書籍目録

「夢:2幕と3場面からなるバレエ:ガスティヌル作曲」(ポスター)

スタンラン / (ガスティヌル) / (ハンセン)/ (ブロー)

「夢:2幕と3場面からなるバレエ:ガスティヌル作曲」(ポスター)

[1890年] パリ刊

Steinlen, Théophile Alexandre / (Gastinel, Léon) (music) / (Hansen, J) / (Blau, Édouard).

LE RÊVE. BALLET en 2 Actes et 3 Tableaux

Paris, G. Hartmann & Cie / Gillot(grav. imp.), [1890]. <AB202456>

Sold

63.0 cm x 87.5 cm, 1 large colored poster, Linen-backed
リネンによる裏打ちが施されており、良好な状態。

Information

「シャ・ノワール」のポスターで知られる「猫の画家」スタンランが手がけた、1890年にパリで上演された日本を舞台としたバレエの案内ポスター

ただいま解題準備中です。今しばらくお待ちくださいませ。

「《イェッダ》の初演11年後の1890年に、「夢」と題する2幕物のバレエが、国立アカデミーで初演された。おもしろいことに、《イェッダ》と同様に、この前年にもパリ万国博覧会が開催されていることからして、このバレエもその余波の下で作られたことが推測できる。この万博を通じて、かねてからのジャポニスムの波もいよいよその頂点を迎えようとしていたのである。
 《夢》の台本は、エドゥアール・ブロー、振付はJ・ハンセン、音楽はレオン・ガスティヌルが担当した。振付のハンセンという人は、1890年代にオペラ座で上演されたバレエの振付を一手に手がけた人であり、その中には1897年の《エトワール》も含まれている。
 音楽を担当したレオン・グスターヴ・ガスティヌル(1823〜1906)という人は、ほとんど無名の作曲家であり、その経歴などについては内外のほとんどの音楽辞典には掲載されていない。(中略)彼は前述のメトゥラよりは少し年長で、グノーやフランクと同性代の人であり、経歴から推し測る限り、かなりの腕を持った作曲家であったと考えられる。
 バレエ《夢》の物語の設定は、16世紀つまり戦国時代の日本ということになっている。より詳細にいえば、都から遠くないタケノが舞台で、ここは沿岸地帯にあるということなので、あるいは琵琶湖沿岸の村落を想定したとも考えられる。(後略)」

「初演は、1890年6月9日、国立アカデミーで行われた。ダイタを踊ったのは、《イェッダ》でヒロインを踊ったロジタ・マウリであった。初演のポスターには、舞台を彷彿とさせる興味深い絵があしらわれている。舞台に使われた開閉式の扇型の扉は、特に評判を呼んだ舞台装置であった。しかし着物を着て、扇を持ちながら踊るダイタの姿は、あの《イェッダ》にも似て、いささか奇妙である。それでも、松、月、竹組み、書を意識した文字など日本的な風物をあしらっているのを見ると、このバレエが日本趣味をできるだけ忠実に表現しようと努力したことが想像できる。
 このバレエの音楽はガスティヌルの晩年の作であった。当時沈滞期にあったフランス・バレエ界では、その打開策の一つとして音楽の質的向上をねらった。それまでバレエのために書かれた音楽は、主としてバレエ音楽専門の職人的な作曲家に任されていて、音楽性よりも踊りの機能を重視する傾向にあった。このマンネリズムを打開するために、バレエ音楽が、彼らに代って本格的な作曲家の手に委ねられるようになったのである。サン=サーンス、トマ、ラロ、ウィドールといった人たちが、この時期バレエ音楽を手がけているのには、そのような背景があったのである。オペラや大きな宗教曲などを書いていたガスティヌルに、《夢》の音楽のお鉢が回ってきたのもうなずけよう。(後略)」
(岩田隆『ロマン派音楽の多彩な世界』朱鳥社、2005年、206-207、210-211頁より)

「1878年の万国博覧会の直後に、『イェッダ』が、大衆の間に広がった日本のイメージを駆使して異国趣味に溢れた舞台を繰り広げてから、1890年の『夢』に至るまで、日本の情報はさらに10年分の深みを増したはずだったが、多少の情報の正確さは得られたとしても基本的な変化は見られない。つまり、一般のパリの人々にとっては「正確な日本の情報」などはほとんど関心の的ではなく、そこにきれいな着物や神秘的な宗教的雰囲気、明確な身分の違いのある社会などを盛り込んだ、ファンタジーに溢れる世界を提供してくれればよかったのである。『イェッダ』においても夜の精や生命の木などの幻想的な場面があって、それを見た批評家は北欧の伝説を借用したに違いないと述べたが、『夢』におけると同様の幻想的場面は自然との交歓の神話的な情景として描かれ、それは必ずしも日本に固有のイメージではなかったのである。
 あらすじに西洋の物語との互換があるとしたら、この舞台の日本としての魅力は、やはり衣装と舞台装置であろう。弁天や女神イザナミの太古の神話的イメージ、殿様や武士、村人、村娘たちそれぞれの珍しい衣装、そしてヒロインのダイタがまとう豪華な着物、また、全編を通して巨大な開閉する扇の仕掛けから、それぞれの人物が踊りながらひらひらとさせる多数の扇が、この舞台の魅力を作り出すものであったのだろう。」
(馬渕明子『舞台の上のジャポニスム:演じられた幻想の〈日本女性〉』NHK出版、2017年、142ページより)