書籍目録

『フランシスコ・ザビエル神父の生涯、ならびにイエズス会がインド各地で成し遂げた諸々の出来事について』

ルセナ

『フランシスコ・ザビエル神父の生涯、ならびにイエズス会がインド各地で成し遂げた諸々の出来事について』

初版 1600年 リスボン刊

Lucena, João de.

HISTORIA DA VIDA DO PADRE FRANCISCO DE XAVIER E do que fizerão na Índia os mais Religiosos da Companhia de Iesu, …

Lisboa(Lisbon), Pedro Crasbeeck, 1600. <AB202436>

Sold

First edition.

Large 8vo (19.0 cm x 26.5 cm), 詳細な書誌情報については下記解説末尾を参照。, Later dine red leather, skillfully repaired.
後年の改装と思われ、その際に丁寧な補修が施されており、状態は非常に良好。刊行当時に近い年代のものと思われるインクによる下線等の書き込みが全面にわたって見られる。[Laures: JL-1600-KB1-244-144]

Information

著者独自の「日本誌」とも言える詳細な日本論を収録したザビエル伝の貴重な原著初版

 本書は、1619年にスペインのセビーリャで刊行されたフランシスコ・ザビエルの伝記です。ザビエルの伝記の名著として名高いトルセリーニ(Orazio Torsellino / Horatius Torsellinus, 1545 - 1599)による作品(De vita B. Francisci Xaverii,...Roma, 1594)と並んで、17世紀初めに刊行されたザビエルの古典的名著として知られる作品で、ポルトガル人のイエズス会士であるルセナ(Joan de Lucena, ? - 1600)によって著された非常に貴重なポルトガル語原著版で、のちに刊行されたスペイン語、イタリア語など複数の翻訳版の底本となった作品です。本書には、ザビエルによる日本宣教だけでなく、当時の日本の状況、特に鹿児島や山口、京都といったザビエルが実際に訪ね歩いた各地の状況も詳しく記されており、日本関係欧文資料としても大変重要な書物です。

 ザビエルによる日本宣教は、イエズス会全体にとっても、ヨーロッパ外における宣教活動の輝かしい成功事例として非常に重要な功績として受け止められており、16世紀末からザビエルの伝記が立て続けに刊行されています。最初に最も浩瀚な伝記として高い評価を受けたのが、イタリア人イエズス会士トルセリーニよるもので、この作品の決定版とされる1596年版はザビエルが各地から認めた書簡集も収録することでザビエルの功績を詳細に伝えただけでなく、ザビエルが訪れたアジア各地の風俗を伝える書物としても当時のヨーロッパで広く読まれました。

 本書の著者ルセナによるザビエルの伝記は、このトルセリーニの伝記に続いて刊行された作品で、大判左右二段組のテキストで900ページを越えるという非常に浩瀚なもので、トルセリーニの伝記をはるかに上回るボリュームとなっています。これは、本書がザビエルの伝記だけでなく、ザビエル以降のイエズス会による日本を含む「インド」各地の宣教活動とさまざまな現地事情の考察といった「インド誌」とも言えるような記述を膨大に収録しているためです。本書では、さまざまな文献や史料を駆使したルセナ独自の日本論が展開されており、それが時に(ザビエルの伝記から逸脱して)長大すぎるとの批判を受けるほどの充実した内容となっています。

 ルセナの『ザビエル伝』は、1600年にポルトガル語で本書が刊行されてから大いに注目を集め、1613年にはイタリア語版が刊行され、さらにスペインのイエズス会士サンドヴァル(Alonso de Sandoval, 1576 - 1652)によって翻訳されたスペイン語版が1619年に刊行されるなど各国語にも翻訳されて、多くの読者を獲得しました。

「ザビエルの伝記も、没後間もなくからイエズス会士達によって執筆されている。オラシオ・トルセリーニ(1545〜99)の『フランシスコ・ザビエルの生涯』(ローマ、1549年)は、ザビエル伝としては最初に刊行され、広範囲にわたって流布したものである。同書は、1596年にラテン語版の再版(*改訂増補版;引用者注)、1600年に3版、スペイン語版、05年にイタリア語版、翌06年に同再版、08年にフランス語版が出版されており、その後もヨーロッパ各地において多数の版を重ねている。また、ジョアン・デ・ルセナ(1550〜1600)によるポルトガル語の『フランシスコ・デ・ザビエルの生涯』(リスボン、1600年)は、トルセリーニによる伝記と並ぶザビエル伝として後世のザビエル觀に多大な影響を及ぼしたものである。
 伝記の作成は、その人物の列聖列福のための事蹟調査という意味を持っている。列聖列福のためには、その人物の正確な情報が必要だからである。ザビエルは1619年には福者に列せられ、22年にはロヨラと同時に聖人に列せられている。(後略)」
(浅見雅一『概説キリシタン史』慶應義塾大学出版、2016年、51-52頁より)

 本書は、全10章(書)で構成されていて、日本については、アンジロウとの出会いによって日本渡航の準備を始めるに至った経緯を詳述する第6章の終わり(404ページ〜)あたりから見られます。本格的に日本のことが論じられているのは、第7章(465ページ〜)から第9章(〜761ページ)にかけてで、時にザビエルの伝記から逸脱しつつ様々なトピックを論じながら、多くの紙幅を費やして集中的に日本のことが論じられています。

 1545年以降、ザビエルはインドを離れてマラッカを中心に東南アジア各地で宣教活動を行なっていましたが、1547年7月にアンジロウ(アンジェロ、Angelio)と呼ばれる鹿児島出身の青年に出会い、日本のことを知り当地への宣教活動を行うことを決意します。第6章の終わりではこのアンジローとの出会いから日本へと旅立つまでの出来事が記されています。

 第7章の冒頭は、「多くの王国と島々からなる日本諸島について」(Do Sistio das Ilhas de Iapam, numero dos reynos, & calidades da terra)と題されていて、西洋における日本認識がいつから始まったのかや、その名称、位置、どのような島々で構成されているのかなどが解説されています。日本の名称については、マルコ・ポーロに由来する「ジパング(Zipangu)」に始り、「Nipongi」、「Iapam」、「Gipou」など、様々な名称があることが述べられ、ポルトガル人が漂着したことで本格的な交流が始まるまでの歴史が概観されています。多くの島々からなる日本列島は、主に大きな3つの島に集約されていて、首都である「京都(Meacò)」を擁し、「天下(tenca)」あるいは「機内(Quinay)」と呼ばれる地域を中心とする最も大きな島である「日本(Nifon、本州のこと)」、次いで「土佐(Tonça)」を中心とする「四国(Xicocó)」、そして「五島(Gotto)」、「平戸(Firãndo)」、「天草(Amacuçá))、「上津浦(Cózurá)」などの島々を含み、「豊後」(Bungo)、「日向(Fiunga)」、「大村(Vomura)」、「有馬(Arima)」、「薩摩(Saccumá, Cangoxima)」といった国々で構成されている「下(Ximo、九州のこと」によって、日本が構成されていると述べられています。

 こうした日本の地理についての詳細な情報は、ザビエルが来日当時にここまで明らかになっていなかったため、著者ルセナが読者のために独自に設けた記述と考えられます。また、第7章はこの冒頭部分に続いて、日本の風習や人々の性質、言語、統治機構、社会状況、宗教事情、さまざまな産出物など、実に様々な角度から日本のことについて論じられていて、これらの記述もザビエルの書簡に依拠しつつ、それ以外のさまざまな史料も駆使してルセナが大きく補強したもので、ルセナ独自の「日本論」が随所で展開されているとも言えます。そして、こうした本書独自の記述が単なるザビエルの伝記という範疇を超えて、本書が優れた欧文日本関係資料として高く評価される要素となっています。さらに、本書には刊行当時に近いものと思われるインクによる書き込みが多数なされていて、この「日本論」にあたる箇所にも全面に渡って下線がなされており、当時の読者の関心の諸相を垣間見ることができます。

 本書では、もちろんザビエルの日本における宣教活動についても当然ながら非常に詳細に論じられていて、特にザビエルが宣教活動に置いて正面から対抗する必要があった既存の宗教勢力である仏教と仏僧(坊主、Bonzos)については、その教義内容や、日本における影響力の大きさなども含めて詳しく解説されています。鹿児島への上陸から、平戸への宣教活動の広がり、山口(Yamànguchi)を経て、京都への移動、そして再び山口に戻り、坊主との神学論争を行い、大内義隆から布教許可を得て、豊後での大友宗麟との出会い、そして日本を離れるまで、ザビエルの日本における宣教活動の足跡が時系列に沿って詳細に論じられていて、またその記事の随所において各地の様子や状況についての解説も付け加えられています。

 また、第8章では、ザビエルが仏僧と行った神学論争(宗論)について集中的に取り上げており、ザビエルが行った主張だけでなく、坊主(例えば、豊後のフカラン殿?、Fucarandono)が主張した内容とその誤りについても論じられていて、ザビエルが展開した論争の内実やその論点がどのようであったのかが非常に詳しく解説されています。ここでは、ザビエルの主張だけでなく、ザビエルとともに来日したイエズス会士、コスメ・デ・トーレスらの主張も取り上げられており、日本における宣教活動の礎を築いたイエズス会士の功績が包括的に紹介される内容となっています。

 本書はザビエル伝記の名著として非常に高い評価を受け、長きに渡って読み継がれ、後世にも大きな影響を与えたという点でも非常に重要な作品です。たとえば、17世紀を代表するイエズス会の歴史家であるバルトリ(Daniello Bartoli, 1608 - 1685)が1666年に刊行したザビエルの伝記(De vita, et gestis S. Francixci Xaverii e societaIesu Indiarum apostoli libri quator…Lyon, 1666)は、17世紀のザビエル伝記として名高いものですが、その記述の多くは本書に負っていることが明らかにされています。

 ルセナによるザビエル伝は、原著であるポルトガル語の18世紀に刊行された再版本や、1613年のイタリア語訳版が比較的よく知られており、国内でも複数の研究機関の所蔵が確認できますが、ポルトガル原著初版本については所蔵機関が相対的に限られており、上智大学、放送大学、天理図書館、東北学院大学などの一部の研究機関でしかその所蔵を確認することができません。古書市場にこのポルトガル語原著初版が出現することは非常に稀で、特に本書のように装飾タイトルページと二枚のザビエルの肖像画を欠くことなく、良好な状態であるものは大変珍しく、大変貴重な現存本ということができるでしょう。

なお、本書はページ付に多くの混乱が見られますが、全て印刷上の問題によるもので、内容は完備しています。詳細な書誌情報は下記の通りです。

llustrated Title., 2 Front.s, 2 leaves, pp.1-48, 59(i.e.49), 50-168, 1 plate leaf, pp.169-301, 312(i.e.302), 303-330, 335(i.e.331), 332-431, 442(i.e.432), 433-558, 549(i.e.559), 560-578, 569(i.e.579), 570(i.e.580), 581-583, 585(i.e.584), 584(i.e.585), 586, 587, 577(i.e.588), 579(i.e.589), 580(i.e.590), 591, 583(i.e.592), 593-595, 696(i.e.596), 597, 598, 689(i.e.599), 600-652, 546(i.e.653), 456(i.e.654), 655-668, 4 numbered (669-672) leaves, pp.673-768, 796(i.e.769), 770-826, 829(i.e.827), 828-884, 892(i.e.885), 886-891, 893(i.e.892), 893-895, 886(i.e.896), 897-908, 19 leaves (Tavola & Errata).


「ルセナは1549年12月27日トランコーゾでアンダルシア系貴族の家に生まれ、26歳の時コインブラのイエズス会ノヴィシアード(修練院)に入った。エヴォらに移って人文学を講じた後、1577年ローマへ赴いて神学を修める。1581年ポルトガルへ戻りリスボンのサン・ロケ教会を拠点に活動、1600年10月2日に亡くなった。本書(ポルトガル語初版のこと;引用者注)は彼の主著で、ポルトガル語版はこの他に1788年刊のものがあるにすぎないが、イタリア語・スペイン語・ラテン語・ハンガリー語への翻訳がある他にフランス語への翻案がある。奇蹟を含むザビエルの事蹟を、他のイエズス会宣教師の活躍の様子とも絡めてやや装飾過多の文体で綴る典型的な『護教文学』である。」
(日埜博司「ジョアン・デ・ルセーナ編『フランシスコ・ザビエル伝』1600年、リスボン刊」(解説文)東武美術館 / 朝日新聞社編『来日450周年 大ザビエル展 図録』1999年、187ページより)

「イエズス会士であり、文筆家でもあるジョアン・デ・ルセナの代表作。ザビエルの人柄や行い、他のイエズス会士のこと、歴史や地理的な記述が見られる。イエズス会やポルトガル人がアジアに与えた影響、ゴアから日本そして中国までの地理、ヨーロッパの商人のこと、東洋の様々な宗教やカトリックの布教の可能性などについても言及している。本書はリスボンで1600年に出版された初版で、その後イタリア語版や、カスティリア語版が出版されるなど様々な言語に翻訳されている。」
(東北学院大学図書館HP「貴重図書コレクション:東西交流関係」より https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/library/collection/collection-04/)