書籍目録

『6つの旅行記:第3部』

タヴェルニエ / グレイスマーケル(訳)

『6つの旅行記:第3部』

オランダ語訳版  1682年  アムステルダム刊

Tavernier, Johan Baptista / Glazemaker, J(an). H(endriksz).(tr.)

Verscheide BESCHRYVINGEN Van de Heer J. BAPT. TAVERNIER, Baron van Aubonne….DARDE DEEL.

Amsterdam, Johannes van Someren, 1682. <AB202435>

Sold

First and only edition in Dutch.

4to (18.5 cm x 22.9 cm), Title., 3 leaves, double pages map, pp.1-278, Plates & maps: [11], pp.[279(Title. for this part), 280], 281-304, LACKING pp.305-307(facsimile leaves inserted), Plates: [13], Modern marble board.
本文の末尾(305-307ページ)が欠落しているがファクシミリが挟み込まれている。比較的近年に施されたと思われるマーブル装丁で丁寧な製本、補修がなされており良好な状態。

Information

17世紀から18世紀にかけてベストセラーとなった旅行記第3部の非常に珍しいオランダ語訳版

本書はフランスの旅行家、宝石商であった著者による1638年から1668年の間に行った6度の旅行記作品の補論として刊行された、日本をはじめとして、ペルシャ、トンキンなど中東、アジア諸国事情ややオランダによるアジア貿易の実情、中東、アジア諸地域の通貨(コイン)などについて論じた作品です。タヴェルニエの旅行記はフランス語で何度も再版されただけでなく英語やドイツ語などにも翻訳されたことが知られていますが、本書は当時アムステルダムで著名な翻訳者として活躍していたグレイスマーケル(Jan Hendriksz Glazemaker, 1619 - 1682)による非常に珍しいオランダ語訳版です。

 著者タヴェルニエ(Jean-Bapitste Tavernier, 1605 - 1689)は、ペルシャやインド、東南アジア各地を6度も往復する旅を行い、今なおその名が知られる伝説的なダイヤモンドを数多く持ち帰り、フランス王ルイ14世に納めるなどして、多くの富と名声を得たことが知られている人物です。タヴェルニエは最後の旅から帰国した後、1676年に『タヴェルニエによる6度の旅行記』(Les Six Voyages de Jean Baptiste Tavernier… 2 vols. Paris, 1676)を刊行し、この旅行記は瞬く間に大きな話題を呼んで、幾度もの再版や海賊版が出されるほどのベストセラーとなりました。タヴェルニエの旅行記は、英語訳(The six voyages of John Baptista Tavernier,... 2 vols. London, 1677-1678)、ドイツ語語訳(Beschreibung der Sechs Reise. In Türkey, Persien und Indien…Geneve, 1681、同年に異なるニュルンベルク版も存在)といった各国語への翻訳版も刊行されていることから、当時のヨーロッパで最も広く読まれた作品の一つといえます。また、タヴェルニエ自身は日本を訪れることはありませんでしたが、旅行先各地で入手した情報や文献調査の結果などをまとめて自身の『旅行記』の中に日本について論じた1章を盛り込んでいて、同書がベストセラーとなったことから、結果的に当時の西洋社会における日本観の形成に少なからず影響を与えた作品としても知られています。

 タヴェルニエの一家はアントワープで地図製作の分野で活躍していたユグノーの家庭でしたが、同地におけるユグノーへの迫害が強まってきたことを受けてナントの勅令(1598年)の頃にフランス、パリへと逃れたと伝えられています。父親(Gabriel II Tavernier, 1566 - 1607)や叔父(Melchior Tavernier, 1564 - 1641)、そしてこの叔父と同名の兄(Melchior Tavernier, 1594 - 1665)は、パリで地理学者、地図製作者として活躍し、彼らの活動に幼い頃から接していたタヴェルニエは、早くから外国、特にアジアへの関心を高めていったと言われています。また、自身も地図や図像作成について何らかの手解きを受けていたようで、こうした訓練で身につけた能力を活かしたと思われる多くのスケッチ作成や調査を旅行中に行っています。手始めにヨーロッパ諸国を巡る旅から始めたタヴェルニエは、各地での言語習得に努め、多くの言語を自在に操ったとも言われていて、語学の際にも恵まれていたことがうかがえます。

 タヴェルニエは1638年から念願の東方への旅を開始し、以降ほぼ休むことなく、1643年、1651年、1657年、1663年と旅を続けペルシャやインド、バタヴィアをはじめとした東南アジア各地を訪ね歩き、1668年に帰国するまでに5度のインド、アジア方面への旅行を成し遂げました。彼は宝石商として滞在先各地(特にインド)でダイヤモンドなどの宝石、貴金属類を仕入れ、それらをヨーロッパに持ち帰って売り捌くことで多くの富を得るとともに、ルイ14世をはじめとした有力顧客の知遇を得ることで、自身の社会的地位や名声を高めることにも成功しました。タヴェルニエが持ち帰ったダイヤモンドの中で現在最も有名なのは「ホープダイヤモンド」(Hope Diamond)と呼ばれる45カラット以上(タヴェルニエの時代には112カラット以上あったとされる)もある巨大な青いダイヤモンドで、1668年にルイ14世が購入して以来フランス王家に伝来したものの、フランス革命の混乱時に盗み出されてしまい紆余曲折を経て現在はスミソニアン博物館が所有していますが、歴代の所有者に次々と不幸が訪れる「呪いのダイヤモンド」であるという伝説が20世紀初めに生み出されたダイヤモンドとして非常によく知られています。本書にはタヴェルニエよるインドのダイヤモンド鉱山の様子やその採掘法についての解説記事も掲載されており、口絵にはこうしたタヴェルニエの宝石商としての活動場面を象徴的に描いた図が採用されています。

 タヴェルニエの旅行記は基本的に全3部構成で刊行されていて、第1部は主にペルシャへの旅に関する記録が、第2部は主にインドへの旅に関する記録がまとめられており、第3部はタヴェルニエによる東方諸国事情やオランダ東インド会社による貿易活動などの研究編となっていて、日本について論じた1章もこの第3部に収録されています。本書はこのうちの第3部に相当する部分で、オランダ語訳版第3部として独立したタイトルページを付して1682年にアムステルダムで刊行されています。この第3部は全部で6章構成となっていて、その概要を簡単に記すと下記の通りとなります。

第1章:日本について(1ページ〜)
第2章;ペルシャとインド、ならびにフランス使節団について(42ページ〜)
第3章:インド各地の商工業について(96ページ〜)
第4章;トンキン王国について(127ページ〜)
第5章;オランダによるアジア政策、貿易について(182ページ〜)
第6章:上記諸国、地域で用いられているコインについて(日本の小判の図版含む)(279ページ〜)

 タヴェルニエは旅行中に詳細な記録をつけていたものと思われ、また各地で独自の調査、研究を行っていたようで、本書は全体を通じて旅行記として楽しめる作品でありながら、同時に各地の地域研究書としても優れた内容を有する著作となっています。また、先に少し触れたようにタヴェルニエはスケッチ力にも優れていたようで、さまざまな人々の様子や貴金属類のスケッチなどの図版が本書には多数収録されていて、その中には日本の小判までもが含まれています(第6章)。

 日本関係欧文図書として本書が非常に興味深いのは、本書冒頭に置かれたタヴェルニエによる独自の日本論が収録された1章で、40ページにわたる日本関係記事が収録されているだけでなく、折り込みの大きな日本地図とその解説テキストも収録されています。タヴェルニエ自身は日本を訪れることはありませんでしたが、おそらくオランダ東インド会社関係者からの情報や、既存の日本関係書の読解を通じて非常に豊富な日本知識を得ていたものと思われ、「タヴェルニエによる日本(並びに台湾)概論」とも言える充実した記事となっています。日本の地理や宗教事情、近世以降の歴史といった、他の多くの文献にも見られるトピックを一通り扱いつつも、それぞれの項目を論じる際に具体的なエピソードを挟み込みながら、まるで自身がその事件を体験してきたかのように語るタヴェルニエの筆致は読者を飽きさせないもので、多くの読者を獲得したベストセラーならではの、読み物としての完成度の高さも兼ね備えているようです。原著での著者のオランダ東インド会社関係者に対する評価は手厳しい(自身が旅先で侮辱されたからとも言われている)とされていますが、オランダ語訳版である本書ではどのように翻訳がなされているのかという点も本書の非常に興味深い点です。総じてタヴェルニエの記述は単に既存の情報を単調にまとめ上げるのではなく、独自の視点から論が運ばれていて、本書がベストセラーとなった大きな理由と言えるでしょう。

 このタヴェルニエによるユニークな日本論は、古くからその存在が比較的よく知られているものの、実際にどのような内容が、どのような情報源に基づいて、どのような論調で記されているかといった具体的な研究は、まだほとんどなされていないのではないかと思われます。多数の異版が存在する原著フランス語だけでなく、「英語、オランダ語、ドイツ語、イタリア語、さらにはロシア語に翻訳された。あまりに多くの版があるため、書誌編纂者にとって終わることのない、魅力的な仕事を提供した」((ジェイソン・ハバード / 日暮雅道訳『世界の中の日本地図:16世紀~18世紀 西洋の日本の地図に見る日本』柏書房、2018年、256ページ)と言われるほど多くのヴァリエーションがある作品だけに、その影響力の大きさを十分に踏まえると、各版におけるテキストの相違を調査することも、日本情報の広がりを知る上での重要な研究テーマとなりうるでしょう。

 また、この日本論の冒頭には特徴的な折り込みの日本図が収録されており、細かな変更が加えられてはいるものの、基本的にはフランス語初版収録図を底本としていて、底本となったフランス語諸般の収録図は、下記のように指摘されている大変ユニークな日本図です。

「この珍しい大判の地図は、初めて1679年にパリで出版されたタヴェルニエの「旅行記集」の2折判に出た。 タヴェルニエ(1605-1689年)は、1669年に貴族の称号を受け、またパリの有力な地理製作者M・タヴェルニエの甥であるが、旅行家として有名であった。彼の記述は中東およびペルシャ湾でダイアモンド等の宝石商として従事していたことを回想している。彼はまたトンキン王国(ヴェトナム)について記述をした最初の一人で、詳細な宮廷の儀式の記述を、魅力的に彫られた地図および版画とともに提供した。 彼の日本の記述は、訪問したことがなかったので、他の作家の記述に基づいたもので、地図は、幾分精巧にできてはいるが、カルディムとブリエの湾入のある輪郭を厳密に複写した。おそらくこの地図の最も面白い特徴は、オランダ人が長崎の商館から江戸参府の際たどったルートについての記述であり、そのルートに沿ってタヴェルニエの様々な土地と特徴の詳細な注釈があり、岡崎の街のどこで日本一の美人が捜し出せるかという話もある。 この地図の縮小判はラテン語、ドイツ語、英語文で彼の後の作品の出版物の中に見出される。」
(放送大学図書館HPデジタル貴重書室「西洋古版日本地図一覧」No.40解説より)

「宝石商ジャン・バプチスト・タヴェルニエ自身は中国までしか行けなかったが、フランス語およびドイツ語で何度も出版された旅行記に、日本についての報告も加えた。おそらく読者の特別な関心を引き付けようとしてのことであった。特にバタヴィアで収集した情報を基にした。行ったことのない他の東南アジアの国々についての報告書と同様、彼はここで、フランスと交易上だけでなく、宗派上でも競争関係にあったオランダ人を批判することにもっぱら力を注いでいる。日本の形に関して過去のカトリック派の手本を採用したことは、この事情からしてもっともである。能登半島はダッドレーよりも大きい。本州の形は全体として不格好である。独自のものであるという印象を与えるためであったかもしれないが、地図を写したものがそれほど器用でなかっただけかもしれない。最も重要な点は、タヴェルニエがモンタヌスから借用したと考えられるオランダ人の旅行ルートである。例えば岡崎の美人についての記述などから、彼は教会関係ではなく世俗的著者であったことがわかる。以前の西洋の地図にも記入されていた銀鉱脈に関する注釈に、タヴェルニエの職業上の関心が認められる。」
(ルッツ・ワルター編『西洋人の描いた日本地図:ジパングからシーボルトまで 図録』社団法人OAG・ドイツ東洋文化協会、1993年、192ページ)

 タヴェルニエ『旅行記』のフランス語原著や英語訳については国内での所蔵が比較的認められる一方で、1681年に刊行された2つの異なるドイツ語訳版はほとんど所蔵が認められず、さらに聞こうとされるこのオランダ語訳版に至ってはこれまでその存在自体がほとんど認知されてこなかったのではないかと思われます。重要な日本図を含む図版を完備したこの1冊は、大変貴重な価値ある書物として今後大いに研究、展示等での活用が期待されます。

比較的近年に施されたと思われるマーブル装丁で丁寧な製本、補修がなされており良好な状態。
タイトルページ。本書の構成が簡潔に示されている。
本書に収録されている図版の一覧。
本書に収録されている日本図の解説
本書に収録されているもう一つの地図であるトンキン図の解説
見開き大で収録されている非常に特徴的な日本図。
第1章:日本について。タヴェルニエ自身は日本を訪れることはありませんでしたが、おそらくオランダ東インド会社関係者からの情報や、既存の日本関係書の読解を通じて非常に豊富な日本知識を得ていたものと思われ、「タヴェルニエによる日本(並びに台湾)概論」とも言える充実した記事となっている。
原著には見られる内図版も収録されているが、どうやら日本に直接関係ないものが(誤って?)収録されているように見受けられる。
日本の地理や宗教事情、近世以降の歴史といった、他の多くの文献にも見られるトピックを一通り扱いつつも、それぞれの項目を論じる際に具体的なエピソードを挟み込みながら、まるで自身がその事件を体験してきたかのように語るタヴェルニエの筆致は読者を飽きさせない。
第2章;ペルシャとインド、ならびにフラン使節団について
第3章:インド各地の商工業について
第4章冒頭に収録されている「トンキン図」
第4章;トンキン王国について
第4章には非常に多くの図版が収録されている。
第5章;オランダによるアジア政策、貿易について。著者のオランダ東インド会社関係者に対する評価は手厳しいようで(自身が旅先で侮辱されたからとも言われている)、単に既存の情報を単調にまとめ上げるのではなく、独自の視点から論が運ばれている
第6章:上記諸国、地域で用いられているコインについて
宝石商である著者が収集、分析した各種コイン(通貨)が多くの図版とともに紹介されている。
日本の小判についても折り込みの大きな図版とともに解説されているのは非常に興味深い。
本文の末尾(305-307ページ)が欠落しているがファクシミリが挟み込まれている。