書籍目録

「日本:雪の宮島」

川瀬巴水 / 渡邊庄三郎 / 野口健次郎 / 鉄道省

「日本:雪の宮島」

(ポスター) [1932年] 東京刊

Kawase, Hasui / Watanabe, Shozaburo / Noguchi, Kenjiro / Japanese Government Railways.

Japan. The Miyajima Shrine in Snow.

Tokyo, S. Watanabe, [1932]. <AB202433>

Sold

53.0 cm x 76.0 cm, Colored poster, wood-block printing work by Hausi pasted on, Linen-backed.
一部に滲み跡が見られるが概ね良好な状態。リネンによる裏打ちが施されている。

Information

国際観光局の依頼によって、川瀬巴水の木版画を一枚ずつ貼り付けるという異例の手法で製作された珠玉の出来栄えを誇る海外向け観光ポスター

ただいま解題準備中です。今しばらくお待ちくださいませ。


「川瀬巴水(明治16〜昭和32年)は、新しい版画を創ることに情熱をかけていた版元、渡邊庄三郎と出会ったことから、風景版画家としての道を歩んで行った。初めて版画を制作したのが大正7年(1918)。それから14年後、巴水は、日本を代表する作家として、鉄道省の日本観光を紹介するポスターを担当した。このことは、巴水の画業でも大きな出来事であり、木版画のポスター制作は、版画史でもポスター史でも特異な試みだったといえるだろう。」
「渡邊庄三郎が経営する渡邊版画店が、鉄道省国際観光局より海外向けのポスター制作を依頼されたのは、昭和7年(1932)のことである。このとき渡邊版画店では、その制作を同店で活躍中の絵師、美人画の伊東深水と、風景画の川瀬巴水に任せた。(中略)
 渡邊版画店が手がけたポスターとは、木版画のポスターで、それは機械の印刷ではなく伝統的な技法の版画を貼り付けた、それまでにないポスターだった。いずれも台紙に木版画を貼り付けるという方法を採用し、鉄道省からの発注枚数は各1万枚だった。巴水と深水、合わせて2万枚。それは版木で摺り上げる枚数としても、また配布先への影響を考慮しても、渡邊版画店にとって、これまでにない一大プロジェクトだった。
(中略)巴水のポスターは、表題に大きく「Japan」の文字があり、その下に宮島の雪の版画が貼られている。ポスターの台紙には、波に松が描かれ、これは日本画家の野口健次郎(明治31〜昭和22年)による。
 台紙に貼られた木版画には、絵の下部に「”The Miyajima Shrine in Snow.” Artist-Kawase Hasui. Wood-cut Printing by S. Watanabe. Tokyo」と赤い字で刻まれている。これによってポスターを目にした海外の人びとは、版画を制作したKawase HasuiとWatanabeという名を、この図とともに記憶したはずである。
 さて、木版画「The MIyajima Shrine in Snow」には、大変珍しいことに版画の摺順が残されていた。しかも、摺の色と摺りの結果が、一枚ずつ知ることができる貴重なものだ。
 木版画の特徴は、まず社殿の色などに使用した赤色である。巴水による宮島を写した作品は、それ以前の「旅みやげ第二集」などに数点見ることができるが、鳥居や社殿の赤はこのような鮮やかな彩度の強い赤色ではない。もう少し渋く落ち着いた色が使用されている。おそらく宮島の赤は、ポスターになるという特性を考慮してのことと考えられる。巴水の印章の赤と、図の下のキャプションの文字にも、この赤色が使用されていて、いつもと異なる趣を添えている。また、摺りの表現には、山や海水の表現にはぼかし摺りが使用され、海水の水色と群青の境には微妙な検討があったことがわかる。もちろん、これは他の渡邊版画作品にも見られる表現であるが、大量の生産といえども、細部への配慮や、三者の力が十分に発揮されたことが如実にわかる。彼らが重視したことは、絵師・摺師・彫師の共同によって、1万枚の発注枚数をいかにこなすかという点ではなかった。それぞれの力を出し合い、いかに納得できる版画を創作するかに重点がおかれていたのである。」
(小山周子「川瀬巴水の「Miyajima Shrine in Snow」:昭和7年発行の鉄道省ポスターについて」東京都江戸東京博物館『美しき日本:大正昭和の旅』2005年所収、172ページより)

 「昭和5年に鉄道省が創設した国際観光局は、日本文化の高揚や観光産業の開発による外国人観光客の誘致を目的として創設されたもので、その業務の一つに観光ポスターの発行がありました。昭和7年、そのポスター制作の依頼を受けた版元の渡邊庄三郎は店の二枚看板である巴水と伊東深水の作品を起用することにします。そして、この時に制作されたのが右の観光ポスター「Japan」です。巴水の“The Miyajima Shrine in Snow”(「雪の宮嶋」)の木版画を貼付したものであり、深水の木版画A Theatrical Dance entitled“Dōjōji”(「娘道成寺」)貼付ポスターとともに、それぞれ1万枚、計2万枚が制作されました。通常、渡邊版の木版画は、1度に100枚から200枚、多くても300枚摺るのを上限としていたため、1万枚という数のポスター制作には大変な苦労があったものと想像されます。
 巴水の「雪の宮嶋」は、主版(墨板)1枚で墨摺を摺り、3組の色版(色板)を作りました。それぞれの摺り上げ数は10回、3500枚ずつ制作したとされます。野外に貼り出されるポスターということを意識してか、廻廊や鳥居に使われている赤は通常よりも明るい色を使用しており、作品の下にタイトルと作者・版元の名前が赤字の英語で摺り込まれています。木版画を貼ったオフセット印刷の台紙は、日本画家・野口謙次郎が松と波を描きました。いずれも“海外”を意識した日本らしさを象徴する対象の選定ということができるでしょう。
 巴水は、観光ポスターの他にも国際観光局の仕事を受けています。ポスター制作の2年後の昭和9年、翌年のカレンダー用に「精進湖より望む暁の富士」を2万枚、クリスマスカードとして「日光神橋の雪景」を4500枚制作しました。庄三郎が「国際親善を築く基に成ります」(『木版画目録』渡邊版画店、1935年)と述べた通り、これらのカレンダーやクリスマスカードは、山川秀峰の「追羽根」(クリスマスカード)とともに、日本宣伝のために当時の各国首相および各省大臣へ贈られたといいます。
 なお、観光ポスターやカレンダーはそもそも海外向けに制作されたため、国内ではほとんど流通していなかったようです。巴水の作品を展示した展覧会等でも滅多にお目にかかれないのはそのためでしょう。」
(大田区HP「川瀬巴水 学芸員コラム」https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/kawasehasui_koramu/kawasehasui_colum12.htmlより)