書籍目録

『日本小文典』

ロドリゲス / ランドレス / レミュザ

『日本小文典』

フランス語訳初版 1825年 パリ刊

Rodrigues, Joao / Landresse, Ernest Clerc de / Rémusat, Abel

ÉLÉMENS DE LA GRAMMAIRE JAPONAISE,…

Paris, A la Librairie Orientale de Dondey-Dupré Pére et Fils, 1825. <AB201937>

Sold

First edition in French.

4to (16.0 cm x 23.0 cm), pp.[i(Half Title.)-iii(Title.)-v], vi-xvi, xi-xiv[i.e. 2 duplicate leaves], LACKING 2 leaves[pp. xvii-xx], pp. [1], 2-142, 1 leaf(Errata), Folded charts: [2], Original paper wrappers.
(Cordier: 244-245) 刊行当時の未装丁の状態。製本時のミスにより序文11頁から14頁が重複しており、本来あるべきはずの17頁から20頁ページが落丁している。開封されていないUnopendの状態。湿気による染み、紙のたわみが見られるが全体として状態は良好。

Information

19世紀のヨーロッパにおける「日本語研究がその緒についた記念すべき作品」と評される名著

 本書は、並外れた日本語力を有していたと言われるイエズス会士ロドリゲス(Joam Rodriguez)が1620年にマカオで刊行した『日本小文典(Arte Breve da Lingoa Iapoa tirada da Arte Grande da mesma Lingoa…Macao, 1620)』を、フランス・アジア協会(La Société Asiatique)の中心人物であった東洋学者レミュザ(Abel-Rémusat, 1788 - 1832)指揮下で、ランドレス(Ernest Clerc de Landresse, 1800 - 1862)がフランス語に翻訳したものです。19世紀に入ってヨーロッパにおける比較言語学研究が盛んになり始めた時期に、日本語に対する関心を再燃させる契機となったことでも知られており、シーボルト前後の日本語研究を代表する書物です。

 『日本小文典』は、1580年から1610年までイエズス会士として日本の宣教活動の中心的役割(後年は極めて重要であった財務担当者)を果たした語学の天才ロドリゲスによって、離日後の1620年にマカオで刊行されたものです。ロドリゲスはその高い実務能力とともに、秀でた日本語力でも知られており、ツヅ(通詞、通訳の意)ロドリゲスとまで呼ばれた人物です。ロドリゲスは在日中に長崎で『日本文典(Arte da Lingua de Iapam. Nagasaki, 1604-8)』(小文典に対して大文典と呼ばれる)をすでに刊行していましたが、あまりに大部であったこの『日本大文典』を補い、修正することを目的として刊行されたのが『日本小文典』です。両書は、当時のヨーロッパ人による日本語研究の最高水準を示す書物として現在でも高く評価されている文献である一方、長崎やマカオで刊行されたため、刊行当時でもヨーロッパで入手することが極めて困難で、また発行部数そのものも大変少なかったことが災いして、広く読まれることはありませんでした。そのことを示すように、現在では世界中でも『大文典』『小文典』それぞれ僅かに2冊の存在しか確認することができません。

 このように先駆的な日本語研究書でありながらも、忘却の憂き目にあったロドリゲスの両書ですが、19世紀に入ってパリを中心として東洋研究が盛んになり、また比較言語学研究が提唱されるようになった時期に、フランスの東洋学者ラングレ(Louis-Mathieu Langlees, 1763 - 1824)が『大文典』を入手し、これを読んだレミュザが高く評価したことにより、ロドリゲスの日本語研究に対する再評価の機運が一気に高まることになります。そして、この時幸いにも『小文典』が写本の形でパリの王立図書館に所蔵されていることが判明し、この写本を底本にして、中国語研究で高い評価を受けていたランドレスが、レミュザの監督下で、ラングレ所蔵の『大文典』と校合して、『小文典』フランス語訳に取り組むことになりました。こうして約二世紀の時を越えて、ロドリゲスの日本語研究は新しい文脈において再評価されることになり、訳者ランドレスの苦心と、パリを中心とした東洋研究の蓄積とが結実して生み出されたものが、本書に他なりません。

「(前略)フランスにおいては、18世紀後半からしだいに東洋研究が盛んになり、19世紀になると特に中国学の分野でアベル・レミュザやその弟子スタニスラス・ジュリアンなど優秀な中国学者が輩出した。このような東洋研究勃興の機運の中で、レミュザやクラプロートらを中心に文政6年(1823)、パリにアジア学会(Société Asiatique)が設立され、機関紙『アジア学会誌』(Journal Asiatique)が発刊された。これらの中国学者は、いろいろ日本の文献に触れる機会があり、中国語の素養を基に日本語の文献を判読することができたので、彼らの興味はしだいに日本語・日本研究へも向けられるようになった。こうしてアジア学会の重要な事業の一つとして日本語の解読の必要性がとりあげられ、そのための手がかりとなるべき文法書の翻訳が企画された。文政8年(1825)、ランドレスによってロドリゲスの『日本小文典』が『日本文典』の表題で編訳、刊行された。」
(熊沢精次「16世紀から幕末開国期までの日本語研究と日本語教育」木村宗男編『講座日本語と日本語教育』第15巻、明治書院、1991年所収、22ページより)

 本書は、こうした19世紀における日本語研究再燃の契機となった書物として、その意義が高く評価されている一方で、その翻訳が不正確であるとも言われてきましたが、具体的にその内容がどのようなものであるかについては、これまであまり知られてきていませんでした。しかしながら、2018年に小鹿原敏夫氏による論文「ロドリゲス『日本小文典』のフランス語訳(1825)について」(京都大学文学部国語学国文学研究室編『國語國文』84巻5号、臨川書店、2018年所収)において詳細な研究成果が発表がされ、本書の具体的な構成やロドリゲスの原著との相違点、変更点などが具体的に明らかにされました。同論文では、本書の構成が下記のように整理されています。

「フランス語訳小文典(1825)の構成を簡単に記せば以下のようになる。

①アジア協会の名による序文(4丁)
②アベル・レミュザによる日本語の音韻と表記の解説(Explication des syllabaires Japonais)、「いろは」「五十音図」の付表二葉を含む(3丁)
③ロドリゲスによる小文典序文のフランス語訳(1丁)と136章に分割された小文典のフランス語訳本文(63丁)。この136章の区分はフランス語訳に独自のものである。
④訳者ランドレスが付け加えた日本語の語彙一覧」(前掲論文83(五〇八)頁)

 『小文典』原著本文は、全3部で構成されており、第1部は日本語学習の心得や、音節や発音、様々な活用形について、第2部は品詞の分類とそれぞれの詳細について、第3部は文章体についてや、場面、相手に応じた適切な日本語運用に不可欠な日本社会、風習(名字や氏といった名前に関する事項、官位、職位に関する事項、公家と武家の相違と注意点、仏教諸派など)について、が論じられています。ランドレスによるフランス語訳本である本書では、これを二部編成にして、さらに独自の136章からなる新たな章立てを設け、不要と思われる箇所の削除や、より詳細な説明が必要と思われる箇所への加筆がなされています。上掲論文によりますと、ランドレスによるこうした改編は決して恣意的なものではなく、いずれの場合においてもロドリゲスの『大文典』を典拠にしており、当時すでに入手が不可能に近かった『大文典』を見ることができない読者にとって必要と思われる情報を追加することでより完全な日本語文法書として完成させることが意図されているようです。

「(前略)このラングレ所蔵の大文典との校合はフランス語訳小文典にユニークな性格を与えた。大文典との校合は単に共通する日本語例文の綴り字を確認することだけに留まらなかった。訳者ランドレスはロドリゲスの小文典の章の組み立てを再構築し、部分的に翻訳を省略することも行なっている。また小文典の「大文典のこの部分を参考にされたし」と指示された部分では対象となる大文典の本分を補筆することでフランス語訳小文典は独立した日本語教本となっている。
 小文典には大文典からの抜萃だけではなくロドリゲスの日本語文法の記述をさらに発展させた部分もあることで知られる。特に小文典19v〜20にみられる第一活用動詞の活用表は画期的であった。したがってフランス語訳小文典は小文典の写本を再び大文典と校合し、補筆することでユニークな統合を達成したといえるだろう。」(前掲論文82(五〇九)頁)

 また、上掲論文でも紹介されているように、本書にはレミュザによる日本語の音韻と表記の解説とともに、「いろは」「五十音図」の折り込み図版が収録されており、これは当然原著にはなかったものです。

 こうしたことからも、本書は、単に『小文典』を翻訳するだけでなく、当時興隆しつつあった東洋学の最新の知見を反映させながら、(当時の)現代版『小文典』となる独自の日本語研究書としてを生み出された非常に興味深い日本語研究書ということができるでしょう。なお、ランドレスは本書刊行の翌年に『補遺(Supplément à la Grammaire Japonaise)』も刊行しています。本書は、翻訳の不正確さがありながらも、19世紀の日本語研究において、参照軸としての役目を果たしたことは間違いなく、後年に至るまで様々な日本研究者によって参照、批評、批判されることになりました。例えば、オーストリアの東洋学者プフィッツマイヤー(August Pfizmaier, 1808 - 1887、柳亭種彦『浮世形六枚屏風』をドイツ語に訳しただけでなく、ウィーンで特殊な金属仮名活字を使って翻刻して1847年にSechs Wandschirme in Gestalten der vergänglichen Welt として刊行したことで著名)は、1853年から54年にかけて本書を詳細に取り上げた二論文(Erläuterungen und Verbesserungen zu dem ersten / zweiten Theile der Élemens de la Grammaire japonaise, von P. Rodriguez.)を発表しています。

 本書は、二世紀以上にわたって忘却されていたロドリゲス『日本小文典』を独自の編集方針によってフランス語に翻訳することで、日本語研究に対する新たな関心を高めることに貢献しただけでなく、19世紀の欧米における日本語研究の基準点としても重要な役割を果たしてきた、大変貴重な書物と言うことができるでしょう。

「ホフマンの日本語研究で、よく参照しているものに、ロドリゲス『日本小文典』の仏訳本 "Elémens de la Grammaire Japonaise, 1825" がある。これはすでに上でものべたように、M・C・ランドレス Landress とレミュザによって翻訳されたものである。全訳ではなく改編の見られること、また訳に難点を指摘する向きもあるものの、本書出現の歴史的意味は決して過小評価できない。私見ではヨーロッパにおける日本語研究は、ここに一原点ありといえるのではないかと思う。吉利支丹宣教師の労作、日本語研究がここによみがえり、さらに科学的で言語学的考察を加えて、日本語研究がその緒についた記念すべき作品である。1825(文政8)年はヨーロッパの日本学にとって忘れられぬ大切な年である。」
(杉本つとむ『西洋人の日本語発見:外国人の日本語研究史』講談社学術文庫版、2008年、280-281ページより)

表紙。刊行当時の未装丁の状態で逆に貴重である。
レミュザによる折り込みの五十音図
レミュザによる折り込みのいろは図
「アジア協会の名による序文」冒頭。
「レミュザによる日本語の音韻と表記の解説」冒頭。本書では、製本時のミスにより序文11頁から14頁が重複しており、本来あるべきはずの17頁から20頁ページが落丁している。
レミュザによるいろはのローマ字表。ロドリゲス『小文典』がポルトガル語による書字法だったのをフランス語によるものに改めている。
本文冒頭
「時制と法を示す動詞の活用とその導き方」「第一肯定活用形動詞の直説法・命令法における時制の導き方」26, 27, 28といった章立てはランドレスが独自に設けたもの。
「貴族の階級としてのCughe(公家)について」「騎士の階級としてのBuke(武家)について」
「訳者ランドレスが付け加えた日本語の語彙一覧」冒頭
裏表紙は東洋研究書の広告となっていてパリを中心としたフランスの東洋学研究を代表する書籍、雑誌が掲載されている。
開封されていないUnopendの状態。湿気による染み、紙のたわみが見られるが全体として状態は良好。