書籍目録

『1791年4月29日から5月8日にかけて行われたアメリカ人による最初の日本訪問: レディ・ワシントンとグレース号の航海』

リドレー / 櫻井敬人

『1791年4月29日から5月8日にかけて行われたアメリカ人による最初の日本訪問: レディ・ワシントンとグレース号の航海』

2016年

Ridley, Scott. / Sakurai, Hayato.

AMERICA'S FIRST VISIT TO JAPAN April 29 - May 8, 1791: Voyage of the Lady Washington & the Grace.

Frostfish Press, 2016. <AB201851>

Sold

Oblong (21.5 cm x 28.0 cm), Title, 1 leaf, contents, pp.[1], 2-43,
新刊書(ISBN: 978-0-692-6-9901-0)

Information

「1791(寛政3)年、大島近海に2隻のアメリカ船が寄港した。鎖国下の日本で起きたこの出来事は、我が国の主だった歴史書には記されず、地元でも長い間忘れ去られてきた。この出来事が世間に明らかになったのは、157年後の1948(昭和23)年8月2日付『朝日新聞』においてである。そこには、「書き直しか日米交渉史」という見出しで次のように記されていた。
 
 戦前から日米交渉史を研究していたロサンジェルス在住の木下糺氏が米国の文献に「1791年、ボストンから帆船レディ・ワシントン号(90トン、船長ジョン・ケンドリック)が、カナダのバンクーバー島から毛皮約500枚などを積んで広東に入港、交易を望んだが、同国官吏がワイロを要求するのに憤慨して、大阪堺へと航行中、風浪のため押し流され紀州の港に入った」とあるのを発見し、京都大学名誉教授新村出博士に日本の文献による考証を依頼、これを受けた同博士が和歌山県立図書館司書の喜多村進氏に照会したところ、同図書館所蔵の『南紀徳川史』の中にこれと照合する記述を発見した。

 この歴史的事実によりアメリカ船の大島寄港が証明されたとして、串本町と和歌山県は1973(昭和48)年、樫野崎に日米修好記念館を建設した。」

「つまり、レディ・ワシントン号は「最初に日本にやってきたアメリカ船」ではあるが、世界史的な視点から言えば、アメリカ北西海岸へ最初に到着し、ネイティブ・アメリカンとの毛皮貿易を確立し、手に入れたラッコの毛皮を太平洋経由で広東へ運んだパイオニアシップなのである。
 とはいえ、出資者であるボストン商人がケンドリックに宛てた手紙の中に、「日本での商売の可能性を探るように」とあるように、日本との交易も視野に入っていたことは十分考えられる。フォスター・ダレスも「ケンドリックほど進取の気性に富み、野心的で、商売となれば機敏に、しかも徹底的に追求するといった船乗りは他に類がなかった」と述べている(『さむらいとヤンキー』13頁)。ケンドリックは建国期における有名な冒険商人の一人であったのだ。レディ・ワシントン号の大島寄港は、建国直後の若きアメリカのエネルギッシュな姿を象徴する事件であったと言えよう。」
(稲生淳『熊野 海が紡ぐ近代史』森話社、2015年より)