書籍目録

『那波列翁一代記(佛蘭西偽帝那波列翁一代記)』「佛郎王歌」収録

著者不明 / 頼山陽(ナポレオン)

『那波列翁一代記(佛蘭西偽帝那波列翁一代記)』「佛郎王歌」収録

全2巻 1854年(嘉永甲寅) 出版地不明

<AB2018172>

Sold

2 vols.

17.5 cm x 26.0 cm, 2 vols. vol.1(上): 2 folded leaves (introduction, 序), 1-5 numbered folded leaves, 1 leaf(inserted), 6-23 numbered folded leaves, vol.2(下): 1-15 numbered folded leaves, 1 leaf, 1-6 numbered folded leaves(Appendix, 附録), Printed on Japanese folded papers, string tied, stored in a Japanese style box.

Information

 本書は、幕末の1854年に刊行されたナポレオンの伝記で、著者、原著、出版地といった基本的な書誌事項が明記されていない書物ですが、独立してナポレオンの伝記を扱った日本で最初の刊本と言われているものです。情報源については明記されていませんが、箕作省吾『坤輿図識』補編に収録されているナポレオンに関する記事を元にしているものと思われますが、日本におけるナポレオン情報の流布に大きな影響を与えた頼山陽の「佛郎王歌」他を収録しており、幕末の日本におけるナポレオン情報を伝える非常に貴重な内容となっています。

 ナポレオンから遠く離れた江戸期の日本においても、その影響はいわば玉突き的に伝わっており、特にナポレオンがオランダを併合したことに伴う、長崎出島貿易への影響や、外国船来航などは非常に深刻なものでした。江戸時代におけるナポレオン情報伝播の歴史については、岩下哲典氏の『江戸のナポレオン伝説:西洋英雄伝はどう読まれたか』(中央公論社、1999年)において非常に詳しく紹介されていますが、本書を中心にして、追補をしながら江戸から明治初期にかけての日本におけるナポレオン情報の伝播をまとめますと、下記のようになります。

江戸時代

1805年
フェートン号事件
→フェートン号水夫の一人が、フランス皇帝の弟がオランダ国王になっている、という情報を阿蘭陀通詞にもたらしたとされる。

1807年
大槻玄沢『環海異聞』
→レザノフのもたらした漂流民、津太夫らへの尋問からオランダがフランスと同国になったことを報じる。

↑ヨーロッパにおける政変についての断片的な情報は比較的早くから日本にもたらされていたが、ナポレオンという個人についての情報はもたらされず。オランダ風説書でもナポレオンについての情報は巧妙に秘匿されていたとされる。

①1812年
ゴロウニンとともに日本に捕縛されたロシア人、ムールによる『模烏児(モウル)獄中上表』がナポレオンについて言及。

②1813年
リコルドが日本にもたらしたロシア語新聞にナポレオンの記事あり。オランダ商館に問い合わせるも曖昧な返答しか得られず。

③1818年
頼山陽が長崎を訪れた際にナポレオンのロシア遠征に従軍したオランダ人から、ナポレオンについての話を聞き、それをもとに漢詩「仏郎王歌」を詠む。
日本国内でナポレオンが広く知られるきっかけとなる。

④1825年
ゴロウニンの『日本幽囚記』ドイツ語版からの重訳オランダ語版が1821年日本にもたらされ、『遭厄日本記事』として出版される。
ドイツ語版はロシア語版よりも日本批判の程度が強かったと言われており、①の内容とも相違があったため、高橋景保が①をオランダ語に翻訳してヨーロッパでの出版を試みる。

⑤1826年
A) 高橋景保がオランダ商館長スチュレルから聞いた情報をもとに、ナポレオンの伝記『丙戌異聞(へいじゅついぶん)』をまとめる。

B) 高橋景保が部下の吉雄忠次郎と蘭学者の青地林宗に命じて、ワーテルローの戦記『別埒阿利安設戦記 (ベレアリアン戦記)』を訳述

→いずれもナポレオン没落後に勝者の側にあったオランダの立場に拠って書かれたもの。

1828年
シーボルト事件で高橋景保が失脚したため、天文方を中心としたナポレオン情報の流布が停滞。

⑥1829年
天文方蛮書和解御用であった小関三英が、ナポレオンの略伝を邦訳し、『卜那把盧的戦記』(原本は現存せず僅かな写本のみ伝わる)としてまとめる。
大槻西磐が漢文に翻訳し、『卜那把盧的紀略』(写本)とする。

⑦1832年
小関が、リンデンによるナポレオンの伝記の邦訳を開始、『ブオナパルテの生涯』(草稿原本は現存せず)としてまとめ始めるが、未完に終わる。
(原著?:Linden, J. van der. Het Leven van Buonaparte. Naar het Fransch, door Mr. J. Van der Linden, Advocaat te Amsterdam. Amsterdam: J. Allart, 1801.(ただし直接の底本は第4版(1803年)とされる。))

1839年
蛮社の獄において小関が自死を遂げる。

*年代は不明だが、この頃に作成されたと思われる安田雷州によるナポレオンの肖像やナポレン戦闘図が残されている。

1845年
箕作阮甫『西史外伝』(写本)にナポレオンの伝記が収録される。
箕作省吾『坤輿図識』本編の刊行開始。

⑧1847年
箕作省吾『坤輿図識』補編刊行。ナポレオンの伝記が収録されている。日本で刊行されたナポレオンの伝記として最初のものか?

⑨1853年
時々夢斎『海外人物小伝』が刊行される。
ナポレオンだけを扱っているわけではないが、かなりの紙幅を割いてナポレオンの伝記が挿絵入りで紹介される。日本で刊行された挿絵付きのナポレオンの伝記として最初のものではないかと思われる。

⑩1854年(本書)
作者不明、原著不明の『仏蘭西偽帝那波列翁一代記』が、木版活字本として刊行される。
本書には、日本におけるナポレオン情報普及の契機となった③も収録されている。
ただし、内容は、⑧の巻一から巻三までをほぼ写したもの。表題が表すように著者のナポレオン評価は否定的。
→日本最初の独立した刊本としてのナポレオンの伝記となる。

11. 1857年
松岡与権が、未完となっていた⑦を完成させ、『那波列翁伝初編』として刊行する。
本書には、日本におけるナポレオン情報普及の契機となった③と、ナポレオンの肖像を描いた木版画が掲載されている。

*特に⑤⑧⑩11は、幕末の志士(佐久間象山、吉田松陰、西郷隆盛)らに影響を与える。

12. 1867年
福地源一郎がナポレオンによる兵法書の英訳書を翻訳し、『那破倫兵法』として刊行する。
(原著?:D’Aguilar, Colonel. Mapoleon’s Maxims of War. 1845?)


明治時代

那波列翁、那波烈翁、那勃列翁、那翁、などの名称で様々な書物が刊行される。
これらを大別すると、

①伝記(英雄譚含む)
②軍記(陸軍学校による兵法書含む)
③戯作等、ナポレオンを題材、テーマにした読み物

に分類できる。
一般に広く流布したものでは、①と③の影響力が強い。

①については、欧文の定評あるナポレオンの伝記を翻訳したものと、日本の著者が独自に著したものとに分けられる。

前者(翻訳書)を代表するものとして

栗原古城訳『奈翁実伝』(1920)
→ナポレオンの伝記として最も有名な作品の一つである、Mémoires de M. de Bourrienne, ministre d'etat sur Napoléon, le directoire, le consulat, l'empire et la restauration(1829).を翻訳したもの。

前田長太訳『聖ヘレナにおけるナポレオン回想録』(1912)
→ナポレオンの伝記として最も有名な、Le mémorial de Sainte Hélène par le Comte de Las Cases.1823,24.を翻訳したもの。

また、ナポレオンのみを扱っているわけではないが、明治初期の注目すべき翻訳伝記作品として、西洋の英雄譚が纏められた下記の書物がある。

山内徳三郎『西洋英傑傳』(1872)
→三編上下は「佛朗西帝都那勃列翁之傳」で、ナポレオンの肖像も収録している。

後者の日本独自の本格的な伝記作品としては、下記がある。

長瀬鳳岡『縮刷奈翁全傳』(1916)
→ナポレオン研究会である「奈翁會」によって編纂、出版された全7巻のナポレオンの伝記を縮刷してまとめたもの。

③については、より後年に刊行された絵入り読み物としては下記がある。

清水市次良『那波列翁軍記』(1887)

 このようにして見てみますと、日本とナポレオンとの関係は、想像以上に歴史的にも書誌上においても長く、また深いものである事に改めて気付かされます。このような日本におけるナポレオン受容史において、幕末から明治にかけて「英雄ナポレオン」「名将ナポレオン」としてのナポレオン像は、民衆レベルにまで様々な形で浸透していくことになりました。本書は、その中でも日本で最初に独立した刊本として出版されたナポレオンの伝記として、大変重要な位置を占めるものと言えます。

「嘉永7年改元して安政元(1854)年には、木活字版の「仏蘭西偽帝那波列翁一代記」上下2冊が世に出るに至った。これは、現在、京都大学総合図書館に所蔵されている。このナポレオン伝は、原書も訳者も発行所も全くわからない。その構成は、まず最初に頼山陽の「仏郎王歌」があり、次に山陽とも親交のあった儒家大槻磐渓の「仏郎王歌」12種(後述)のうち、前書のナポレオン小伝と第三首、第八首、十二首と後書を除いた9首を載せて、本文がはじまっている。本文は、ナポレオンの誕生から没後、遺骸がパリに戻るまでを記述しており、さらに「附録」がついている。これは、「仏蘭西亜ハ近五十年前ノ喪乱ニ由テ其名大ニ世ニ顕著セル一大邦ナリ」ではじまる、フランスの国勢、政治、貿易、軍事、学校などを簡略に説明したものである。「附録」のあとにさらに「帝国」「王国」「大赫督撫国」「赫督撫国」「豊苾督国」「独立共和国」別の「欧羅巴全州人員表」がついていて、親切な本である。
 ところで本文のナポレオン伝は、前述したどの書とも一致をみない。どのような由来をもつものなのか今のところ不明である。しかし、この「仏蘭西偽帝那波列翁一代記」上下は、ナポレオンの伝記が、江戸時代にはじめて刊行された記念すべき書であることは間違いない。やはりペリー来航という未曾有の国難に際して、国際関係の歴史を調査研究するためにこうした書物が求められたものと考えられる。」

(岩下哲典氏『江戸のナポレオン伝説:西洋英雄伝はどう読まれたか』中央公論社、1999年、117,118頁より)

上下巻2冊で構成されている。独立してナポレオンの伝記を扱った日本で最初の刊本となった記念すべき書物。
表題、本書には奥付がなく、著者(訳者)や出版地といった基本的な書誌情報が不明である。
冒頭には、日本におけるナポレオン情報流布のきっかけとなった頼山陽の「佛郎王歌」が収録されている。
上巻冒頭箇所。
下巻冒頭箇所。
下巻末尾には附録として、フランスの国情と歴史を簡単に説明した記事があるが、これも情報源が今のところ不明。
専用の帙に保管されている。