書籍目録

『居留地返還後の永代借地に対する課税問題に関する日本の国際仲裁裁判所への訴訟関連資料集』

『居留地返還後の永代借地に対する課税問題に関する日本の国際仲裁裁判所への訴訟関連資料集』

『神戸クロニクル』社主ロバート・ヤング旧蔵書 1902年? 出版地不明

THE CASE PRESENTED BY THE IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT TO THE TRIBUNAL OF ARBITRATION CONSTITUTED UNDER SECTION I OF THE PROTOCOL CONCLUDED AT TOKIO, AUGUST 28, 1902, BETWEEN JAPAN AND GERMANY, FRANCE AND GREAT BRITAIN.

not dated. <AB2018168>

Reserved

16.0 cm x 23.0 cm, Title., Errata, pp.[I], II-VIII, 1 leaf, pp,[1], 2-195, 1 leaf, pp.[1], 2-55, 1 leaf, pp.[1], 2-407, Folded charts or maps: [21], Later imitation leather with original covers.

Information

居留地返還後に勃発した「永代借地権論争」に関する資料を網羅した英文資料集、「神戸クロニクル」社主であるヤング旧蔵書

 本書は、神戸、横浜、東京、長崎を中心とした外国人居留地返還後に生じた「永代借地権論争」に関する英文資料集です。「永代借地権論争」とは、外国人居留地が返還を迎えることになった1899年から1902年にかけて、日本と諸外国との間で生じた紛争の中で最も大きな議題となった一連の紛争のことで、日本がハーグの国際仲裁裁判所に1902年に訴えを起こすまでに至った一大事件となりました。本書は、この訴訟とその経緯、ひいては居留地の成立と発展そのものに関わるあらゆる資料を収録したもので、この論争を理解するための基本資料となりうるものです。また、本書は、この論争において中心的な役割を果たし、神戸居留地において、諸外国の立場を擁護するための強力な論陣を張った「神戸クロニクル」社主であるヤング(Robert Young, 1858 - 1922)の旧蔵書で、一部彼によるものと思われる書き込みが見られるという大変ユニークな一冊です。

タイトルページ。

 永代借地権とは、いわゆる安政五カ国条約によって定められたもので、外国人居留地において外国人には土地の所有権を認めるのではなく、無期限の借地契約を締結することとしたものです。この権利は、長年の不平等条約改正交渉において幾度も議論されましたが、最終的には永代借地権は1899年7月17日より施行される日英通商航海条約以降も存続することとなりました。ところが、返還後に永代借地権が設定された土地の上に建設された家屋への課税や、営業税、所得税などのいわゆる地租以外の課税を巡って、日本と諸外国との間に紛争が生じることになります。日本側は、永代借地権の設定されている土地には、永代借地権による税が別個に収められていることに鑑みて、新たに地租が生じないことは認めるとしても、その上に建設された家屋やそこから生じる営業上の利益等に関しては、居留地返還後に課税ができるものと判断していました。しかしながら、諸外国の当事者や政府関係者は、そのような新たな税負担が発生することは、永代借地権により発生する租税公課がある以上、二重課税に当たるものであるから不当であるとして、納税を拒否する立場をとりました。こうした事態を受けて、日本政府は、イギリス、ドイツ、フランスを相手取り、1902年3月にハーグの国際仲裁裁判所に訴えを起こします。その結果、同年8月28日に仲裁裁判所による議定書が定められ、審議が行われることになりました。本書は、この8月28日の議定書の発行までを一区切りとして、この訴訟に関する日本側が提出したと思われる関連資料を英文で収録しています。

訴訟(CASE)の部、冒頭箇所。
  • 横浜居留地の現状について記した記事冒頭。
  • 兵庫(神戸)居留地の現状について記した記事冒頭。
このような図表も収録している。上掲は、神戸居留地の土地坪数と家屋数、それらの課税額を地域ごとに分けて示したもの。
  • 東京(築地)居留地の現状について記した記事冒頭箇所。
  • 長崎居留地の現状について記した記事冒頭箇所。

 本書は、大きく分けて三部で構成されていて、最初に訴訟(CASE)そのものに関わる中心的な事項として、幕末に日本が諸外国と締結するに至った条約にまでさかのぼって、そこから居留地の起源とそこで定められた様々な取り決め、権利関係などが説明されています。またそこを起点として訴訟が発生するに至るまでのいわゆる不平等条約改正のための交渉の歩み、返還前の居留地における状況と認められている諸権利、返還後に定められたそれらの変更点と継続点などが説明されていて、訴訟に至った経緯とその背景を詳細に記しています。

注釈(NOTES)の部、冒頭箇所。

 ついで注釈(NOTES)として、関連する、あるいは訴訟を理解する上で必要となる事項、例えば日本における租税体系とその中での地租、家屋税などの扱いに関すること、居留地各地での課税状況、戸数割などの区画制度など、訴訟に関連する日本政府と各居留地のある自治体における租税に関する事項が説明されています。

補遺(APPENDIX)の部冒頭箇所。
当時イギリス駐日公使であったアーネスト・サトウ(Ernest Mason Satow, 1843 - 1929)と外務大臣青木周蔵との幾度にもわたるやり取りも収録されている。

 そして、補遺(APPENDIX)では、1902年8月28日の国際仲裁裁判所による議定書(独文、仏文、英文)とその注釈と各国政府のそれに対する応答がまず最初に掲載されています。続いて、この訴訟に至るまで重ねられてきた各国との様々な交渉の経緯が主に対英交渉を中心として掲載されています。そして、個別の居留地ごとに関係する条約や土地所有のあり方、訴訟に至る時点までの経緯が記されています。ここでは、横浜、長崎、兵庫、大阪、東京、新潟が取り上げられていて、それぞれの居留地がどのようにして成立したのかや、区画の設定された範囲、設定以降の経緯などが説明されていて、各居留地の歴史を理解する上でも大変有用な資料となっています。また居留地ごとに異なっていた永代借地の設定のあり方についても丁寧に説明しており、例えば神戸における雑居地における借地権設定についても個別に解説しています。さらには、日英通商航海条約において永代借地権に関連すると思われる箇所の掲出と解説を様々な項目を挙げて行なっているほか、居留地をめぐる様々な外交交渉に関する文書を掲載しています。ここには、当時イギリス駐日公使であったアーネスト・サトウ(Ernest Mason Satow, 1843 - 1929)と外務大臣青木周蔵との幾度にもわたる厳しいやり取りも収録されています。

  • 横浜居留地開始当初からの歴史的経緯と変遷について記した記事
  • 当初の横浜居留地を描いた地図。
  • 兵庫、大坂の居留地開始当初の取り決めを記した記事。
  • 開始当初の神戸居留地を描いた地図。
神戸山手の雑居地における借地権設定に関する取り決めについて記した記事も収録されている。
居留地返還を目前に控えて、返還後の家屋に課税する旨を通告する兵庫県文書
横浜居留地の礎を築いたブラントンによる居留地整備見積書まで掲載されている。

 巻末を中心として、本書には20枚以上の図表や地図が収録されていて、横浜、長崎、神戸、大阪を中心とした居留地の区割りや範囲を示した地図や、課税見込み額の一覧表などがここには含まれています。こうした関連する図表は、直接的にはこの訴訟に関して作成されたものですが、結果的に居留地研究を行う上でも大変有用な資料ともなっています。

横浜居留地を中心とした市街図。
長崎居留地を中心とした市街図。
神戸居留地を中心とした市街図。
神戸居留地の区割り図。

 本書が特に興味深いのは、こうした内容上の資料的価値に加えて、旧蔵者がこの紛争の一方の当事者の代表的人物でもあったヤングであることです。ヤングは、神戸のみならず当時の日本を代表する英字新聞「神戸クロニクル」の社主として神戸居留地を中心に強い影響力を有していました。この問題が発生した際には、いち早く諸外国を擁護する論陣を「神戸クロニクル」上で展開しており、非常に強い関心を持ってこの紛争に関わっていたことが知られています。本書の見返しに部分には彼の蔵書であったことを示す蔵書票が貼られており、また多くはありませんが、彼によるものと思われる書き込みが一部見られます。本書は、出版された場所や出版年、出版社といった基本的な書誌事項が一切記されておらず、どれほどの部数が発行されたのかや、そもそもどのような読者層を想定して作成されたのかについても分かりかねるところがありますが、少なくともヤングのような当事者の手に渡っていたという事実は、大変興味深いことと言えるでしょう。

「神戸クロニクル」の社主として、この紛争の一方の当事者の代表的人物でもあったヤングの蔵書票。
ヤングによるものではないかと思われる書き込み箇所。

 この訴訟は、1905年5月22日にハーグ国際仲裁裁判所によって裁定が下されることになり、日本側の全面敗訴という形で集結することになりました。本書は、この訴訟を巡って日本が提出したと思われるあらゆる関連英文資料を収録したもので、この訴訟を理解するための基本資料となるだけでなく、結果的に横浜、神戸、東京を中心とした居留地の発展過程や当事者間で認識されていた問題点などを描き出す資料ともなっており、居留地返還当時の居留地の状況を研究する上でも大変有用な資料と言えます。


「治外法権が撤廃され居留地も課税を受けることになった時、日本政府ははやばやと永代借地にある外国人家屋にも課税するという通告を発した。このことが明らかになるやクロニクル紙(神戸クロニクルのこと;引用者注)は直ちに反撃を開始した。居留地内の土地に賦課される借地料は税金に相当するものであり、居留地の費用はこの借地料によってまかなわれているのだから、さらに家屋に課税するのはまさに二重課税にほかならない、故に居留地の家屋に賦課された税金を支払う義務はない、と指摘した。」
「この家屋税の合法性をめぐる問題は1902年8月21日の議定書によりハーグ国際裁判所の裁定を求めることになった。当事者は日本対英国、ドイツ、フランスであった。米国政府はなぜかこの外交論争には参加せず、仲裁裁判の当事国になることを拒否したが、仲裁の結果受けるべき恩恵をアメリカも要求すると日本政府に通告することだけで自国民の権益を保護する姿勢をみせた。アメリカ人たちがこのような本国政府の態度に失望したのは当然だった。
 仲裁裁判所は1904年5月22日、仲裁裁判人に選ばれたグラム、ルノー両判事が日本代表の本野一郎(駐仏公使)に、次のような裁定を下した。
 「仲裁裁判の調書に挙げられた条約その他の取り決めの規定によって許容された永代借地権に基づき、保持されている土地はその土地に対してばかりでなく、その土地の上に存在するいかなる建築物、または今後その上に建築される建物に対しても、明確な他の規定があるものを除き、あらゆる課税、寄付金、分担金、その他すべての租税を免除するものである。」
 名高い国際的紛争は幕を閉じた。この事件で神戸は主導的な役割を果たした。最初に問題が発生したのが神戸であり、神戸山手の土地紛争における調停によってもたらされていた判例がこの裁定の決め手になった。」
(堀博ほか訳『ジャパン・クロニクル紙ジュビリーナンバー 神戸外国人居留地』神戸新聞出版センター、1980年、200〜203頁より)

  • オリジナルの表紙を貼り付けて改装が施されている。
  • タイプ打ちで作成されたタイトルラベルが背表紙に貼り付けられていて、厚紙製のスリップケースに収納されている。