書籍目録

『東インド誌:日本の最果てに至るまでのアフリカ沿岸、アジア諸地域の一連の王国の地誌に関する、さまざまな著者の記述にもとづいて』

アルトゥジウス

『東インド誌:日本の最果てに至るまでのアフリカ沿岸、アジア諸地域の一連の王国の地誌に関する、さまざまな著者の記述にもとづいて』

1608年 ケルン刊

Arthus, Gotardo (Arthusius, Gotthard).

HISTORIA INDIAE ORIENTALIS, EX VARIIS AVCTORIBVS COLLECTA, ET IVXTA SERIEM TOPOGRAPHICAM REGNOrum, Prouinciarum & Insularum, per Africæ, Asiæque littora, ad extremos usque Iaponios deducta,…

Coloniae(Köln), Wilhelmi Lutzenkirch, M. DC. VIII.(1608). <AB202437>

In Preparation

8vo (9.5 cm x 14.8 cm), Title., 9 leaves, pp.1-592, NO lacking pages, pp.597-616, Contemporary vellum, stored in a cloth boards special box.
随所に虫損が見受けられるが、テキストの判読に大きな支障はなく、比較的良好な状態。一部の現存峰に見られる地図、図版等は未収録(欠落?)。保存用の専用箱が付属。

Information

「日本概論」「日本現代史」ともいうべき興味深い日本関係記事を豊富に収録

 本書は、1608年にケルンで刊行されたラテン語の書物で、そのタイトル「Historia Indiae Orientalis」が示すように、ポルトガル・スペイン両国の相次ぐ航海、植民活動によって当時のヨーロッパに伝えられた「東インド」各地の事情や風俗、歴史をまとめ上げた作品です。副題でも言及されているように日本についても言及されており、最後半部で数章を割いて日本論が展開されているという、日本関係欧文図書として大変興味深い作品です。

 本書の著者であるアルトゥジウス(Gotardo Arthus / Gotthard Arthusius / Gotthard Artus, 1568 - 1628)は、16世紀末からフランクフルトにおいて、ルター派の教師、歴史家、翻訳家として多彩な活躍を見せた人物です。中でも16世紀末からフランクフルトでドブライ兄弟(Johann Theodor de Bry, 1561 - 1623 / Johann israel de Bry, 1565? - 1611)によって刊行が開始された、「大旅行記集」(Grands Voyages)と呼ばれる、主として「新大陸」アメリカを対象とした全13巻(ドイツ語版は全14巻)で構成される『西インド旅行記集』(India Occidentalis. 1590-1634)、ならびに「小旅行記集」(Petits Voyages)と呼ばれる、主として日本を含む東インドを対象とした全12巻(ドイツ語版は全13巻)で構成される『東インド旅行記集』(India Orientalis. 1597-1628)において、1601年から1620年にかけて主たる翻訳者として活躍したことが知られています。本書で展開されている、当時最新とも言える「東インド」各地に関する膨大な知見は、このド・ブライ兄弟の浩瀚な航海記出版の翻訳者として活躍する中で得ていたものと考えられ、ある意味ではド・ブライ兄弟の『東インド旅行記集』の総集編と言えるかもしれません。

 本書は八つ折り本の小さな書物ですが、600ページを越えるボリュームのある作品です。同時代のヨーロッパにおいて刊行されていたいわゆる「東インド」に関する著作では、著名なイエズス会士マッフェイ(Giovanni Pietro Maffei, 1536? - 1603)による『インド誌』(Historiarum Indicarum Libri XVI. Florence, 1588)が当時のベストセラーとして広く読まれていましたが、本書は同様の主題について、(たとえそれを全面に出しているわけではないとはいえ)プロテスタントの視点から記されているという他に類のない極めて独創性の高い作品であると思われます。

 本書は全60章で構成されていて、アジアと呼ばれる東インド地域の概説が冒頭に最初に置かれ、以降ヨーロッパから最も近いアフリカ沿岸地域やブラジルは中米諸地域(これらは本来「西インド」に属する地域ですが)についての記述から始まり、順に東方へと記述が進められていって、インド、東南アジア、中国、そして最後に日本についての記述が置かれるという構成となっています。各国、地域で概ね1章以上の記述が当てられており、それぞれの地域の歴史、産物、風俗、ヨーロッパ人との関係などについて記されていて、その意味では当時のヨーロッパにおける「東インド」全体の知見を凝縮したような作品であるともいえます。日本についての記述は、第54章(519ページ〜)から第58章(〜583ページ)にかけて集中的に見られ、それぞれ下記のような章題となっています。

第54章:日本諸島の量的、質的記述、ならびにそこに住み人々の多彩な風俗と習慣(p.519-)
第55章:日本社会と人々の秩序と状態:政治的な事柄と諸地域の統治について(p.528-)
第56章:日本における迷信とキリスト教信仰広まりの始まりについて(p.539-)
第57章:日本の統治について、とりわけ不幸な日本の皇帝「関白殿(Quabacondoni)」の破滅について(p.557-)
第58章:日本の皇帝である「太閤様(Taicosamae)」の残虐さとその死について、ならびに彼の死後に起きたさまざまな激動について(p.570-)

 第54章は、いわば「日本概論」ともいうべき内容で、その地理的位置、範囲、特徴から、気候や風土、産出物、人々の気質や習慣、文化、文字といった様々な主題が扱われており、先に言及したマッフェイ『インド誌』における日本についての記述とよく似た構成となっているように見受けられます。それだけ、両書の記述の間にいかなる差異があるのか、またその背景は何かというのは非常に興味深いところです。

 第55章は、日本の統治機構、社会階層について主に論じられていて、「国衆」(Cunixos)や、「殿」(Toans)といった日本語の用語を交えながら、各地の王国(Dynaste)を支配する貴族たちが社会の最上位にあり、その次に「坊主」(Bonzij)と呼ばれる迷信の宗教指導者たちが、そしてもっぱら軍事の専門家(武士たち)となる人々が続き、商工人、農民という序列があることなどが解説されています。また、ここでは日本の刑罰制度や十字架による処刑法(磔刑)といった刑事司法に関することや、自ら腹部を掻き切ることで名誉を保つ(切腹)ことなども紹介されています。さらには、本来の日本の統治者である「内裏(Dairi)」の権力が簒奪され「公方(Cubis)」と呼ばれる世俗の支配者が実質的な統治者となっているといった、かなり込み入った日本の政治事情についても記述されています。その流れで、本章の最後ではその流れで、「太閤様」(Taicosama)がいかにして日本の支配者になったのかという、現代史の記述となっています。

 第56章は、日本の宗教事情についての解説で、1542年にヨーロッパ人が初めて日本に漂着し、それ以降キリスト教が徐々に日本に伝えられることになった経緯を簡単に述べてから、日本における各宗教についての解説が置かれていて、「坊主(Bonzi)j」、「釈迦(xaca)」、「阿弥陀(Amidam)」いった用語を交えてながら記述されています。これに続いてザビエルの日本渡来とキリスト教伝道について紹介されていて、日本におけるザビエルの活動が概ね時系列に沿って紹介されるという内容となっています。

 第57章から第58章にかけては、「日本現代史」とも言える内容で、第55章の最後で言及されていた太閤様による支配が確立されてからの様々な出来事が記されていて、「関白殿(Quabacondoni)」(豊臣秀頼)の悲劇的な最後や、秀吉がいかに残虐な統治をおこなったのかといったことが論じられ、その死後に様々な社会動乱が引き起こされ、「内府様(Daifusama)」(徳川家康)が、支配権を確立することによって平和が訪れたと述べられていて、概ね関ヶ原の戦い直後あたりまでの日本の激動の政治情勢が詳らかに紹介されています。本書が1608年に刊行されているとことに鑑みると、驚くほどのスピードで日本の状況が同時代のヨーロッパの読者に伝えられたことが分かります。

 本書においてアルトゥジウスによって展開されている上記の「日本論」ともいうべき記述は、イエズス会士らによってもたらされる日本年報などを主要な情報源としつつも、その情報をもたらした人々とは異なる、著者独自の視点で編纂されたものと思われ、当時ヨーロッパに伝えられた日本情報がどのように解釈、再構成され、またそれが新たな形で書物として広められていったのかを伝えてくれる、非常に興味深く貴重な記述であると言えるでしょう。アルトゥジウスは、上記の「日本論」に続いて、アジア諸地域で見られる植物やスパイスについての記述で本書を締め括っており、貿易産品として極めて有望であったスパイスについての記述が本書の最後に置かれていることは、著者の関心の位相をある意味で象徴的に示していると言えるのかもしれません。

 本書は、このように日本を最果てとしたアフリカ以東の「東インド」全域にわたる地域を網羅的に論じた非常に興味深い作品であるといえますが、国内主要研究機関ではほとんど所蔵を確認することができず、これまでほとんど着目されたこともない作品ではないかと思われます。日本についても非常詳しい記述を収録している本書は、日本関係欧文図書として、また東洋研究全般において有用な作品として、改めて研究が進むことが期待されます。

 なお、本書は折り込みの地図や図版を収録したものが存在することが知られていますが、本書にはそのような図版類は収録されておらず、またそれらが破り取られたような痕跡も確認できず、本来あるべきものが欠落しているのか、あるいは当初から収録されていないのかについては不明です。

刊行当時のものと思われる装丁。
タイトルページ。
献辞文冒頭箇所。
目次①全60章で構成されていて、アジアと呼ばれる東インド地域の概説が冒頭に最初に置かれ、以降ヨーロッパから最も近いアフリカ沿岸地域やブラジルは中米諸地域(これらは本来「西インド」に属するが)についての記述から始まり、順に東方へと記述が進められていって、インド、東南アジア、中国、そして最後に日本についての記述が置かれるという構成となっている。
目次②
目次③
目次④日本については、本書最後半の第54章から第58章にかけて集中的に論じられている。
本文冒頭箇所。
マラッカについて
モルッカ諸島について
フィリピン島について
日本の前に置かれている中国についてもかなり詳しく紹介されている。
第54章:日本諸島の量的、質的記述、ならびにそこに住み人々の多彩な風俗と習慣(p.519-)
第55章:日本社会と人々の秩序と状態:政治的な事柄と諸地域の統治について(p.528-)
第56章:日本における迷信とキリスト教信仰広まりの始まりについて(p.539-)
第57章:日本の統治について、とりわけ不幸な日本の皇帝「関白殿(Quabacondoni)」の破滅について(p.557-)
第58章:日本の皇帝である太閤様の残虐さとその死について、ならびに彼の死後に起きたさまざまな激動について(p.570-)
アルトゥジウスは、上記の「日本論」に続いて、アジア諸地域で見られる植物やスパイスについての記述で本書を締め括っており、貿易産品として極めて有望であったスパイスについての記述が本書の最後に置かれていることは、著者の関心の位相をある意味で象徴的に示しているのかもしれない。
本文末尾。
八つ折り本の小さな書物とはいえ、600ページを越えるボリュームのある作品。
専用の布張保存箱が付属している。