書籍目録

『オランダ東インド会社の起源と発展の歴史、ならびにその商活動の現状』

『オランダ東インド会社の起源と発展の歴史、ならびにその商活動の現状』

全2巻(揃い) 1768年(第1巻)/ 1772年(第2巻) アルンヘム刊

anon.

HISTORIESCH VERHAAL, VAN HET BEGIN, DEN VOORTGANG, EN DEN TEGENWOORDIGEN STAAT DES KOOPHANDELS, Van de Generaale Nederlandsche Geoctroyeerde OOST-INDISCHE COMPAGNIE. Eerste Deel / Twee Deel.

Arnhem, Wouter Troost, 1768(Eerste Deel) / 1772(Twee Deel). <AB202440>

In Preparation

2 vols.(complete).

8vo(12.5 cm x 21.0 cm), Vol.1: pp.[I(Title.)-III], IV-XVI, pp.[1], 2-92, 39(i.e.93), 94-564. / Vol.2: pp.[I(Title.)-III], IV-VIII, pp.[1], 2-587, Slightly later half cloth on green marble boards.
[Landwehr VOC: 1490]

Information

「日本皇帝からのマウリッツ公宛返書」(1609年)のオランダ語訳を含む各種史料をふんだんに収録したオランダ東インド会社史

 本書はオランダ東インド会社設立前史である16世紀末からのオランダの東インド航海の開始から、オランダ東インド会社の設立(1602年)とおおよそ1650年頃までの歴史を詳述した作品です。著者名は記されていませんが、オランダ東インド会社の内部資料を駆使して執筆されていると思われることから、同社の何らかの関係者によるものと思われ、本書でしか読むことのできない貴重な記事をふんだんに含んでいることから、資料的価値の高い作品です。ウィリアム・アダムスの日本漂着に始まる日蘭交渉史についてもかなりの紙幅を割いて記されており、徳川秀忠がオランダのマウリッツ公への返礼として1609年に送ったという長文の親書など、興味深い資料が多数収録されています。

 本書は全2巻で構成されていて、1768年に刊行された第1巻では、オランダ東インド会社が成立する以前の各社が乱立して東インド航海を行っていた時期の記録から、オランダ東インド会社の設立と1610年頃までになされた航海とその成果についてが全12章で論じられています。1772年に刊行された第2巻では、第1巻と時代をやや重複しながら1610年前後から1650年までの出来事が全9章で論じられていて、さらにオランダ東インド会社の特許、法令、内規、構成等の関連資料が収められています。

 第1巻の序文で著者は、本書に先行する著作としてコメリンの『オランダ東インド会社の起源と発展』(1644年 / 1645年 / 1646年)や、ファレンティンの『新旧インド誌』(1724年〜1726年)などを挙げていますが、前者についてはその記述の網羅性を評価しつつもあまりにも膨大な分量であることや、個別の航海記の集成となっている点に難があり、後者については東インド各地の動植物や気候、文化などといった様々なトピックを扱っているがゆえに、その意義は大いに認めつつも、一つの通史としては用いにくいことなどを述べています。本書が刊行された当時、オランダ東インド会社は往時の勢いを失いつつあり、何らかの抜本的な改革が求められる状況にあったため、本書はその改善策を提示するためにも、同社が最も輝きを放っていた設立当初からの約半世紀の出来事に年代を絞って、またその商業活動に絞って記された歴史を振り返ることが必要ではないか、という思いが著者にはあったようです。

 本書の大きな特徴は、オランダ東インド会社の簡潔な商業史でありつつも、様々な関連文書(特許状、相手国と締結した文書、貿易記録など)を随所に挿入していることで、こうした資料的な裏付けによって筆者が述べている出来事が具体的にどのような成果に結びついたのかということを明確に跡付けることが可能となっています。著者は刊行著作についてはその参照源を別記していますが、オランダ東インド会社の内部資料と思われる資料群については具体的に資料名や、情報源などを明記しておらず、現在その原資料を確定させることには多くの困難が伴いますが、著者がこれだけの内部資料を駆使しうる立場(おそらく会社関係者)にあったことを示しています。

 本書は、オランダ東インド航海史、東インド会社史として極めて有用な作品ですが、日蘭交渉誌に関する資料を多数含んでいることから、日本関係欧文図書としても非常に興味深い作品です。オランダ東インド会社成立以前の各社が乱立して航海活動を行なっていた時期の活動を論じた第1巻第4章(34ページ〜)では、リーフデ号を含む5隻の船隊による航海について詳述されており、1600年にウィリアム・アダムズを乗せて日本に漂着することになる経緯やその後の出来事についても詳述されています。また同章では、オランダ人として初めて世界周航を果たすことになり、フィリピン近海で日本の漁船とも遭遇したファン・ノールトの航海についても詳述されています。

 特に興味深いのは、日本で家康の信頼を勝ち取ることに成功したアダムズの働きかけによって、1609年にオランダ初の公式日本派遣使節が日本に渡航したことを非常に詳しく記していることです(466ページ〜)。ここではスペックスらオランダ使節が平戸に来航してからの動向や交渉の内実について詳述されているだけでなく、日本の皇帝(Keizer、徳川秀忠のことを指すと思われる)がマウリッツ公の親書に対する返書としてオランダ使節に差し出したという文書のオランダ語訳が長文で引用されています(474ページ〜)。これは、よく知られている日蘭貿易の原点となった家康による非常に簡素な朱印状とは異なる文書で、オランダ語翻訳文で2ページ以上にわたる非常に長文なものとなっています。このマウリッツ公宛返書は、1614年に刊行された、メーテレン(Emanuel van Meteren, 1535 - 1612)の『ネーデルランド史』で言及されたものと同じではないかと思われますが、両者の文面は異なっているように見受けられます。ここで引用されたマウリッツ公宛書簡の原文は、現在に至るまで見つかっていないため非常に興味深い記述であると言えるでしょう。この書簡部分のみ1780年から83年にかけてるザックによって刊行された『オランダの富』(全4巻)にも収録されています。

 また、アダムズの尽力によって平戸に設置されることになったオランダ商館の活動については、第2巻第1章であらためて詳しく述べられており(第2巻5ページ〜)、平戸オランダ商館設立に至る経緯と初期の活動を具にたどることができるようになっています。さらにスペックスがオランダ東インド会社総督であった時期のことを詳述した第2巻第8章(234ページ〜)でも、平戸商館の活動が取り上げられています。

 このように、本書はオランダ東インド会社史だけでなく、初期の日蘭交渉史に関する資料としても大変重要な作品であると思われますが、発行部数が極端に少なかったのか、現存数が非常に少なく国内研究機関の所蔵も確認することができません。もし発行部数が極端に少なかったとすれば、おそらくそれは本書の成立事情や背景、すなわち当時のオランダ東インド会社の将来方針をめぐる異なるステークホルダーの対立などが関係しているものと思われますが、いずれにしても非常に興味深い作品であることは間違いないと言えるでしょう。

刊行当時よりやや後年のものと思われる装丁で良好な状態。
第1巻タイトルページ。1768年に刊行された第1巻では、オランダ東インド会社が成立する以前の各社が乱立して東インド航海を行っていた時期の記録から、オランダ東インド会社の設立と1610年頃までになされた航海とその成果についてが全12章で論じられている。
第1巻序文。
第1巻序文末尾と目次。
第1巻目次続きと、本文冒頭箇所。
オランダ東インド会社成立以前の各社が乱立して航海活動を行なっていた時期の活動を論じた第1巻第4章(34ページ〜)では、リーフデ号を含む5隻の船隊による航海について詳述されている。
1600年にウィリアム・アダムズを乗せて日本に漂着することになる経緯やその後の出来事についても詳述されている。
日本で家康の信頼を勝ち取ることに成功したアダムズの働きかけによって、1609年にオランダ初の公式日本派遣使節が日本に渡航したことを非常に詳しく記している。
ここではスペックスらオランダ使節が平戸に来航してからの動向や交渉の内実について詳述されている。
日本の皇帝(Keizer、徳川秀忠のことを指すと思われる)がマウリッツ公の親書に対する返書としてオランダ使節に差し出したという文書のオランダ語訳が長文で引用されている。
上掲続き。
上掲続き。
第1巻末尾。
第2巻タイトルページ。
第2巻では、第1巻と時代をやや重複しながら1610年前後から1650年までの出来事が全9章で論じられていて、さらにオランダ東インド会社の特許、法令、内規、構成等の関連資料が収められている。
第2巻目次冒頭箇所。
第2巻目次続きと本文冒頭箇所。
アダムズの尽力によって平戸に設置されることになったオランダ商館の活動については、第2巻第1章であらためて詳しく述べられている。
スペックスがオランダ東インド会社総督であった時期のことを詳述した第2巻第8章でも、平戸商館の活動が取り上げられている。
フランソワ・カロンの名前も見ることができる。
さらにオランダ東インド会社の特許、法令、内規、構成等の関連資料が収められている。
第2巻末尾。