書籍目録

『一般文法:記号論;古代世界の様々な文字の起源についての概観』

クラプロート

『一般文法:記号論;古代世界の様々な文字の起源についての概観』

(1832年) (パリ刊)

Klaproth, M(artin).

GRAMMAIRE GÉNÉRALE. THÉORIE DES SIGNES. A PERÇU L’ORIGINE DES DIVERSES ÉCRITURES DE L’ANCIEN MONDE.

[Paris], [Imprimerie Royale], [1832]. <AB201915>

Sold

8vo(14.0 cm x 22.0 cm), pp.[1], 2-96, (Some folded)Plates: [11], Later cloth, marbled edges.
(Not in Cordier, NCID: BA37963862) 小口三方ともマーブル染め。ヤケや虫食いと思われる小さな穴があるが判読に影響なし。

Information

稀代の東洋学者による漢字や仮名文字をはじめとした象形文字の起源についてのユニークな考察

 本書は、19世紀前半におけるヨーロッパの東洋学者を代表するクラプロート(Julius Heinrich Klaproth, 1783 - 1835)による、漢字や日本のかな文字を含む世界中の文字の起源とその発展史を解説したものです。東洋諸言語に長け、語学の天才とも称されたクラプロートの才が遺憾なく発揮されたもので、現代の視点から見ても大変興味深い日本語研究にもなっています。

 クラプロートは、ベルリンの高名な化学者であったマルティン・クラプロート(Martin Heinrich Klaproth, 1743 - 1817)の息子で、すでに十代の頃から中国語をはじめとする東洋言語に強い関心を持ち、自らアジア研究雑誌を刊行するなど、当時のヨーロッパにおける東洋学研究者を代表する人物として数多くの著作を残しました。1805年にロシアの中国派遣団に随行した際には、イルクーツクで大黒屋光太夫の同僚だった日本の漂流民で、ロシア漂着後に日本語教師となっていた新蔵から日本語を学ぶ機会にも恵まれました。また、オランダ商館長を三度にわたって務め、ヨーロッパ最高峰の日本研究者であったティツィング(Isaac Titsingh, 1745 – 1812)の旧蔵書や遺稿を得ることができたことで、クラプロートは当時のヨーロッパにおける最新の日本研究を行うことができました。日本から帰国したシーボルトとも(紆余曲折がありながら)深い交流関係があったことでも知られています。

 フランスでは、クラプロートと同時代人で、彼も高く評価していた東洋学者レミュザ(Abel-Rémusat, 1788 - 1832)をはじめとした東洋学者らによる研究が19世紀に入ってから急速に進み、1822年には、フランス・アジア協会(La Société Asiatique)が設立されています。この協会は機関誌として、『アジア雑誌(Journal asiatique : ou recueil de mémoires, d'extraits et de notices relatifs à la philosophie, aux sciences, à la littérature et aux langues des peuples orientaux. 1822 - 1827)』を発行し、当時最新の東洋研究に関する様々な研究成果を発表しており、クラプロートもしばしばこの雑誌に寄稿しています。

 本書にはタイトルページがなく、刊行された年や出版地は不明ですが、1832年前後の著作とみなされているようです。クラプロートが本書で扱っているのは、日本語を含め、漢字や、アルファベットといった様々な文字の起源とその発展の歴史というもので、東洋諸言語に通じていた語学の天才でもあったクラプロートの才能が遺憾なく発揮された著作の一つと思われます。クラプロートは、文字の大まかな系統としてヨーロッパ、アジア、エジプトに分けて考察しており、最初に多くの紙幅を割いて、漢字とそこから派生した日本語、ハングルを解説しています。漢字については、事物を描き出す象形文字として発展してきたことを具体的な例と図を示しながら解説していて、例えば、太陽の丸い形が「日」という漢字になった、というように漢字の成り立ちを紹介しています。クラプロートは、最初に事物をそのまま表現する文字として生まれた漢字が、やがて、事物の輪郭だけでなく、より抽象的な概念や、動作といったことも表現できるように発展していったことも解説しています。テキストでは、解説とともに具体的な図と漢字とが交えられており、漢字そのものを知らない読者にとっても、漢字のことがよく理解できるよう巧みに説明されているように見受けられます。

 日本については、漢字文化圏にあった日本が、漢字の導入を経て、そこから独自の文字としてかな文字を生み出したことが詳しく紹介されていて、漢字の音を借用することで日本語を表記することを可能にした万葉仮名(MAN YÔ KANA)ができたこと、そこからさらにひらがな(fira kana)が生まれたことなどを解説しています。カタカナのいろはと万葉仮名のいろはの一覧表も掲載されており、クラプロートの日本語理解の水準がどのようなものであったのかを示す大変興味深い内容となっています。また、巻末には、カタカナとひらがなの一覧が2枚の折り込み図として収録されていて、その音、起源となった漢字がそれぞれの文字とともに併記されています。本書では、もちろんこうした漢字を起源とした文字だけでなく、当時解読されたばかりであったエジプトのヒエログリフや、ペルシャ文字、グルジア文字、ヘブライ、バビロニアのアルファベット等々、彼が知り得た限りのあらゆる文字について同じように解説をしています。

 クラプロートの著作は日本研究に限らず極めて多岐にわたっており、またその出版形態も実に多様であったため、彼による日本研究がどれほどの分量があり、またどのようなものがあったのかについては、現在でも不昧なところが多々あるようです。本書が刊行された時期は、フランス・アジア協会(La Société Asiatique)の中心人物であった東洋学者レミュザ(Abel-Rémusat, 1788 - 1832)指揮下で、ランドレス(Ernest Clerc de Landresse, 1800 - 1862)が、イエズス会士ロドリゲス(Joam Rodriguez)が1620年にマカオで刊行した『日本小文典(Arte Breve da Lingoa Iapoa tirada da Arte Grande da mesma Lingoa…Macao, 1620)』をフランス語に訳した『日本小文典(Élémens de la Grammaire Japonaise. 1825)』が刊行されており、日本の文字や日本語に対する関心がヨーロッパでも急速に高まりつつあった時期に当たります。こうした時期に稀代の東洋学者にして語学の天才でもあったクラプロートによって著された本書は、大変興味深い日本研究文献ということができるでしょう。