Gallet, Louis

LA PRINCESSE JAUNE: OPÉRA-COMIQUE EN UN ACTE.

Paris, G. Hartmann, [1872]. <AB2019134>

Sold

19.5 cm x 27.2 cm, Title., 1 leaf, pp.1-71, Contemporary half cloth on marble boards.
スポット状のシミ、ヤケあり。

Information

ジャポニスムの興隆を背景にサン=サーンスが手掛けた日本を題材としたオペラ・コミック楽譜集

「ジャポニスムがフランスで高まりを示した1872年に、日本を題材にしたオペラとしては最も古いオペラである《黄色い王女》が、パリのオペラ・コミック座で初演された。作曲者は当時まだ若いカミュ・サン=サーンスであった。これは、有名な台本作者ルイ・ガレの台本による一幕オペラであり、サン=サーンスのオペラとしては、事実上処女作であった。(中略)
 折からジャポニスムの大きな高まりの中で、ガレは日本を舞台にしたオペラを構想した模様であったが、ロークル(オペラ・コミック座の当時の支配人;引用者注)は東洋的なものにはあまり気乗りがしなかった。そこで妥協策として、純粋に日本を舞台にしたオペラではなく日本と兼ねてから交易があったオランダを持ち出して、オランダ人が夢見た日本の中で日本女性を登場させるという、ちょっと手の込んだプロットを考えたのである。この台本によって、《黄色い王女》が書かれたのである。」

「(前略)この作品をオペレッタと見る向きもあるが、音楽はリリカルであり、セリフは省かれ、レシタチーヴォ、アリオーソ、アリアが巧みに融合している点でも通常のオペレッタの配列とはまったく異なっているので、むしろオペラ・コミックと呼ぶのがふさわしいだろう。ストーリーは次のような単純なもので、ある若いオランダ人のロマンチスト、コルネリウスが幻覚状態の中で体験したことが基調になっているが、そこには、教訓的あるいは寓話的な意味合いが含まれていると考えることもできる。

『平凡な生活にも、そして愛する女性レナにも飽きたコルネリウスは、異国の日本のことを空想し、ある美しい日本の娘(彼がミンと読んだ日本の王女)のポートレートに寄せて情熱的な詩を書く。薬のもたらした幻覚のせいで、彼は日本へ運ばれていき、ミンが生き返ったと信じる。しかし実際は、彼女はレナであった。レナはとまどい、このような事態に悩む。それでもコルネリウスは彼女に愛を打ち明け、ついにミン(レナ)も彼を愛していると告白する。すると彼は厳格から目覚め、ミンの夢をレナの現実の姿と比較して、彼はれなだけを愛していることがわかる』

 まず序曲(独立して演奏されることもある)枯らして独特な雰囲気があり、いくぶんコミカルながら、東洋的な気分に満ちている。その中に現れる特徴ある東洋的なメロディは、聴き方によって日本風であり、中国風あるいはアラビア風でもある。オッペラの冒頭れなの歌う軽快なメロディーから日本的な情緒が漂っているが、一層興味深いくだりは、コルネリウスが幻覚に入って行くところである。舞台裏の女性コーラスが、なんと日本語で『あなたはどうなさいました。今日は良い天気でございます』と、やさしく軽快に繰り返し歌い、コルネリウスがしだいに日本の見知らぬ風景の中に連れて行かれる場面の展開にはつい心をそそられる。コルネリウスが顔に手を当てて、『おお、日本、これは現実だ。開いた窓から商人の群れが見える。仏塔、田畑、家々、青々とした草原がある。そよ風にのって茶のほのかな香りがする…』と歌う部分は、序曲の中のあの東洋的なメロディが使われている。このあたりは、19世紀のヨーロッパの人々の日本への憧れを込めた想いが端的に示されていて感興をそそられる。
 《黄色い王女》の初演は、1872年6月12日にオペラ・コミック座で行われた。当時の批評はあまり芳しいものでなく、台本の不備とサン=サーンスのワーグナー的な音楽が批判の対象になった。おそらく慣れない日本的なメロディにも戸惑いがあったことだろう。今日から見れば、その音楽は洗練され、けっしてワーグナー臭は強く感じられないし、日本的なタッチもそれほどあくどいものでは無い。しかし結局のところ、公演はたったの5回で打ち切られてしまった。」

(岩田隆『ロマン派音楽の多彩な世界』朱鳥社、2005年、133-136頁より)