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(手書きノート、スクラップ、スケッチブック) 1911年〜20年(記)
Hannah, Ian & Edith Brand.
Three Continents Note Book.
1911-20(Written). <AB2018146>
Reserved
(Manuscripts)
20.5 cm x 32.0 cm, 462 numbered pages, Contemporary three-quarter leather on cloth boards. 背表紙が剥離しているが綴じの状態は良好。
Information
本資料は、イアンとエディスのハンナ夫妻(Ian Hannah, 1874 - 1944 / Edith Brand Hannah, ? - 1947)が450ページを越える大判のノートブックに書き綴った、スコットランド、アメリカ、フランス、そして日本、メキシコを巡る旅の記録です。単なる旅日記ではなく、教会建築やスコットランド史跡、東アジア史の研究者でもあった夫イアンの関心の沿って記された各地の建築物、史跡の詳細な記録と分析、所見に、画家、イラストレーターであった妻エディスによる美しい手描きイラストを随所に添えて作成されているもので、資料的価値が極めて高い一冊となっています。特に1919年に日本を訪れた夫妻が日光、鎌倉、箱根、軽井沢について記した記事は、本書の約四分の一を占める分量があり、その質、量ともにおいて、当時来日した外国人が残した記録として唯一無二の資料的価値があると言えるものです。
イアンは、イギリスの学者、著作家、そして晩年は政治家にもなった人物で、ケンブリッジ、オックスフォード、アメリカのオーバリン大学など各地の大学で教鞭をとり、教会建築史を中心に、スコットランドの史跡研究、そして日本を含む東アジア史や東西交流史についての講義、研究を行い、数多くの著作を残しています。日本を直接的に取り扱った著作としては、1900年に刊行した『東アジア小史(A brief history of Eastern Asia. 1900)と、その大幅増保改訂版となった『東アジア史(Eastern Asia: A history. 1911)が特によく知られており、両書においてイアンは日本の歴史を古代から現代に至るまで詳細に論じるとともに、ポルトガル時代に遡って東西交渉の歴史を書き記していることから、日本をはじめとした東アジアの歴史や文化についてひとかたならぬ知見を有していたことがわかります。また、エディスは、イアンのオーバリン大学の同窓生で画家、イラストレーターとして生涯活躍したことで知られており、イアンの多くの著作で手がけた挿絵は特に高い評価を得ていました。 夫妻は1904年に結婚し、しばらくイングランドで過ごした後に、イアンがオーバリン大学教授となったことに伴い1915年にアメリカに渡り、1925年に再びイギリスに戻ってからはスコットランドのエジンバラ近くに亡くなるまで住み続けました。この旅の記録は、書き始められたのが1911年7月、最終的に書き終えたのが1920年とされていることから、最初のイングランドでの生活を送っていた時期から、オーバリン在住時代に行われた数度の旅の記録をまとめたものと言えます。
非常に大きなノートブックの450ページを超える分量で記された記録ですが、それぞれのページには丁寧にページ数が書き込まれており、イアンによる各地を訪れた際に見聞した建築物や史跡、街の様子を書き記したテキストとともに、アンナによるイラストが添えられています。また、旅行先各地で入手した絵葉書や写真、関連する雑誌、新聞記事の切り抜き、入場チケットなど、関連する資料が挟み込まれていたり、貼り付けてあったりと、スクラップブックと日記帳を併せ持ったような記録となっています。ノートブックに記されている内容をページごとに大まかに分類すると下記のようになります。 スコットランド(1-100頁) アメリカ①(101-172頁) フランス(173-236頁) アメリカ②(237-318頁) 日本(319-416頁) メキシコ(417-460頁、ただし空白ページ多数) 地域別索引(461, 462頁) イアンは、特に教会建築史、スコットランド古代史の専門家として多数の著作がありますので、日本以外の各地を巡る旅についての記述のほとんどは、教会建築についての非常に詳細な記録となっています。
イアンによる日本についての記述は、日光、鎌倉、箱根、軽井沢についての記述で構成されており、特にイアンの関心が高かった各地の神社仏閣建築については非常に詳細な観察記録と分析が記されています。また、エディスは、日光東照宮を中心とした界隈である鉢石村についての色彩スケッチをはじめとして、イアンが観察した建築物の細部についてのスケッチを随所に残しています。
特に、日光についてはあらゆる建築物がイアンの関心を引いたようで、三仏堂、五重の塔、家康、家光の廟、薬師堂、そして陽明門と、日光の主な社寺建築を詳細に観察しながら見学しています。建築様式、配置、装飾、文様と多岐にわたって分析を加えており、また随所に東アジアの歴史研究家らしく、関連する日本史についての情報も書き加えています。記事中にはラフカディオ・ハーンをはじめとして当時に日本学の権威であった著作家の記述を引用したり、自らが撮影したと思われる写真、現地で買い求めた写真はがき、入場券、関連する雑誌記事などあらゆる関連情報を同時に収録しています。夫妻は日光中心部だけでなく、日光周辺の二荒山神社や、聖公会が1916年に建築した教会(日光真光教会)も訪れています。
鎌倉では長谷寺と大仏に強い関心を持ったようで、大仏については複数のアングルから取られた写真ハガキや雑誌記事、ラフカディオ・ハーンの著作からの引用、内部の観音像の造形について細かく記しています。長谷寺についてはその建築様式をスケッチで記すとともに、細部の装飾の様子や仏像の特徴についても言及しています。また、鶴岡八幡宮も訪ねており、多くの写真ハガキを添えて記録しています。
箱根では、特に石仏について強い関心を持ったようで自らが撮影したと思われる写真と写真ハガキを添えるとともに、仏像の錫杖とキリスト教の司教杖との類似性を指摘したりしています。また、箱根神社も訪れており、本堂の配置だけでなく、そこに至るまでの近隣地図のスケッチを添えながら、その特徴を分析しています。 イアンの日光をはじめとする日本の寺社仏閣建築に対する評価は極めて高く、世界中のあらゆる他の地域で見ることができない優れたものとして、非常に好意的に記しています。一方で単純に礼賛するだけでなく、各建築物がどのように構成され、装飾がどのような機能を担っているかなど、教会建築史の研究者らしい鋭い分析眼が記述に行き渡っており、批判的視点や東西文化比較の視点からも記述されている点は、このノートブックの高い資料的価値を示すものと言えるでしょう。
明治期に日本を訪ねた外国人旅行者とその見聞記を残した欧米人は少なくありませんが、このノートブックのように、高い専門的知見を備えた本格的な考察に至っているものは非常に珍しく、学術的にも高い価値を有するものと思われます。このノートブックには日本だけでなく、上述のようにアメリカ、ヨーロッパ各地の教会建築群についても同様の詳細かつ鋭い分析が行われており、これらの記述とあわせて日本の伝統建築物がイアンによってどのように評価されていたのかについて考察することは、東西交渉史研究のテーマとしても極めて興味深いものになることとと思われます。その意味でも、これまで刊行されることなく眠っていた、このノートブックは、かけがえのない非常に重要な研究素材ということができるでしょう。