書籍目録

『小さな大君:喜歌劇』(楽譜)

スペンサー

『小さな大君:喜歌劇』(楽譜)

1910年(1886年) フィラデルフィア刊

Spenser, Willard.

THE LITTLE TYCOON: A COMIC OPERA IN TWO ACTS.

Philadelphia, Willard Spenser, MDCCCLXXXVI(1936). <AB2018162>

Sold

22.5 cm x 35.0 cm, Musical Score: pp.[1(Title.), 2], 3-144, Original cloth.

Information

1886年にアメリカで上演されたジャポニズム喜歌劇の楽曲集

「日本の雰囲気」だけを音声化した舞台化したものもある。『ミカド』に前後 して1886年にアメリカで製作された『小さな大君』にその部分が確認できる。

(アルヴィン (大君としてニッカボッカに)シマヒム、キィ!(きつく軋むような音で)イグゥンタイクーン、キカプゥプレアリリィ、ジャムヤム、ブゥジャムスナァク、タムタム。

ニッカボッカ (うっとりとして)きれいな日本語だ。わしは子どものころ自分で勉強したんだよ。(ルフスに)しかし、彼は何と言っているんだ?

ルフス (グルグルに扮して)偉大な大君様は(大君にお辞儀をして) 偉大なニッカボッカ殿のお歌を御所望でござる。(ニッカボッカにお辞儀をする)

ドルフィン卿 おお、ああ!
ヴァイオレット パパ、大君様のお言葉には逆らえないでしょ。

 スペンサーの『小さな大君』は、恋人ヴァイオレットとの結婚を認めない彼女の父ニッカボッカ将軍が権力に弱いことを聞きつけ、日本の将軍(大君)に成りすまして結婚を認めさせようとする奇想天外な物語である。家来のグルグルに扮した友人ルフスを従えてやってきたアルヴィンは、日本の将軍らしく「日本語」で話し始める。この「日本語」は全く意味不明なものである。しかし誇張はあるにせよ、当時のアメリカ人たちにとっての日本語のイメージが風刺的に描かれている部分である。ここに日本語の「音声の模倣」という表象のスタイルを捉えることが出来る。
 実際には、『小さな大君』のような意味不明な言語が創作されることは少なく、多くのジャポニズム作品は、舞台上の日本語の言語としての機能を重視した。多くの作り手は日本語の歌詞や台詞、登場人物の名前に至るまで、整合性を求めている。これは、「音声の模倣」において、すなわち俳優の感情と演技の関係性において、「言葉の意味」がどれほど重視されたかを考える上で極めて注目すべき事象である。
 それ以上に、劇作家をはじめとするジャポニズム作品の作り手たちが、その場の雰囲気だけでなく、テキストとしての文学的価値を念頭に置いて製作していたことが伺いしれる。ジャポニズム作品の傾向は、衣裳や音声の模倣など視覚、聴覚に訴えかける表面的な特徴から、やがて日本の芸能の形式の模倣へと展開していくのである。「日本らしさ」を演出することがジャポニズムの舞台作品の創造の源である。言い換えれば、ジャポニズム作品群としての共通の命題である。時代を追って変化する共通の事象を表象する作品が作られていることは、表現芸術において「他者を表象する」という普遍的なメカニズムを多角的に検証する格好の研究材料といえよう。」

(多和田真太良「変容するジャポニズム−舞台作品の変遷−」『学習院大学人文科学論集』第25号、2016年より)