書籍目録

『商人服と領事帽(ドイツ商人幕末をゆく)』

ヴェーバー(ウェーバー) / マイスナー(編)

『商人服と領事帽(ドイツ商人幕末をゆく)』

新版  1939年 東京(OAG)刊

Weber, A(rthur). R(ichard). (Solano, Arw.) / Meßner, Kurt (ed.)

Kontorrock und Konsulatsmütze: Eine Erzählung aus dem überseeischen Leben.

Tokyo, Deutsche Gesselschaft für- und Völkerkunde Ostasiens, 1939. <AB202474>

Reserved

Newly revised ed.

12.8 cm x 18.6 cm, Title., Front., 1 leaf, pp.[1], 2-399, colophon, colored plates: [3], Original? pictorial card boards.
原装丁の背部分のみ補修?見返しに刊行当時の旧蔵者による献辞書き込みあり。 [NCID: BA19489453]

Information

1862年に来日し14年もの長きにわたって長崎、横浜、新潟で活躍した「ドイツ商人」による物語

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「(前略)当時のドイツ商人アルトゥール=リヒャルト=ウェーバーが著した『商人服と領事帽』と題した本は、日本でのドイツ人の生活を知るための貴重なものである。ウェーバーは14年間にわたり日本に滞在した。そして、その後この時の体験を綴って1886年にハンブルクで出版した。やがてこの本は忘れ去られてしまい、入手することもむずかしかったが、1939年、ドイツ東洋文化協会(OAG)会長のクルト・マイスナー氏が新たに版を起こし、あらためて世に知られるようになった。そしてまた1973年、OAG創設100周年を記念してこの本が再版された。当時のOAG会長ハンス・シュバルベ氏は、その序文で次のように記している。
 『この本はきわめて貴重な物語である。本に登場する人物たちは、著者と同じ年代に生きた人たちである。幕末を生きた外国人たちの波乱に満ちた生活のことはもちろん、明治維新の激動を生きた日本人の姿も、その背景としてだが描かれている。まさにかけがえのない歴史資料である。』
 しかしながら、誰もがマイスナー氏やシュバルベ氏のこうした考えに同意するわけではないようだ。熊本日独協会の設立30周年にあたり『雄弁なる沈黙−アルトゥール=リヒャルト・ウェーバーのKontorrock und Konsulatsmütze』と題した論考を寄稿したガブリエレ・シュトゥンプ氏は、この著作の大きな欠点として、日本人の生活に関する背景の「描き方が不十分」だと指摘している。
 ウェーバーがこの本を著したのは、彼が日本を離れてから10年後になってからである。したがって、ウェーバーが日本での出来事やそこで出会った人々のことをすべて客観的かつ明確に覚えていた、とは必ずしも言えないだろう。」
「『商人服と領事帽』には『海外でのことを綴った物語』という副題が付されており、しかも著者は「Arw. Solano」という変名である。「Arw.」はスカンジナビア系のArwedという名前の省略とも考えられるが、むしろ「Arthur Richard Weber(アルトゥール=リヒャルト=ウェーバー)」の頭文字をとったものと考えてよさそうだ。一方「Solano」という姓がなぜ選ばれたのかは不明である。いずれにせよ、こうした副題や変名を使ったことからすると、ウェーバーには自伝を書く意図はなく、したがって物語は必ずしもすべて現実の体験と一致せずとも良い、と考えていたことが推測される。」
「ウェーバーは日本であった人物すべての名前を『商人服と領事帽』では変名で記した。ところがこれら人物の実名はほとんど判明している。やはり前に述べたクルト・マイスナー氏のおかげである。マイスナー氏は、当時いた人たちの助けや、当時の住所録をもとにして変名と実名との関係を整理し、『商人服と領事帽』の新版にその整理表を掲載した。ウェーバーが著者でドゥルッカーとしたのは、実名ルイス・クニフラーのことだった。この商人は1859年、32歳の時にクニフラー商会を立ち上げ、1865年まで長崎で会社経営に携わった人物である。クニフラー商会は、日本におけるドイツ商社の草分けとしてもっとも有力な会社の一つである。」
(ペーター・ヤノハ / 青柳正俊『新潟居留地ドイツ商人ウェーバーの生涯』考古堂書店、2014年、2,3 / 18 / 34,35ページより)