本書は、バルブトー(Pierre Barboutau, 1862 - 1916)が1908年にパリで行った自身のコレクションのオークションカタログです。後述するように、単なる「目録」ではなく、バルブトーが、当時の日本の最新文献と絵師との交流によって得た豊富な知識を元に執筆した、作家と解説と作品紹介が豊富な図版とともになされており、一種の研究書の様相を備えた文献です。
バルブトーは、1886年の初来日を皮切りに、数度来日し、滞在中に絵師や出版社らとの交流を深め、浮世絵を中心とした日本美術の解説書を兼ねたコレクション目録の出版、ちりめん本の発行を行ったことで知られているフランス人です。いわゆる「ジャポニスム」が欧米各国を席巻していた時代の最後期に活躍した人物ですが、その生涯や作品については、当時からでさえ正当に認知されることが少なく、最近までほとんど謎に包まれた人物でしたが、高山晶によるバルブトーを扱った(おそらく世界最初の)研究書『ピエール・バルブトー:知られざるオリエンタリスト』慶應義塾大学出版会、2008年)によって、多くのことがはじめて明らかにされました。
同書によりますと、バルブトーは少なくとも6回の日本美術コレクションの売り立てを行っており、その都度自身の手で「カタログ」を出版していますが、この「カタログ」が単なるオークション目録ではなく、著作と区別することが困難な「著作・翻訳」としての側面が強いことが強調されています。
「バルブトーの場合、著作・翻訳・目録(カタログ)は峻別できない。例えば、『ピエール・バルブトー日本旅行関連美術品コレクション明細目録』という長いタイトルの、オークション目的のみとは考えられない「著作・コレクション目録」がある。そして他方、売立て日時・場所の明記してあるオークション目録のタイトルが『日本絵師の伝記ーピエール・バルブトー・コレクション所蔵作品による』となっていて、絵師の伝記に大きなスペースがさかれていたりする」(前掲書、89, 90頁)
このように、バルブトーのカタログは、オークションに出品されるコレクションの明細としてだけでなく、一種のバルブトーによる研究著作としての性格も有していることが指摘されています。バルブトーが生涯において刊行した「カタログ」(確実に彼によるものと確定できる)を同書によって整理しますと、下記のようになります。
①1893年
『ピエール・バルブトー日本旅行関連美術品コレクション明細目録』パリ
(Catalogue descriptif d’une collection d’objets d’art, rapportés de son voyage au Japon par Pierre Barboutau. )
総数2,283点を掲載するが、売立て場所、日時といった基本情報が掲載されていない。6頁にわたる「はしがき」、「もうひとこと」でバルブトーの見解が述べられているだけでなく、用語解説と、作家の銘や落款リストが掲載されている。
②1904年
『日本絵師の伝記−ピエール・バルブトーコレクション所蔵作品による』第1巻「絵画」、第2巻「版画および工芸品」パリ
(Biographies des Artistes Japonais dont les Oeuvres figurent dans la Collection Pierre Barboutau. Tome 1er, Peintures. Tome II, Estampes et Objets d’art.)
「各巻とも、縦横35x27センチ、厚さ3センチはある、ずっしりとぶ厚い出版物である。(中略)多分に日本趣味の感じられる装丁はジョルジュ・オリオール、と凝った字体で印されている。」(前掲書118頁)
2巻本で総数1,167点を掲載する。アルセーヌ・アレクサンドルによる序文と、バルブトー自身の「はしがき」、バルブトーが当時の日本語文献を駆使して作成した105名もの絵師の略伝と複製図版の豊富さ、浮世絵師の流派一覧表、が非常に特徴的。工芸品も掲載されているが、主眼は浮世絵などの絵画作品。
②A 1905年
『日本絵師の伝記−ピエール・バルブトーコレクション所蔵作品による』第1巻「絵画」、第2巻「版画および工芸品」アムステルダム
前年に刊行された②を出版社をR.W.P.Devriesに、出版地をアムステルダムに変えて再刊したもの。通常版が限定500部、デラックス版が限定15部発行されたという。
③1905年
『日本の芸術:絵画、デッサン、版画 ;バルブトー・コレクション』アムステルダム
(ART JAPONAIS. Peintures, Dessins, Estampes. COLLECTION P. BARBOUTAU.)
(②,②Aと比べて)「はるかに小型(縦横およそ26x18センチ)の売立て目録であるが、総掲載点数は1,059点にのぼる。バルブトー・コレクションの絵画、デッサン、版画に的をしぼって、絵師12人以上が流派ごとに分類されていて、図版も48枚を数える。」(前掲書143, 144頁)
バルブトーによる絵師の解説に加えて、②によって行われたパリでのオークションが「惨憺たる状況」に終わったこととその原因、開催場所をアムステルダムに変えて再度オークションが行われる趣旨などを解説した、フリース(Anne Gerard Christiaan de Vries, 1872 - 1936)によって書かれた序文がバルブトーの伝記的情報を知る上で重要。
④1908年
『日本の芸術:P・バルブトー・コレクション;工芸品、版画、絵画、古代裂』パリ(本書)
(Art Japonais. Collection P. Barboutau. Objets d’Art Estampes Peintures Tissus anciens.)
「内訳は、1-174(工芸品)、175-188(デッサン)、189-990(版画)、991-1006(古代裂)、1007-1071(絵画)」(前掲書152, 153頁)
⑤1910年
『P・バルブトー・コレクション:日本の絵画、版画、書籍および織物』パリ
(Collection P. Barboutau. Peintures-Estampes-Livres et Etoffes du Japon.)
⑥1911年
『P・バルブトーコレクション:日本の古代版画』パリ
(Collection de Monsieur P. Barboutau: Estampes anciennes du Japon.)
「売立て目録は、売立てがパリに戻ってからは、年を経るごとにシンプルで小型になる傾向が見られる。具体的には、1908年と10年の目録の表紙には、浮世絵の一部分に加えて、「馬留武薫」という漢字が釣鐘型にデザインされて使われているが、1911年の目録の表紙になると釣鐘型のデザインの飾りのみになっていて、売り立て目録に凝る傾向が薄れていくようである。無論、度重なる売立てで、一連の作業がマンネリ化したせいもあるだろうが、このことは、コレクターにとって「売立て目録の作成」がコレクションの記録かという、いわばコレクション完成作業の一つであるよりも、時を経るにしたがって、コレクション売立てのための手段に過ぎないものになっていった、ということの現れかもしれない」(前掲書156, 157頁)
上記の通り、本書は④にあたるものです。③までに比べるとやや解説の分量は減る傾向が見られるものの、バルブトーによる作家と作品解説が掲載されており、研究書としての性格が色濃い文献となっています。また、多くの写真図版を収録しており、バルブトーの解説とともにこれらの作品を写真を通じて見ることができることも大きな意味があるものと思われます。また、前掲書でも指摘されているように、本書の表紙には彼が愛用していた落款「馬留武薫」が釣鐘型にデザインされて大きく印字されており、一際目を引くものとなっています。
本書は、「知られざるオリエンタリスト」を理解するための重要な一冊ということができるでしょう。