本図は、イギリスの地図製作者であるモル(Herman Moll, ? - 1732)によるもので、彼の死後に刊行された地図帳(Atlas Minor. 1736)に収録されていた地図です。モルは、当時のヨーロッパを代表する地理学者、地図製作者で、日本を含む数多くの地図を製作しています。モルが作成した地図は、その死後も繰り返し様々な出版物に掲載されており、とくにイギリスにおいては18世紀中に強い影響力を持ったものと思われます。
地図中に描かれた日本は、系統としてはマルティーニ / モレイラ型に属するものと思われるもので、マルティーニ(Martini MArtino, 1614 - 1661)による中国地図帳(Novus Altas Sinensis, 1655)に収録された日本図に近いものです。モルは1712年に刊行した地図帳第3巻(Atlas Geographus, or a Compleat System of Geography, Vol. 3)において、日本図(Iapon or Niphon)を発表しており、直接的にはこれを底本としたものと思われますが、地名や描き方に違いが見られることから本書のために改訂を施したことが伺えます。本図では、現代の北海道に当たる蝦夷(LAND of IESSO)は、その輪郭が極めて曖昧に描かれており、また大陸の一部として繋げて描かれていて、この付近の情報が極めて貧弱であったことが見て取れます。
本図と同じ地図は、1725年に刊行されたサーモン(Thomas Salmon, 1679 - 1767)の『万国民の現代史』第1巻(第3版)に収録されたものが初出と思われますが、本図はテキスト情報を追記していて、「日本島が島であるのかどうか、あるいは蝦夷大陸とつながっているのかどうかについては確定されていない」などといった、当時の日本北辺近海に関するヨーロッパ地図学者の混乱した状況をうかがわせる内容を読み取ることができます。
「No.74 モル,H (MOLL,Hermann)
『 現代史に沿った中華帝国と日本島 (The Empire of CHINA and Island of JAPAN Agreable to Modern History.)』24×25(cm) 1730頃
【解説】: この精緻な銅版地図は、1725-1748年の間に版を重ねたT・サルモンの『現代史』に発表された。この地図は、後にやや小型になって再彫され、2折判の参照文(引用文)と新たに追加された注釈が興味ある読み物となっている。地図の右下の端には、中華帝国の注釈があり、北海道の北には、次の面白い注意書きがある。『日本は島なのか、蝦夷地によって大陸の一部に連なっているのかはまだ結論が出ていない。大きな行く手をさえぎる山々によって連絡が閉ざされている。蝦夷地はタタールの一部なのか、腕のような細長い海によって、分断されているのかは明白ではない』その他の点では、地図の地図製作法は同じである。18世紀初期の最も人気があり、また多作のイギリス地図製作者の一人による魅力的な地図である。」
(放送大学図書館デジタル貴重資料室『西洋古版日本地図』解題より)