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前篇・後篇の全2冊(全5篇収録) [万延元年(1860年)〜文久元年(1861年)] [東都(江戸)]
<AB201986>
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全2冊 (12.0 cm x 18.0 cm), 前篇:1-10丁(第1篇)、1−10丁(第2篇)、1−5丁(第3篇前半)、後篇:6−10丁(第3篇後半)、1−10丁(第4篇)、1−10丁(第5篇), 現装丁、題箋付き 水シミ、虫食いが見られるが、丁寧な補修が施されており、良好な状態。
Information
「本書は一寒村であった横浜が日米和親条約(日米修好通商条約のことか?:引用者注)の締結に伴って、本格的に開港し繁栄している様子を画材にしたもので、内容は「横浜開港名所図会」ともいえる。絵図の全部ではないが、描いた場所の説明文と発句を余白に記している。 全5篇で、各篇10丁からなる(『国書総目録』には4篇4冊とある)。初編から4篇までは万延元年(1860)に出版され、最終の5篇のみ文久元年 (1861)に出版され、刊行期間は2か年に及んだ。当館所蔵本は初篇と2篇を合冊した2冊本で、合本したためであろうか、初篇の袋と表紙絵、各篇の奥付を欠いている。売り出された合本の組み合わせは何種類もある。 初篇は東海道芝生の横浜道の入口から吉田橋まで、2篇は本村・本牧が描かれている。当館未所蔵分では、3篇・4篇は港崎町で、特に4篇は岩亀楼にあてられている。5篇は横浜町と居留地が描かれている。本書は、開港直後の横浜の雰囲気を伝えるとともに、歴史資料としての価値も高い。 出版元は、初編の奥付では江戸の書肆「住吉屋政五郎」「岐阜屋清七」とあり、初篇の袋や裏表紙では「鳳来堂」となっている。 作者は玉蘭斎貞秀。本名は橋本兼じろう、宇田川氏を名乗り、一玉斎、五雲亭貞秀などの号を用いた。作者は幕末の有名な浮世絵師で、横浜絵、特に一覧図(街や景色を俯瞰的に精密に描写したもの)や外国人の風俗を描いた。横浜絵とは、開港期から文明開化期にかけての横浜の町並みや風物、異人風俗や異国の風景・風物を題材とする錦絵を意味している。 横浜絵を描いた絵師は50人近くいたが、その第一人者といわれるのが作者であり、横浜絵を誰よりも早く手掛け、発刊の万延元年頃から精力的に政策に取り組んだ。初篇の巻頭に仮名垣魯文(1829-94)の記した序を載せる。」 (神奈川県立図書館『江戸を読む-神奈川県立図書館所蔵江戸期刊行資料より-』2017年、19,20頁より)