書籍目録

『セイトホフ(A. W. Sijthoff) 浮世絵コレクション目録』『補遺(解題)』

セイトホフ / フリース / (ジャポニスム)

『セイトホフ(A. W. Sijthoff) 浮世絵コレクション目録』『補遺(解題)』

全2冊 1903年 ライデン刊

Sijthoff, A(lbertus). W(illem). / Vries (Jr.), R(einer). W(illem). P(etrus). de.

CATALOGUE d'Estampes Japonaises: COLLECTION A. W. SIJTHOFF- LEYDE. / Premier Supplément du Catalogue d'Estampes Japonaises.

Leiden, A. W. Sijthoff, 1903. <AB2018143>

Donated

2 vols.

15.0 cm x 22.0 cm, Half Title., Front., Title., pp.[1], 2-122 / Half Title., Title., pp.[1], 2-15, pp.[1], 2-30, pp.[I], II-VIII, Original pictorial paper wrappers.

Information

日本研究文献を数多く出版したライデンを代表する出版社セイトホフによる浮世絵コレクション目録

 本書は、オランダのライデンを代表する出版社であるセイトホフ(A. W. Sijthoff、現Luitingh-Sithoff)が、1903年に出版した浮世絵をはじめとした日本の摺物など約3,300点をそれぞれの解説をつけて掲載したコレクション目録です。2,933点を収録した目録本編と、追加343点と全体の解説、索引を収録した補遺編との2巻構成です。

 この目録を出版したセイトホフ(Albertus Willem Sijthoff, 1829 - 1913)は、ライデン出身で、19世紀後半から20世紀初めにかけての出版業、書店業の中心的役割を果たしたことで知られる人物です。セイトホフは、E.J.ブリル社(E. J. Brill)と並んで、ライデン大学との関わりが極めて深く、その関係で日本を含めたアジア研究の文献も数多く出版しており、例えば、シーボルトの助手であり、東洋研究で数多くの実績を残した初代ライデン大学中国・日本語教授となったホフマン(Johann Joseph Hoffmann, 1805 - 1878)の『日本語文典(Japansche spraakleer. 1867)』の出版元になっています。こうしたことから、本書が単なる浮世絵のカタログというよりも、ある程度学問的な用途を目的として用いられることも想定したカタログであることが伺えます。

 ライデンにある浮世絵コレクションとしては、シーボルトに由来する民族学博物館所蔵のものがよく知られていますが、本書に収録されているコレクションは、それとは異なるものと思われ、表題の記載(Collection A.W.Sijthoff)から見ても、セイトホフが蒐集したコレクションであると思われます。ただ、店主の調べた限りでは、このコレクションがいかなるもので、現在残っているのか、あるいは散逸してしまったのかについては確認することができませんでした。何れにしても、1903年当時に約3,300点ものコレクションを形成していたということは、実に驚くべきことかと思われます。

 目録では、作者名と作品の簡単な解説が掲載されています。例えば、第1番には、作者名に Hokusai 1760 -1849 とあり、解説には 「富士山の百の風景の一つ(Une des cent vues du Fouzi Yama)」とありますので、『富嶽百景』のいずれかの作品であったことがわかります。目録には実に多彩な人名が並んでおり、当時のヨーロッパ人が買い求めた作品と作家の傾向、あるいは入手し得たそれらをこの目録から読み取ることができるものと思われます。
 
 また、『補遺』の冒頭に収録されている解題は、フリース(Reiner Willem Petrus de Vries jr., 1841 - 1919)によって書かれたものです。フリースは出版社経営者、オークション主催者としてアムステルダムの古書業界で活躍した人物で、父から受け継いだ古書店を舞台に古書籍のオークションだけでなく、美術品のオークションも開催していたようです。フリースは、ナイホフ(Martinus Nijhoff, 1826 - 1894))やミュラー(Frederik Muller, 1817 - 1881)といった当時のオランダを代表する書店、古書店経営者とも親しかったようで、彼らの協力を得ながらオークションカタログを編纂したりもしていますから、同じく当時から著名な出版社であったセイトホフとも交流があったであろうことは容易に想像できます。また、フリースの事業を継承した息子(Anne Gerard Christiaan de Vries, 1872 - 1936)は、1905年にアムステルダムで行われた、「知られざるオリエンタリスト」バルブトー(Pierre Barboutau, 1862 - 1916)の浮世絵コレクションのオークションカタログを編纂、発行しています(高山晶『ピエール・バルブトー:知られざるオリエンタリスト』慶應義塾大学出版会、2008年参照)ので、ジャポニスムに沸くヨーロッパにおいて、親子でこの分野のオークションを手掛けていたのではないかと思われます。

 解題ではコレクションの由来については深く触れられていませんが、日本がいかに美的なものに対して繊細で確かな感覚を有してきたかということや、浮世絵をはじめとした作品を生み出してきた歴史を具体的に論じています。同時代の浮世絵の一大コレクションとしては、いうまでもなくボストン美術館のものが現在も非常によく知られていますが、セイトホフがこうしたコレクションを構築していたということは、ほとんど知られていないものと思われます。このコレクション蒐集の経緯やその後の行方を調べることで、オランダにおけるジャポニスムや浮世絵による視覚文化の受容の歴史ついての新しい視野を提供するヒントが見つかるかもしれません。

 なお、セイトホフ社の社屋は現在でも変わらずライデン市内に残されており、当時の面影を見ることができ、現在は文化センターとして活用されています。

「A.W.セイトホフ社(ドゥーザスラート1番)
 A.W.セイトホフ(1829-1913)の印刷所、出版所、書店があった場所。1852年、セイトホフはこの地に建物を新築、印刷所を開くとともに、本のイラストレーター養成のため木口木版学校も併設した。印刷所跡には現在、セイトホフ文化交流センターがある。
 19世紀末、オランダの印刷所と言えばセイトホフであり、セイトホフの名前は品質の証であった。新聞刊行も手がけ、1860年3月からライデン日刊を刊行、1867年のパリ万国博覧会でデルカンブレの植字・解版機を目にすると、それを即注、同年11月には国内で初めて導入している。」
(日本博物館シーボルトハウス編『ライデンと日本:散策ガイド』日本博物館シーボルトハウス、2017年、44頁より)
 

本編と、解説、索引を付した補遺との2冊構成
  • 本編表紙
  • 本編タイトルページ
  • 本編に収録されている口絵
  • 本文冒頭箇所
  • 末尾には中が設けられている。上掲は注の最終部分
  • 本編裏表紙
  • 補遺表紙
  • 補遺タイトルページ
  • 本編冒頭には解題が設けられている。
  • 解題末尾に解題の著者であるフリースの記名がある。
  • 補遺の末尾には索引があり、このカタログがある程度学術的な用途で用いられることを想定していることがわかる。
  • 補遺裏表紙
参考)現在(2019年)のセイトホフ社。1階がカフェを兼ねた文化センターとして現在も使われている。