書籍目録

日本使節のウィレム国王謁見式における、両国からの記念式辞

(文久遣欧使節)ウィレム3世 / 竹内保徳 / ホフマン(通訳)

日本使節のウィレム国王謁見式における、両国からの記念式辞

(1862年) ハーグ

Willem III / Takeuchi Yasunori / Johann Joseph Hoffmann (trs.)

TER GEDACHTENIS van het plegstatig gehoor door ZijneMajesteit WILLEM III, Koning der Nederlanden, Groot-Hertog van Luxemburg, op Dingsdag 1 Julij 1862, verleend aan Hunne Excellentien de Gezanten van Zijne Majesteit den Taikoen van Japan.

Den Haag, Algemeene Landsdrukkerij, (1862). <AB201745>

Sold

1 sheet. 48.0 x 34.8cm,
1枚の厚紙に印刷したもの、出版社については裏面に印字。

Information

文久遣欧使節のハーグでの国王訪問式典における式辞を掲載したポスター

 1862(文久元〜2)年1月、竹内保徳を正使、松平康直を副使、京極高朗を監察使として、彼らを特命全権大使とするヨーロッパ派遣団、いわゆる文久遣欧使節団が、パリに向けて出発します。この使節の最大の目的は、江戸と大坂の開市、ならびに新潟と兵庫の開港延期交渉をヨーロッパ各国と行うことでした。訪問した国々は、フランスを筆頭にイギリス、オランダ、ドイツ(プロイセン)、ロシア、ポルトガル、ギリシャ、エジプトと大変多く、6月に「ロンドン覚書」の締結に成功したことで、1868年まで開港、開市を延期することが決まりました。

 この資料は、6月終わりから7月初めにかけてオランダを訪問した際に行われた、ハーグでの国王ウィレム3世(Willem III, 1817-1890)との謁見式に交わされた記念式辞を記したものです。この式典を記念して当時ハーグで作成されたものと思われ、裏面に出版社の記載があります。長辺約50センチ弱、短辺約35センチ弱のポスターのような大きな厚紙に印字されたもので、赤字で印字された両国の式辞と、それを取り囲む紺色で印刷された装飾からなります。

 ハーグでの国王謁見式は1862年7月1日行われ、正史竹内保徳(TAKENO-UTSI SIMODSKE NO KAMIと記されています)から国王ウィレム3世に向けての式辞と、その返答の式辞がウィレム3世から使節団に向けて交わされています。ここにはその式辞両方のオランダ語文が掲載されています。竹内の式辞の内容は、大君殿下(Zijne Majesteit den Taikoen)の命を受け国王に謁見する名誉を拝受する感謝と、条約の遵守を約束すると共に両国の友好の発展を祈るもので、ウィレム国王からの返答の式辞も概ね同様のものです。

 ここで関心を引くのは、この式典でホフマン(Johann Joseph Hoffmann, 1805-1878)が通訳を務めたこと、そして彼が日本語に訳したオランダ国王の式辞が記されていることです。ホフマンはシーボルト(Philipp Franz von Siebold, 1796-1866)の弟子で、日本語と中国語の専門家として多くの研究を行い、ライデン大学における両言語の初代教授となったことでも知られる、日本との縁が大変深い人物です。ホフマンは、ここではオランダ東インド政庁日本語中国語通訳官とされていて、次のような日本語訳文が記されています。

(Olan Kokwo iwáku.)

Ware yorokónde Taikoen den-ka yori Nandzini meizite yuwásimuru aisátsu-wo uku.
Ware mata Nippon Taikoen den-ka no Heï-an, oyobi sono kunino Koo-fúku wo inóru.
Warewa Olanda-to Nippon-no máziwari más-másu átsükú nari, deoo-yák to mükási-yori no sin-zitsu naru simbokuno tsüdsükitaru mótoï-wo mamorán kotówo negoo.

以下、日本語表記にしてみます。

(オランダ国王曰く)

我慶んで大君殿下より汝に命じて言わしむる挨拶を受く。
我また日本大君殿下の平安、およびその国の幸福を祈る。
我はオランダと日本の交わり益々篤くなり、条約と昔よりの真実なる親睦の続きたる基を守らんことを願う。

 近代日蘭関係の友好の印となる大変貴重な資料であると同時に、ホフマンの訳文という珍しい文章も記された興味深い資料と言えそうです。


「ホフマンは遣欧使節団のオランダ国王への通訳として、同使節がオランダを訪れた際に活躍した。使節のオランダ国王への公式謁見に際して、彼が通訳として関与した仕事を明らかにするある証拠品が存在する。それは、ホフマンの子孫によって保存されている、日本使節団とオランダ国王との謁見を祝い、記念するために印刷された、ある一枚の用紙(本紙のこと;引用者注)である。その文書は、福地源一郎によって日本語からオランダ語へと翻訳された竹内の挨拶と、ホフマンによってオランダ語から日本語へと翻訳されたオランダ国王の返礼が、(おそらく省略された形で)引用されている。(中略)
 このテキスト(ホフマンによるローマ字綴の日本語文;引用者注)は、日本語を母語とする話者によって編集された形跡がないように見受けられる。テキストが記念品として印刷されるに際して、ホフマンが改めて校正を施したしたことは大いにありうるだろうが、そうだとしても彼の日本語の実際の水準を正確に表したものであることは疑いなく、ホフマンの訓読の訓練やその背景を明瞭に示すものと言える。ホフマンの日本語会話の実際の習得度が、ロニーのそれよりも優れていたことは間違いないであろう。」

Willy F. Vande Walle. “Léon de Rosny and his significance for French Japanology as a specialist of the Japanese language”, Noriko Berlinguez-Kôno (ed.), La genèse des études japonaises en Europe(Lille: Presses universitaires du Septentrion, 2020), pp.182-184.

テキスト部分、最後の部分がホフマンによる日本語訳文。
紙端の一部に小さな破れがあるが、全体の状態は良好
裏面に小さく印字された出版社情報。