書籍目録

『アメリカから日本、中国、フィリピンへ:日本と東洋からアメリカとヨーロッパへ』

東洋汽船会社 / 小圃千浦

『アメリカから日本、中国、フィリピンへ:日本と東洋からアメリカとヨーロッパへ』

1918年 出版地不明

Oriental Steamship Company (Toyo Kisen-Kaisha) / Obata, Chiura.

From America To Japan, China, Philippines. From JAPAN and the Orient to AMERICA and Europe.

1918. <AB2018188>

Sold

Oblong (23.0 cm x 40.8 cm) (Folded: 10.5 cm x 23.0 cm), pp.1-31 printed in 8 leaves including both covers, Original pictorial paper wrappers.

Information

東洋汽船の主要航路であった太平洋航路に焦点を当てた英文ガイドブック

 このガイドブックを作成した東洋汽船は、明治から昭和にかけて日本の旅客業界の中心の一角を担っていた海運会社です。現在の商船三井である大阪商船と日本郵船と並ぶ海運会社として大型客船や太平洋航路の運営など積極的な経営方針で知られており、特に海外旅客の誘致には特に熱心で、創業者である浅野総一郎は、紫雲閣と名付けた自身の邸宅に海外からの主要な旅客を招いて宴会を催したりもしています。また、ジャパン・ツーリスト・ビューローの活動にも尽力し「亡くなられる迄殆んど欠かさずビューローの総会に出席され、われわれを大いに激励された」とビューロー25周年回顧録に記されているほどです(山中忠雄『回顧録』ジャパン・ツーリスト・ビューロー、1937年)。

 本書は、東洋汽船が絶頂期にあった1918年に刊行されたもので、それ以前のガイドブックと異なり、主に日本とアメリカに焦点を当てた内容となっています。折りたたむことでポケットに入りやすくなる縦長の形状となるのは同じですが、全てのページ上段を横断する大名行列の図案が配置されるなど、意匠にもそれまでにない工夫が見られます。収録される日本地図、世界地図、東アジア地図もそれまでの倍の紙面を用いて掲載されています。テキスト情報は概ねそれ以前のものと大きな違いはありませんが、アメリカ地図を掲載したり、ルートプランを紹介するなどの新しい試みも見られます。


「同様のデザインで何度か改訂され使用された英語版パンフレット。
 画面右下に見られるサインからデザインは小圃千浦。本名は佐藤蔵六(明治18年-昭和50年)、岡山県出身の日本画家。明治後期の日本画壇において青年時代より高い評価を受けながらも、生涯のほとんどをアメリカで過ごした人物である。
 千浦はサンフランシスコに移住し、明治44年から大正10年にかけて商業デザイン、邦字新聞の挿絵などを描き、東洋汽船発行物のデザインなどを担当したといわれる。東洋汽船が発行していた、刊行雑誌『JAPAN Overseas Travel Magazine』の誌中のイラストも手がけた。千浦自身は労苦を積み重ねながらも、昭和7年にカリフォルニア大学バークレー校においてアメリカ初の日本画講師として迎えられ、日本に戻ることはなかった。千浦の描く青は当地で、『千浦ブルー』といわれ高い評価を得た。東洋汽船の社旗の色は、紺瑠璃ないし瑠璃色の深い青に近く、想像をたくましくするならば、浅野総一郎は『千浦ブルー』の青に魅せられたのではないだろうか。」

(吉井大門『東洋汽船そのあしどり:創業・発展・合併』日本郵船歴史博物館、2014年、12頁より)