書籍目録

『オランダの富』

ルザック

『オランダの富』

全4巻(完全揃い) 1780−83年 ライデン刊

Luzac, Elias.

HOLLANDS RIJKDOM, BEHELZENDE Den Oorsprong van den Koophandel, en vande Mage van dezen Staat;...

Leiden, Luzac en VAN DAMME, MDCCLXXX(1780) - MDCCLXXXIII(1783). <AB201733>

Sold

4 vols. (complete)

8vo, Vol. 1; [i-v], vi, [vii], viii-xxii, 1l., pp.[1], 2-370, [1], 2-144+reg., Vol. 2; 2 ls., pp.[1], 2, [3], 4, [1] , 2-540, [1], 2-60+reg., Vol. 3; 5 ls., pp.[1], 2-416, [1], 2-128+reg., Vol. 4; 2 ls., pp. [1], 2, [3], 4, [1], 2-540, [1]-60+reg, Contemporary half calf.
背の天部分と角の革に年相応の痛みと欠落あり、綴じの状態は良好

Information

徳川秀忠からオランダ国王に送られた、「幻の朱印状」を収録

 本書は、17世紀以降に拡大した「オランダの富」の形成史をたどるもので、全4巻からなる非常に大部の作品です。特に、オランダの富の源泉となった、東インド貿易会社による植民地政策に関する一次資料を多く収録している点に特徴があります。

 著者ルザック(Elie Luzac, 1721-1796)は、出版社の経営者にして、自身も多くの作品を残したオランダ人で、特にフランス自由主義思想家、啓蒙思想家との交流が盛んだったことでも知られています。本書は、フランス人Jacques Accarias de Sérionne (1706-1792)がフランス語で1768年に刊行したLe Commerce de la Hollandeをオランダ語に翻訳して、さらにオランダ東インド会社の一次資料(特許状ほか内部資料含む)をふんだんに盛り込んで、大幅に内容を充実させたものです。オランダ経済史、特に植民地経済史の古典として大変評価が高く、現在でも参照すべき資料が多くあると言われています。

 日本との関係で大変興味深いのは、オランダ東インド会社の支部機関であった、長崎出島のオランダ商館に関する資料です。随所に日蘭貿易に関係する記述が見られますが、特に興味深いのは、徳川秀忠がマウリッツ公(Maurits van Oranje, 1567-1625)に送ったとされる親書が掲載されている点です。

 オランダが日本から交付を受けた貿易勅許状、いわゆる朱印状は、徳川家康が1609年に発したもので、わずか数行しかなく、内容的にも非常に簡素なものとして知られています。ところが、本書においてルザックが掲載しているものは、それとは全く異なるもので、オランダ総督マウリッツ公(Maurits van Oranje, 1567-1625)に徳川秀忠が送ったとされる、オランダ語で2ページ近くにおよぶ非常に長文のものです。「遥か彼方なる国から訪ねてきたオランダ王に、日本帝国の王である私より親愛の情をお贈りいたします」という冒頭に続いて、両国間で貿易の振興を図ることは大変良いことであるとまで述べており、家康の朱印状の簡素な内容とは大幅に違う内容、そして趣旨になっています。これは、今日、日本とオランダの両国においてその原文が確認できないもので(家康朱印状はハーグ国立文書館に保存されています)、もしもそれが本当に存在していたのだとすれば、本書に引かれたこの一節は、非常に重要な資料となり得るものです。

 ルザックは、先行する著作『オランダ東インド会社の『オランダ東インド会社の起源、その発展の歴史と現状(Historiesch Verhaal. Van het Begin, Voortgang, en Teegenwoordigen Staat der Koophandel, van de Generaale Nederlandsche Geoctroyeerde Oost-Indische Compagnie, 1768-1772)』にこの文書が掲載されていることを述べていますが、残念ながら実際の文書が当時存在していたのかどうかについては特に触れていません。本書に掲載されているこの文書は、19世紀後半になって、1845年から1850年に出島商館長を勤めたレフィスゾーン(Joseph Henry Levyssohn, 1800-1883)が再び注目しており、著書『日本雑纂(Bladen over japan. 1852)』において再掲しています。

 2015年に刊行された小暮実徳氏の『幕末期のオランダ対日外交政策』によりますと、アメリカによる日本遠征隊派遣への対抗措置として、友好的日蘭関係を歴史的文書から証明する試みが、1851年から52年にオランダで模索されており、その際にこの文書に注目が集まったとのことです。

 「このクラッベ覚書(植民省歴史図書部門による日蘭関係史報告書のこと、引用者)から、オランダ政府による1844年国王ウィレム2世の日本開国勧告事件の公表、それによる他の諸外国に対する日本におけるオランダの貢献を訴える計画が理解される。しかし同調査を依頼された植民省G部は、ウィレム2世書簡内に、今まで双方の君主間で書簡交換は一切行われていなかったとの表現を見つけ、これは余りオランダのためにならないと思ったこと、しかしこれを覆すと思われる遠い過去におけるオランダの日本派遣があり、これを調査することが良いとする結論に至ったことがわかる。さらに前掲書『オランダの富』(本書のこと、引用者注)第3巻で、翻訳された将軍の返書を載せており、著者ルザックが、この将軍返書に関する信憑性を全く疑っていないため、植民省はこの1609年のマウリッツ公書簡、それに対応する将軍の通商許可証の捜索を開始するのである。」(小暮前掲書273ページ)

小暮氏による詳細な研究が明らかにしているように、当時オランダで必死の捜索が行われたにも関わらず、この書簡類は発見されることなく、現在に至っています。

 本書は、オランダ貿易史、東南アジア経済史における重要資料であるとともに、「幻の朱印状」を記した、大変興味深い資料と言えます。

タイトルページ
オランダ国王マウリッツ公宛の徳川秀忠によるとされる返書オランダ語訳冒頭、この後2ページ近く続いている。現在オランダで保管されている、いわゆる「朱印状」原文と比べてかなり長文のため、未発見あるいはすでに失われた、現存するものとは全く異なる書状が存在していた可能性を示唆している。