書籍目録

「東方独立諸国の有益な情報を収集した業績に対する補償をアメリカ政府に請願するパーマー覚書」

(アメリカ議会文書)パーマー

「東方独立諸国の有益な情報を収集した業績に対する補償をアメリカ政府に請願するパーマー覚書」

1855年 (ワシントン刊)

33D Congress 2d Session. [Senate] Mis. Doc. No. 10. / Palmer, Aaron Haight.

MEMORIAL OF AARON HAIGHT PALMER, PRAYING Compensation for services, in collecting valuable information and statistics in relation to the geography, productive resources, trade, commerce, &c., of the independent oriental nations.

(Washington), No publisher stated, February 1, 1855. Ordered to be printed. <AB201743>

Sold

<AB201742>

14.3 cm x 22.7 cm, pp. [1], 2-23, Bound in modern blue card wrappers.

Information

ペリー日本艦隊派遣に向けて活躍したロビイストによる調査報告

 本書は、ペリー(Matthew Carlbarith Perry, 1794 -1858)による日本遠征隊の実現に向けて活躍したロビイストであったパーマー(Aaron Haight Palmer, 1785? - ?)によって書かれた、派遣成功の自身の功績をアメリカ政府に対して主張する陳情書で、パーマーによる日本開国の方策提言や関連書簡などを収録しています。

 ペリーの日本遠征隊は、突如として計画されたものではなく、当然ながらそこに至るまでの複雑な文脈がありました。アメリカ捕鯨業の発展による太平洋進出、カリフォルニアの領土獲得と金鉱発見による西海岸経済の爆発的発展、それに伴う太平洋横断航路への商業的期待、中国を主とする東アジア地域でのイギリスとの経済的覇権をめぐる熾烈な競争、等々といった多くの複雑に入り組んだ経済的、政治的、外交的文脈の微妙なバランスの上で実現したものです。後年から見ると、アメリカが「一貫して」「確固たる意志と目的を持って」日本遠征隊を計画していたと思ってしまいがちですが、実際には、むしろ当時のアメリカ国内におけるミクロ・マクロ双方の様々な条件が織りなす中で、辛うじて実現されたといったほうが正しく、それだけにその背景にあった文脈を一つ一つ丁寧に読み解くことが、日本遠征隊の全貌を理解する上では欠かせません。

 パーマーは、ニューヨークで法律事務所を開く一方で、政財界とのコネクションを強め、大陸横断鉄道実現と、太平洋を挟んだ東方アジアの独立国との交易拡大を主張するロビイング活動を活発に展開していました。特に、彼は日本との交易を実現することがアメリカの(そして自身の)利益につながることを熱心に主張し、自ら膨大な調査報告書を作成し、政府関係者に提案していました。また、ペリー自身とも出発前に情報交換を行っているほか、長崎オランダ商館への働きかけも行っていました。彼の提言は、彼自身によって印刷されたものもあれば、議会文書として後に公刊されたものもあり、また作成当時からオランダ語に翻訳されているものもあることから、何らかの形で日本側にその主張が伝わっていた可能性もあります。

 本書は、ペリーによる日本艦隊派遣が成功した後の1855年に出されたもので、パーマーが自身の功績をアメリカ政府に認めるよう陳情するために作られました。彼によると、早くは1842年から日本との交易を実現するようアメリカ政府に提言を行なっており、1847年には調査報告書を作成し、クレイトン(John Middleton Clayton, 1795 - 1856)国務長官に宛てて提出、1848年にはポーク(James Polk, 1795 - 1849)大統領に対して、日本北方地域を含む東アジア地域に関する報告書簡を送っているほか、1849年には再びクレイトン国務長官に「日本開国のための計画書」を提出し、1849年から1852年にかけては、内々に日本についての情報を収集していたペリーに直接貴重な情報提供をしており、こうしたパーマーの長きにわたる多大な尽力があって、日本艦隊派遣の成功が実現したとされます。

 本書に付随するAからDまでの付論は、パーマーが実際に提出した報告書や、計画書、書簡を掲載したもので、艦隊派遣以前の文脈を理解するための非常に重要な資料と言えます。
 付論Aは、先にも言及した「日本開国計画書(Plan for opening Japan」と題されたもので、1849年9月にクレイトン国務長官に送られたものです。
 付論Bは、フィルモア(Millard Fillmore, 1800 - 1874)大統領に宛てて1851年に出された書簡で、簡潔ながら彼が自身の調査によって得ていた日本情報を巧みに織り込みながら、日本艦隊派遣を要請しています。
 付論Cは、ペリーによって日本と結ばれた条約内容を英訳したものです。
 付論Dは、1848年に日本近海で難破したラゴダ号の船員の日本における不当な扱いについて国務省から議会に対して提出されたもので、パーマーもこの報告書に関わっていました。

 パーマーの日本開国に向けた提案は、弁護士にして実業家の彼らしく、非常に現実的で商業上の利益を具体的に論じており、当時の平均的な理念を語りつつも、実際上の利得を主に開国を主張している点に特色があります。本書における彼の主張は、自己の功績を課題に自画自賛するきらいはあるものの、調査報告の発行など実際の刊行物によっても確かにその実態を裏付けられるもので、政財界に影響力を持たんとするパーマが長期にわたって、政治活動を繰り広げる中で、ペリーの日本艦隊派遣が行われてきたことが伺えます。
 
なお、本書によるパーマーの請願は、ようやく1860年に認められ、報奨金が彼に支払われることになりました。

付論A「日本開国計画」の冒頭部分。
付論B、フィルモア大統領に宛てた書簡。