書籍目録

『ドイツ百科事典:あらゆる技芸と学術についての一般事典』第16巻

(ケスター他編)

『ドイツ百科事典:あらゆる技芸と学術についての一般事典』第16巻

1791年 フランクフルト刊

Köster, Heinrich Martin Gottfried...[et al.](eds.).

Deutsche Encyclopädie oder Allgemeines Real = Wörterbuch aller Künste und Wisenschaften einer Gesellschaft Gelehrten. Sechszehrender Band.

Frankfurt am Main, Varrentrapp und Wenner, 1791. <AB2018198>

Sold

4to (21.5 cm x 30.0 cm), 1 Blank leaf, Title., 1 leaf, pp.[1], 2-563, 364(i.e.564), 565-797, 1 Blank leaf, Contemporary full calf.
三方の小口が赤く染められている。

Information

ドイツ語圏を代表する「百科事典」において記された「日本」情報

 本書は、ケスター(Heinrich Martin Gottfried Köster, 1734 - 1802)によって1778年に刊行が開始された『ドイツ百科事典』(第23巻まで出版され未完に終わる)の第16巻にあたるもので、「日本」に関する項目が数多く収録されている大変興味深い感です。

 ヨーロッパにおける「百科事典」の興隆は、17世紀初頭のフランシス・ベーコン(Francis Bacon, 1560 - 1626)による学問の体系的分類と実践知の重視に始まるとされていますが、本格的な広がりは17世紀末以降で、フランスでフュルチエール(Antoine Furetière, 1619 - 1688)の『普遍事典(Dictionnaire universel. 1690)』やベール(Pierre Bayle, 1647 - 1706)の『歴史批評事典(Dictionaire historique et critique. 1697)』といった書物が陸続と出版され、こうしたフランスの出版物に刺激を受けてイギリスでチャンバーズ(Ephraim Chambers, 1680? - 1740)が『サイクロペディア(Cyclopaedia. 1728)』を出版し、その仏訳を企てることから始まったディドロ(Denis Diderot, 1713 - 1784)とダランベール(Jean Le Rond d’Alembert, 1717 - 1783)による、かの有名な『百科全書(Encyclopédie. 1751 - 1765)』が出版されることでそのピークを迎えます。ドイツ語圏における百科事典の試みは、18世紀初頭から始まっており、中でもツェードラー(Johann Heinrich Zedler, 1706 - 1751)によって全64巻で出版された『あらゆる学術と技芸の完全なる普遍大辞典(Grosses vollständiges Universal-Lexicon aller Wissenschaften und Künste. 1732 - 1750)』は18世紀前半のドイツ語圏を代表する百科事典ということができます。『ドイツ百科事典』は、これに次ぐもので、その表題が示すように、フランスの『百科全書』に並ぶようなドイツ語圏を代表する百科事典として企てられたもので、こうした普遍的で総合的な知識のあり方を模索する試みにおいて、日本についての情報がどのように伝えられたかを示すという点で、本書は大変興味深い文献です。

 項目の配置は主題別ではなくアルファベット順の配列になっており、四つ折りの大きな用紙を左右二つに分割したダブル・コラムのスタイルで記事を掲載しており、第16巻である本書だけでも800頁近くの分量があることから、その情報量は相当のものであることが伺えます。また、記事の質という点においても、『ドイツ百科事典』は当時を代表する知識人が多数執筆していることで知られており、例えば、ケンペル(Engelbert Kämpfer, 1651 - 1716)の『日本誌』ドイツ語版(Geschichte und Beschreibung von Japan. 1777, 1779)の編訳者であるドーム(Christian Wilhelm Dohm, 1751 - 1820)もその執筆陣に名を連ねていたことがわかっています。個別の記事は末尾に識別番号のみが記されており、店主のわかる範囲では、執筆者を特定することができていませんが、日本に関する記事を誰がどのように記したのか、という点も大変興味深い点と言えるでしょう。

 日本についての記事は、767頁から780頁にかけて掲載されていて、かなりの分量があると言えます。収録されている項目は、「日本する(Japanieren)(日本の様式の陶器を作成することを言う」(執筆者番号x)、「日本の陶器作品(Japanische Arbeit)」(同22)(同19)(同項目で二本の記事を収録、後者は日本の漆作品)、「日本の建築術(Japanische Bauart)」(同22)、「日本の土(Japanische Erde)」(同47)、「日本の儀式(Japanische Handlung)」(同22)、「日本の衣類(Japanische Kleider)」(同47)、「日本の貨幣(Japanische Münzen)」(同22)、「日本の紙(Japanisches Papier)」(同22)、「日本の各種哲学(Japanische Philosophie)」(同22)、「日本の宗教(JapanischeReligion)」(同22)、「日本の醤油(Japanische Soja)」(同47)、「日本の言語(Japanische Sprache)」(同22)といったもので、主に(22)の識別番号著者による記事が中心となっています。項目の選定もさることながら、内容についてもその長短や筆致にかなりの特徴が垣間見えることから、その著者と情報源を特定することも興味深い試みです。

 本書は、ドームによるドイツ語版『日本誌』刊行後のドイツ語圏において、「国民的百科事典」の試みの中で、どのように日本情報が伝えられていたのかを知ることができる大変興味深い文献と言えましょう。